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118能面の男事件04

 英二はさすがにたまりかねて口を開いた。


「そんな馬鹿な。ふざけるな! そんな証拠がどこにある? 父上がセクハラなどするわけがない……」


 結城は笑おうとして失敗したか、頬を奇妙に歪めた。


「そうでしょう、私もそう思いました。まさか自分の仕えている当主様が、殺人をおかしたなんて――それもその相手が私の母だなんて――、信じる以前に考えられませんでしたから。しかし同じメイド仲間の杉浦(すぎうら)さんが抵抗する母の声を聞いていたこと。転落死した母を発見した最初の人物が当主であること。母が階段に激突したのが顔からではなく後頭部からだったこと――」


 銃を握り直し、大きく息を吸い込む。


「結局警察は事故死で片付けましたが、漆原さんは以上の疑問点を挙げて私におっしゃいました。『これを事故死と思うのは君の判断に()るけど、あまりにもひど過ぎないかい? もし興味があったら熊谷様にお会いしたらいい。三宮家が菅野家の服従を絶対視し、その家族を使い捨ての道具のように考えていることが、賃金や保険などの雇用状況からも明らかになるはずだ』」


 結城はちらりと俺を見て、すぐ目線を元に戻した。


「私は全ての書類を持ち帰り、改めて検討しました。誰かに見られでもしないかと、内心冷や冷やしながら。そして三宮剛の実像を突き止めたこれらの文書に、間違いはないと確信したのです。私はそれからも悩みに悩み、睡眠時間を削ってまで頭を整理しました。そうして三宮英二や三宮剛へ馬鹿みたいに仕える自分自身に、嫌悪感を抱くまでになったのです」


 深呼吸する。


「私は熊谷様にお会いすることにしました。三宮英二の命を狙った敵ではありますが、私は祖母と母の死の真相で正常な判断を狂わされていました。いや、今思えばそれこそが正しい事実認識だったのですが。ともかく私は三日後に熊谷様と会見しました。様々な資料から三宮家の菅野家に対する冷遇を一から教示された私は、烈火のごとく怒り狂い、承諾することにしたのです。今日この日、三宮英二を亡きものにする計画に参加することを。そうですね、漆原さん」


 漆原がハンドルを抱えながら応じた。


「ああ、その通りだ」


 英二は身動きせぬまま鼻で笑った。


「急に口調をがらりと変えたな、おっさん」


「黙れ、ガキ」


 俺は変わり果てた結城に胸が締め付けられる思いだった。


「菅野さん、そんな……」


「朱雀さん、残念です。あなたを今回の復讐劇に巻き込むつもりはありませんでした。しかし、この車に乗ってしまったのなら仕方ありません。三宮英二と共に、死んでいただきます」


 英二は今の結城の告白にも冷静沈着だ。


「……話は分かった。結城の祖母と母の件、それが本当なら、父上に代わって頭を下げる。済まない」


 瞬間、結城がヒステリックにまくし立てた。


「済まないでは済みませんよ、残念ですが! それで死んだ二人が生き返るなら構いませんがね!」


 裏声を放ってしまった自分を恥じたか、体勢を整えて、今度は通常の声を出す。


「……今更遅きに失したというものです。それにその謝罪はあなたがしたところで意味がありません。本来するべき当主の剛は、絶対認めず頭を下げないでしょうしね」


 日はまだ中天高く昇っている。周囲の紅葉は照り映えて、車内の修羅場に頓着(とんちゃく)せず、ただただ輝いていた。


「結城、それでここはどの辺りだ? 俺を殺すと言うが、どこで殺すつもりだ?」


 それは俺も知りたかった。もう四方にひと気はないし、拳銃の引き金を引けば英二の命を絶つことができる。だが結城は一向その行為に及ばない。もちろん、それはありがたいことだったが。


「熊谷様の別邸です」


 リムジンはごく一般的な現代建築の屋敷の前で停車した。周りは静まり返り、清流の音色が遠く細く聴こえるのみだ。


 漆原も拳銃を取り出す。俺の胸元に狙いをつけて、低く短く「降りろ」と命じた。俺は突如間近に迫った『死』に全身がすくんだ。


「わ、分かったよ」


 心臓が早鐘(はやがね)を打つのを感じながら、それでも英二を見習って粛々(しゅくしゅく)と言われた通りにする。俺たちは全員車から降り、灰色の門構えの扉部分に移動した。3メートルほどあるその頂上付近で、監視カメラが冷たい視線をこちらに放っている。


 漆原は勝手知ったるように、横に据えつけられたインタホンを押した。


「漆原です。三宮英二を確保しました」


 十秒後、扉が金切り声を上げて左右に押し開かれる。中にいる人物が操作したのだろう。


 英二が鼻を鳴らした。


「ご大層な造りだな。もっとも俺の三宮邸も人のことは言えないが」


 結城が銃を持ち直す。


「黙って進みなさい」


 二階建ての建物を目指し、舗装(ほそう)された道を歩いていった。右に白いポルシェが駐車され、数枚の枯れ葉をフロントに乗せている。日本庭園を模した広い庭は丁寧に手入れされており、近づいてくる冬に向けて万全の準備が整えられていた。どこかのししおどしが等間隔で鳴っている。


 英二の命をつけ狙う人物、『能面の男』熊谷。俺は足を運びながら結城に尋ねた。


「熊谷ってのは何者なんだ? 『バーベキュー』事件で仕掛けてきた連中の黒幕で、どうも英二を殺したくてしょうがない奴だとは分かるが」


 結城は軽く笑殺した。


「本人にうかがえばいいでしょう」


 玄関にも監視カメラがあった。漆原がドアを開け、中へ入るようあごでうながす。住居に足を踏み入れた俺たちは、ひどく違和感のある人物を目の当たりにした。


 俺と英二は息を呑んだ。


 そこには真っ白い肌で、女系の小面(こおもて)の能面によく似た、薄気味悪い相貌の男が立っていた。着ているのは顔に似合わない黒い喪服。かしこまり、皮膜(ひまく)のような笑みを振りまいている。


「我が邸宅へようこそ、三宮英二君。君をお迎えできて光栄です」


 英二が押し殺すように言った。


「お前が熊谷、つまり『能面の男』か」


 熊谷は人差し指をあごに当て、軽く首を傾げた。


「その呼び名、あまり好きじゃないんですけどね」


 にたり、と凄絶(せいぜつ)な微笑を(ひらめ)かせる。


「まあ短い時間となりますが、よろしく」


 そこでようやく俺の存在に気づいたらしい。目をしばたたいた。


「君は? こちらはどなたです、菅野君」


 結城は暗い面持ちだ。


「渋山台高校1年の朱雀楼路です。三宮英二の親友で、今回残念なことについてきてしまいました」


 熊谷の表情がそれこそ仮面のように固まった。笑顔は消え、その目は中空を見据えて離さない。


「ん、ん、んん、んんん……!」


 かっと瞠目(どうもく)し、まるで噴火寸前の活火山のように全身を震わせた。歯軋りの騒音をそこら中に響かせる。俺はその異常な様子に息を呑んだ。


「んんんんっ! 貴様っ! 誰がこんな奴連れてこいと言ったあ!」


 ありったけの声で絶叫しながら、握り締めた拳骨で結城の頬を激しく殴りつけた。凄まじい音が鼓膜を叩く。結城は壁にバウンドしながら拳銃を取り落とし、その場にうずくまった。


「貴様!」


 英二が拳銃を拾おうとした。だが残念ながら、漆原の方が速かった。かがんだ英二の後頭部にぴたりと銃口が突きつけられる。英二は無念そうに、熊谷が結城の銃を手にするところをにらみつけた。

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