125迷子のえいじ事件01
(三)『迷子のえいじ』事件
その昼、俺は渋山台駅駅前公園で人を待っていた。11月に入り、寒気は肌を刺して出血させるようだ。道行く人々は外套を着て縮こまり、この初冬の厳しさをやり過ごそうとしている。ポケットティッシュを配るどこぞのアルバイトが、かじかむ両手に熱い息を吐きかけた。看板持ちが呪文のように店のサービスを連呼している。待ち合わせは俺の他にも多数いて、いつまで経っても来ない相手にいらだっている風だった。
俺はしかし、こんな時間にも幸福を覚えていた。今日は奈緒と両思いになってからの、初めてのデートなのだ。
きっかけは昨夜のSNSでの、何でもないやり取りだった。奈緒が「明日暇」と書いたので、俺が「じゃあ二人でどこか行こうか?」と返すと、「そうしよう!」と同意してきたのだ。純架の「おみやげは三千円以上でいいから」との書き込みを既読スルーし、俺は通話で奈緒と連絡を取り合った。「楽しみにしてるよ」との言葉で電話は切られ、俺は彼女を楽しませられるデートコースの策定に徹夜で取り組んだのだ。
「映画に……カラオケに……ゲーセンに……公園に……。ああ、楽しみ過ぎる」
俺は笑みを隠し切れず独りごち、隣の他人に怪訝な顔をされた。早く来い、奈緒。二人で最高の一日にしよう。
「楼路君!」
可愛い声が俺の鼓膜を通過し心臓に辿り着いた。胸がときめく。
「奈緒……」
俺は声のした方を振り向き――笑顔を強張らせた。
こちらに近寄ってくる人影は、一人ではなかったのだ。
「菅野さん?」
そこにいたのは、飯田奈緒と菅野結城の二人だった。どちらも秋を感じる私服姿である。
奈緒が微笑した。
「ごめんね、楼路君。私が結城ちゃんに一緒に来てほしいって頼んだの」
唖然とする俺に説明を施す。
「ほら、結城ちゃん、『能面の男』事件でメイド長からだいぶ絞られたみたいでさ。ちょっと塞ぎこんでいるみたいだったから、気晴らしになるかと思って、無理矢理連れて来たの。そうそう、三宮君なら心配しないで。今頃黒服たちに守られて、自宅で家庭教師と勉強中だから」
いや、英二のことなんてどうでもいいし。結城がぺこりと頭を下げた。そういえば学校の制服やスーツ姿でない彼女を見るのは初めてだ。
「今日は英二様からも楽しんでこいと言われました。よろしくお願いします、朱雀さん」
俺は笑った。乾いたそれだった。
「はは……。じゃ、三人でデートしよっか」
俺は落胆を隠すのに全身の力を動員した。夏祭りといい今回といい、自分は奈緒と二人きりになれない運命じゃないだろうか……。
俺たちは劇場に足を運び、ハリウッドの大作アクション映画を観た。俺と奈緒は何となく結城を間に挟んで座ってしまった。おかげで奈緒の手を握ることさえ出来ない。巷で話題の新作なのに、内容は上滑りで全然頭に入らなかった。とほほ。
「面白かったね!」
ファミレスで食事しながら、奈緒と結城は今観た作品の内容を雀のさえずりのように話し合った。二人とも楽しそうだったが、俺は会話についていけず、味も何もしないハンバーグを噛んで無為の時間を耐えた。
続くカラオケでは、先発の結城がアイドルグループの曲で美声を披露した。英二のメイドであることから、もっと渋い、たとえば演歌なんかを歌うのかと思っていた。しかし音楽の趣味は俺たちとさほど変わりないようだ。
「凄い、結城ちゃん!」
奈緒が誉めそやす。結城は次々と俺の知っている歌を完璧な調子で歌唱した。一方俺は、馬鹿になって無理矢理はしゃぎ、場を盛り上げる役に徹し続けた。内心号泣しながら……。
日が傾きかけた、公園からの帰り道。
「今日は楽しかったです」
結城がしみじみと言った。
「いつも英二様にメイドとして付きっ切りだったので、こんな風に学校の友達と遊びに行くことなんてなかったんです」
そう聞くと、俺もそんな悪い気はしない。結城は腰の後ろで両手を組んだ。
「おかげさまでリフレッシュできました。二人とも、今日はありがとうございました」
奈緒がくすくす笑う。
「良かった。友達として、結城ちゃんの楽しそうな笑顔を見るのは、凄い嬉しかったよ」
結城が目をしばたたいた。
「私、そんな顔してましたか?」
「うん、してた」
奈緒との仲は進展しなかったけど、これはこれで良かったか。俺は充実した休日を過ごせて幸せを感じていた。
人影のない街道を歩いていく。と、そのときだった。
「うえぇーん」
まだ幼い、何者かの泣き声が聞こえてきたのだ。その発生源は曲がり角を曲がったときに判明した。
赤いバッグをタスキ掛けにした4~5歳ぐらいの男の子が、道端に立ち尽くしてわんわん泣いている。他には誰もいなかった。子供はただ、ひたすらに号泣している。
見かねた奈緒が近づき、膝を折って問いかけた。
「どうしたの、君。パパやママは?」
男の子はしゃくりあげた。目の前の奈緒をしばらく見つめ、重たそうに口を開く。
「どっかいっちゃった」
おいおい、迷子か? 奈緒が辛抱強く質問を重ねる。
「君の名前は?」
「えいじ……」
結城が妙な顔をした。
「えいじ? ご主人様と同じ名前ですか?」
俺は面倒くさがった。
「どうしたんだ、坊主。一人か?」
えいじは爪先を振り上げ、俺の脛を蹴った。怒ったらしい。
「ぼうず、ちがう。えいじ」
「いてえな、この糞ガキ。おいえいじ、お前の両親はどこにいる?」
えいじはやや泣き止みつつあったが、また再び涙ぐんだ。
「パパ、ママ、どこ? えいじ、おいてかれた?」
俺たちは顔を見合わせた。
「放っておけないな。とりあえず交番に連れて行こう」
えいじが「交番」を聞きとがめた。
「こうばん? おまわりさん?」
奈緒が優しく語り掛ける。
「そうよ。私たちじゃ何も出来ないの。えいじ君をお巡りさんのところに預けるから。きっとすぐパパやママが迎えに来てくれるから。安心して」
えいじは怒ったように叫んだ。
「おまわりさん、やだ! いやだ!」
俺は困惑した。
「おいおい、何でだよ? ここで一人で泣いているよりはよっぽどましだろ?」
結城が冷静な声を出した。
「ちょっと待ってください。この子……」
えいじの袖をまくる。そこには誰かに殴られたと分かる、明らかな青い痣があった。それも複数だ。
「これは……!」
「誰に殴られたの?」
えいじの答えは衝撃的だった。
「パパとママ」
俺たちは驚愕に息を呑んだ。瞬間、口が利けなかったほどだ。俺はようやく口にした。
「幼児虐待か……!」
奈緒が口元を手で覆う。
「これは酷いわ……」
結城の目が怒りに燃えていた。
「許せません」
えいじの上着をまくり、腹部にも殴打の痕跡を見出すと、その堪忍袋の緒は容易く切れた。
「自分たちの子供を暴力のはけ口にするなんてもっての他です。この子の両親に親である資格なんてありません!」
今日は結城の意外と感情豊かな面を色々見せ付けられている。これが本来の彼女なのかもしれない。
「英二様と同じ名前なのも、私たちと知り合ったのも、何かの縁です。警察に頼らず私たちだけでこの子の両親を見つけて、一言意見しましょう!」




