114プロローグ
(プロローグ)
その男は、肘裏の静脈から注射針を抜くと、深々と溜め息をついた。満足の気配がある。両目が生き生きと明るさを取り戻し、狼のそれのようにぎらつく。全身からほとばしる快感に随喜し、口端から若干のよだれがしたたった。覚醒剤が体中に行き渡ったのだ。
遥か昔に一度はやめたその犯罪行為を、なぜ最近になって始めたのか。
答えは簡単だ。
『彼女』が現れたからだ。
手の届かない場所に行ったはずの少女が、何の巡り会わせだろう、男の元に帰ってきたのだ。天の配剤は、男に再びの悦楽を許したのだ――恐らくは。これが喜びでなくて何だ。
薬の決まった男は窓の外を見上げた。木造の旧校舎は20年経ってもなお取り壊されず、今も生徒たちの部室として、あるいは物置として、幅広く活用されている。
「1年5組だったな……」
3階角部屋の教室に視線を投じる。『彼女』の思い出が胸によみがえり、胸が熱くなった。あれは楽しい日々だった。きっとこれからも、帰還した『彼女』は俺を楽しませてくれるだろう。
注射器を机の引き出しにしまいこむ。まくっていた袖を下ろして注射痕を隠した。そのとき、化学準備室のドアが叩かれた。うら若い声がする。
「先生、プリント持ってきました」
先生と呼ばれた男は、開放的な笑顔を作ってみせた。




