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120能面の男事件06

 熊谷は滑らかに舌を動かす。


「それで小手先の技では殺せない、と判明したので、突破口を見出すべく英二君の周囲を調べ上げました。その結果、英二君に最も近い存在の菅野結城さんにほころびを発見したのです。三宮剛の残酷な性格が、菅野君の母と祖母の処遇に表れているのを確認したときは、小躍(こおど)りしたくなったほどでした」


 結城は口を閉ざしたまま、この独演会を拝聴している。『能面の男』は得意げに続けた。


「後は英二君が語ったとおりです。全ては私の意のままに運びました。私はね英二君、君をなぶり殺す光景を動画で記録し、それを収めたカードを君の父上に送りつけてやるつもりです。逆に、そこまでしないと私の気は晴れないといいますかね」


 口元を押さえるも、笑いはこみ上げて押さえきれないようだ。


「ふふ、以上です。私の怒りが理解できましたか、英二君?」


 長い演説の最後を質問で締めくくり、熊谷はあごをつまんで英二を見つめた。英二は溜め息をついた。


「馬鹿馬鹿しい」


 熊谷の眉間に皺が寄るのを無視する。


「お前の両親は自由競争のこの社会で、力なきゆえに敗れ去った負け犬なだけだ。三宮家を恨むのは筋違いというものだろう。両親を殺したというが、それはお前が心底から腐っているというだけの話だ。まともな職に就かず、闇稼業で財をなして、ただそれが後ろめたかったから手近な人間を殺して自己正当化を図ったんだ。違うか?」


 熊谷のこめかみに青筋が浮かぶ。まぶたを全開にして、駄々っ子の癇癪(かんしゃく)のようにうなり声を上げた。その顔は無表情に染め上げられ、奇怪なことこの上ない。


「ん、んん、んんんっ!」


 次の瞬間、熊谷の蹴りが英二のどてっ腹に食い込んでいた。かなりの痛打だ。


「うっ……」


 英二が体をくの字に折ってひざまずく。攻撃者はその姿を見下ろし、肩で息をした。


「お前! 馬鹿にするな!」


 その後、狂態を恥じるように笑顔で取り繕う。額に汗がうっすら浮かんでいた。


「……それにしてもずいぶん口汚い罵倒(ばとう)でしたね。何ですか、私を無駄に喋らせたり怒らせたり、時間稼ぎのつもりですか? 残念ながらこんな場所に誰かの助けが来るはずもないでしょう」


 結城に目線を巡らす。


「菅野君、英二君の服には発信機がついてないんですよね?」


 結城は頭を軽く下げた。


「はい、熊谷様。いつもは緊急事態に即応できるよう小型の発信機がつけられているのですが、私が今朝お召し物を点検した際、あえて外しておきました」


 熊谷は満足そうだ。


「と、いうわけです。英二君、無駄な真似はやめなさい」


 英二は腹部を押さえて立ち上がった。結城に正対する。


「結城、お前はこれでいいのか? 俺がなぶり殺されるのが、お前の本望なのか?」


 元メイドは糖分ゼロの回答をした。


「何を今更。私は熊谷様と同じ気持ちです。三宮家への復讐を果たす、それが私の今の生きる目標なのです。本望なのです」


 乾いた笑いをする。


「きっと、熊谷様はあなたを殺した後、私も殺すでしょう。これだけ裏事情を知って、ただで帰してくれるはずもありません。そうですよね、熊谷様?」


 それは残酷な未来を見つめるものの目だった。熊谷が言葉に詰まる。


「……それは……」


「いいんです。三宮英二……いや、英二様」


 その両目に涙が浮かんでいた。


「私はあなたが好きでした」


 英二は唇を引き結んでその言葉を受け止めた。結城の目尻から透明な線が頬を伝う。


「メイドとして接するうちに、そのぶっきらぼうな態度に私は心惹かれていきました。裏にある海のように広い心と、それがもたらす優しさ。ご主人様としてではなく、一人の男の子として。私はあなたが大好きでした。でも……」


 唇が震えている。


「あなたは辰野さんに目を向けた。彼女に恋をした。それで私は押し潰されるような悲哀を味わいました。私は苦しくて、切なくて、夜も寝られない毎日でした。そのため、いつしかメイド業務にさえ差し障りが出てきてしまいました」


 二本の指で目元を拭った。


「だからです。三宮家への復讐は、ひょっとしたらきっかけとして以外、意味を持たないのかもしれません。あなたを私一人のものとするためにも、死んでいただきます。そして私も殺される。英二様、あの世で二人仲良く暮らしましょう。もっとも英二様は天国で、私は地獄かもしれませんが……」


 俺は二人を交互に見た。ご主人様とそのメイドではない、高校一年のうら若き男女として、二人は初めて出会ったかのように視線を絡ませている。一種の清涼感さえあった。


 それを無粋(ぶすい)にも邪魔したのは熊谷だ。


「もういいでしょう、菅野君。……では英二君、まずはその指を万力で締めてあげましょう。果たしてその尊大な態度がいつまでもちますかな」


 下卑た言葉が室内に反響したときだった。


 車のエンジン音が遠くかすかに聞こえてきた。それも複数。


「何ですか? ここには誰も来れないはず……」


 英二は破顔一笑、熊谷を(あざけ)るように言った。


「馬鹿な奴だ。俺が何も用意していないとでも思ったのか」


 英二はポケットから小型のスマホを取り出した。


「車内で結城に拳銃を突きつけられたとき、こっそり起動して通信を始めたんだ。純架にな」


 俺は狂喜し、熊谷はうろたえた。


「何ですって……?」


「『能面の男』出没の噂が流れた際、純架に頼んで、俺が万一連れ去られたとき通話する専用の番号を共有したんだ。車からこの屋敷まで、今までの会話は全て筒抜けだ。きっと純架は録音していることだろう。居場所もGPSで絶えず送信している。だからこの場所にやって来れたんだ。ちなみに向こうの音声は聞こえないよう設定してある」


 俺は心の中で叫んだ。助けが、純架たちが来る! もうおしまいだと観念していたけど、どうやら大逆転ホームランとなりそうだ。


 熊谷は地団駄を踏んだ。


「おのれ、英二君……!」


 漆原と結城がすがるように熊谷に訴えた。


「く、熊谷様、私はどうしたら……」


 車のドアを開閉する音が連続で聞こえた。『能面の男』は脱力して長い息をつく。


「こうなったら仕方ありません。私たちは逮捕されるでしょう。でもその前に、せめて英二君に死んでいただきましょう。三宮剛への復讐さえ果たせば、私はどうなってもいいのですからね」


 拳銃の先端が英二の胴に向いた。俺は凍りついた。そんな、助けがもうすぐ現れるっていうのに……!


 英二はせせら笑った。


「俺の父上に手出しできないから、代わりに俺を殺そうとする、か。ふん、全く情けない奴だ」


 熊谷が唇を噛んだ。


「減らず口はそこまでです。死んでください、英二君」


 大勢の靴音が近づいてくる。


「待て熊谷。最後に一言言わせろ」


「何ですか、命乞いですか」


 英二は熊谷を無視し、結城に声をかけた。


「……結城」


 彼女は放心状態から目覚めたように少年に応じる。


「は、はい、英二様」


 英二はゆっくり台詞を吐いた。


「俺、お前の事が好きになったよ」


「え……?」


「今まで単なるメイドとして見ていたが、お前には『菅野結城』としての気骨が備わっていたんだな。正直びっくりしたよ。俺は人生の最後に本当のお前を知って、今は満足しているよ」

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