122羊の絵画事件01
(二)『羊の絵画』事件
「さすがに純架と写真を撮りたいって女はまばらになったな」
とある昼休み。俺はあんぱんを咀嚼しながら、冬の制服に窮屈さを感じていた。もううだるような暑さはなく、気候は穏やかに移り変わっていく。高校なんかうっちゃって、紅葉狩りにでも行きたい気分だった。
純架はご飯を長々と噛んでいる。食事に時間をかけるのは純架の癖の一つだった。
「そうだね。昔は引きも切らず、朝でも昼でも夕方でも、女子が訪ねてきたものだけど」
そこで純架のスマホが着信音を奏でた。レミオロメンの『粉雪』のサビだ。
今更? いや、名曲だけれどもさ。
「もしもし。やあ母さんか。何? うん、旨いよ。えっ、それだけ? ……うん、分かった。それじゃ」
純架は通話を終えた。俺はあんぱんを完食し、ストローで牛乳を飲む。
「お前のお袋からか? 何だって?」
「今日の弁当の具について出来栄えを聞いてきたよ。自信があったんだろうね。それだけだった」
「あのサバイバルゲームおたくのおばさんか……」
奇行好きの純架とためを張れるほどの変人だ。前にBB弾で撃たれたっけ。
「あんな母親で困らないか?」
純架はやんわり首を振った。
「長い付き合いだからね。もう慣れたよ」
「慣れ、か」
話を戻してみる。
「純架と一枚の画像に収まりたいって女たちも、いい加減お前のルックスに慣れたんだろうな。希少価値がなくなって、もう別にいいやってなったのかもしれない」
「そうだね」
まあ、純架の奇人ぶりに愛想を尽かしたってのもあるんだろうけど。
「寂しくないか?」
「別に。僕としてはうるさくなくなって気分いいよ。僕ももっと楼路君みたいな顔だったらいいのにね。雑事に追われずに済む」
「間接的に俺を馬鹿にしてないか?」
純架は無視して、急に自分の鞄の中身を漁った。一枚のDVDケースを取り出す。
「究極にして至高の映画、『テラフォーマーズ』だよ。眼福を分かち合おう」
「目が腐るわ」
そこへ聞き覚えのある声が投げかけられた。
「桐木君」
教室の戸口に表れたのは、ぱっとしないことで知られる美術教師・金近優子先生だった。どことなく垢抜けなくて、磨かれる前の原石のままここまできた印象である。しかし赤色の眼鏡の奥はきらきら輝く美しい瞳があり、見るものを魅惑する力があった。白い肌に巨乳で、その容姿に胸ときめかせる男子は多いだろう。28歳と、まだずいぶん若い。
俺たちとは『過去の落とし物』事件でお馴染みだった。
「やあ金近先生、どうなさったんですか?」
白いブラウスに焦げ茶色のスカートという女教師は、俺たちの元に小走りで歩み寄ってきた。
「二人ともこんにちは。ねえ桐木君、ちょっといいかな?」
「はい。にしても……」
純架はにやりと笑った。
「金近先生、小平真治さんとはその後順調ですか?」
先生は照れ笑いを浮かべる。恥ずかしそうだ。
「えへへへ……」
訪問の目的を思い出したか、首を振って手を打ち合わせた。
「そ、そうじゃなくて。実は桐木君。先生からお願い事があるの」
「ほう」
純架は弁当片隅のパスタをすすった。
「どんな内容ですか?」
「ねえ、美術部のモデルをやってみないかな?」
金近先生は美術部顧問でもある。純架は食事の手を止めた。
「僕がモデル……ですか」
「以前私が『探偵同好会』のチラシの絵を描かせてもらったとき、桐木君の写真を一枚拝借したんだけど……。やっぱり学年一、いや学校一の美男子だと思ったんです。それで一回、美術部の皆で描いてみたらどうかと思って……」
純架は缶コーヒーを一口あおった。
「お断りします」
「早っ」
「事件の依頼ならともかく、無駄に晒し者にされるのは嫌ですから」
金近先生は見ているこちらが気の毒になるぐらい困り果てた。
「そこを何とか……」
俺は助け舟を出した。
「別にいいだろ、純架。それぐらい協力してやれよ」
純架は「そうだなあ……」と熟慮した。
「こういうのはどうです? 金近先生が全自動麻雀卓を買ってプレゼントしてくださるとか」
あの値段が高い奴な。ふざけるな。
「それは無理だろ、純架。見返りを求めるな。普段世話になってる先生のたっての頼みなんだから」
純架は思案投げ首の体だ。だがやがて妙案でも浮かんだらしく、手を叩き合わせる。
「なら一つ提案があります。今、我々『探偵同好会』は事件に飢えています。そこで金近先生に『謎』を用意していただきたい」
その目が金近先生をまっすぐ見据えた。
「なぞなぞというか、クイズというか、何でもいいんです。もちろん僕らが頭を悩ませるような、高度な内容のものを所望します。どうですか?」
俺は呆れた。
「おい純架、この前の『純架の挑戦状』事件を忘れたのか? あの時はくだらない暗号文解読を俺と英二に押し付けたじゃないか。そのお前が『高度な謎』を要求する立場か? ねえ先生!」
金近先生はしきりとうなずいている。軽い興奮状態にあるらしい。
「分かりました」
「先生……」
「それでは明日の放課後、『謎』を用意して美術部の皆と待っています。謎解きの後、デッサンのモデルになってください。それでいいですね?」
純架は金近先生に拳を突き出した。
「商談成立です。楽しみにしていますよ」
先生が純架の拳骨に自分のそれをコツリと合わせる。
「負けませんよ!」
いや、何だよその意思疎通。だいたい勝ち負けじゃないし。
かくして翌日放課後。ホームルームを終えた俺と純架は美術部に移動を開始した。純架はよほど楽しみなのか、股を広げて腰をやや落とし、銃を構えたと想定した人差し指を前方に突き出して「女スパイ!」とのたまった。それを何度も繰り返すので、俺はその度に赤の他人の振りをしなければならなかった。
俺は頭を掻いた。
「なあ純架、俺は関係なくないか? モデルになるのはお前であって俺じゃないし。何で俺を同行したがるんだ? 謎解きなら一人でもできるだろう?」
純架はまぶたを開閉した。
「何言ってるんだい、楼路君。君は『探偵同好会』の一員だろう? それも僕を除けば最古参ときている。その君が謎解きに付き合わないだなんて、心がけを疑っちゃうよ」
純架は意気揚々と階段を下りていく。やれやれ、仕方ないか。それにしてもこいつ、『謎』がなかったら死んでしまう生き物なのではないか。そんな気がする。
やがて部室前に到着した。扉を開いて中に入る。すると、全員女の美術部員たちが、椅子から立ち上がって一斉に黄色い歓声を上げた。純架の美貌を噂には知っていたが、間近で見るのは初めて、と言わんばかりだ。純架は当然のことのように受け止めつつ、やや照れくさそうに片手をあげた。
金近先生がこちらに歩み寄った。
「ようこそ、桐木君、朱雀君。お待ちしてました」
純架はうなずくと、部員の数を指折り数えた。
「ひ、ふ、み……十名ですね。これが美術部員の全員ですか?」
「一学期に役員交代式を終えて引退した3年生5名は、もうすぐ『卒美展』対策で戻ってきます。現在の部長は2年2組の田尻美祢ちゃんよ」
田尻先輩は『過去の落し物』事件で金近先生の代役を演じた人物だ。先生の腹心といっていい。1年2組の柏木悠美の姿もあった。こちらは『生徒連続突き落とし』事件で英二に犯人扱いされた少女だ。




