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111消えたトロフィー事件16

 それからは雑念を振り払い肩叩きに(てっ)した。まどかの治癒能力は驚くべきもので、施術された人々は皆元気になって部室を後にした。


 時間はあっという間に過ぎていく。時計を見ると、時針が2を正しく指していた。後30分で白鷺祭は終了し、1時間後には体育館で閉会式となる。もう時間がなかった。結局トロフィーは失われたまま、事件は犯人サイドの勝利で終わるのか――


 さすがに腕が疲れてきて、俺は肩をぐるぐると回した。そのときだった。突然奈緒がやってきたのだ。俺は40代の婦人の肩に自前の(つち)を振り下ろしながらいぶかった。


「どうしたんだ、奈緒。純架はどうした?」


 奈緒は少し上気した顔で連絡事項を告げた。それは驚くべきものだった。


「楼路君、大変よ。桐木君が関係者を集めて、事件の概要を発表するって言い出したの」


「本当か? どこで?」


 奈緒は胸を手で押さえて弾む動悸を鎮めようとする。


「生徒会室よ。今、生徒会員が手分けして先生や諸々の関係者を集めてる。どうやら桐木君、事件の謎だけでなく、トロフィーの在り処さえ突き止めたみたい」


 俺はその報に仰天(ぎょうてん)した。心臓の鼓動が速くなる。


「マジかよ……。それは見ものだな。だけど、俺、手が離せないんだよな」


「私が代わろうか?」


 俺は首を振った。


「いや、女子は肩叩きしちゃいけないって話だったろ」


「あ、そうか……」


 そのとき聞き覚えのある声が飛んできた。


「俺が代わってやるよ、楼路」


 見れば英二と結城が揃って現れていた。俺は気が引けた。


「英二はもう自分の担当時間をやってるだろ。悪いよ」


 英二はするすると俺の側まで近づくと、こっそり耳打ちした。


「今の受付は辰野だろ。俺、いいところ見せたいんだ。遠慮なく代われ、楼路」


 自分の欲得(よくとく)尽くか。それなら気を使わなくても良さそうだ。


「ありがてえ。恩に着る。じゃ、頼んだ」


「任せろ」


 俺は感謝の念を込めて頭を下げると、奈緒を伴って生徒会室へ向かった。その際、奈緒の方から手を繋いできた。俺は固く握り締め、肩を並べて歩を進める。


 生徒会室に到着した。既に宮古先生、青柳先生、高津川先生、周防生徒会長、神埼副会長、藤堂書記、それから淡木先輩を含む生徒会員数名、アルコムの若い警備員が、それぞれ椅子に座っていた。純架はホワイトボードのかたわらに根を生やしている。


「やあ、楼路君と飯田さん。後の三人は欠席か、残念だ。でもそれ以外は全員揃ったようだね。では始めましょうか」


 宮古先生が挙手した。その顔に不満の陰影を作っている。


「おい、僕はトロフィーさえ戻ってくればいいんだ。それじゃ駄目なのか」


 純架は丁寧(ていねい)に断った。


「はい。警備会社の方も含め、今回の事件は全員に知っておいていただきたいので」


 純架はペットボトルのお茶を飲んで喉を潤わせた。


 両目が猟犬のそれに変わる。


「今回の盗難事件は――『消えたトロフィー』事件とでも名づけましょうか――ある一つの目的のために起こされました。渋山台高校白鷺祭への挑発です。犯人は、無気力で怠惰な生徒たちを嘲笑うため、トロフィーを盗んである場所に隠したのです。それは誰からも良く見える、しかし決して見えない巧妙な箇所でした」


 周防生徒会長が(さえぎ)った。


「おい桐木君、その犯人の動機はどうやって(ひね)り出した? 僕が朱雀君にした話を聞いたとしか思えないが」


「はい、楼路君に教えてもらいました。あなたが喫茶『シャポー』で楼路君に語って聞かせた話をね。周防先輩の父親が、二十年前ここの生徒だったこともです」


 周防生徒会長は嫌そうにため息をついた。


「ふん、まあいい。どうせ犯人は僕じゃないからな」


 純架が次に放った言葉は鋭利な刃だった。


「いえ、あなたが犯人ですよ、周防先輩。やっぱりね」


 室内がどよめいた。これが普通の生徒の発言だったなら、ここまで聴衆は動揺したりしないだろう。やはり純架の推理力には皆一目置いているのだ。


「言ったな、桐木君」


 生徒会長は爆弾を落とした純架に被害者然とした。青柳先生が苦虫を噛み潰したような顔で発言する。


「おい、本当か桐木。間違ってたらただじゃ済まないぞ」


 純架はすまし顔だ。


「間違ってなどいません。もう一度言いましょう、犯人は周防先輩です。動機においては確実にそうですし、自分への疑いを晴らすために淡木先輩に鍵を開けさせたり、窓の施錠を確認させたりしたのも、実に犯人らしい行動です。自分を潔白であるかのように信じ込ませれば、多少の異常行動もとがめられないと踏んでのことでしょう」


 周防先輩の丸眼鏡が輝きを帯びた。


「ほう、相当な自信だな。そこまで言うからには当然ここの密室の謎も解いたんだろうな」


 純架は敢然と対峙する。


「はい、解きました。元刑事の光井さんの助力も借りましたが」


「聞かせてもらおう」


 純架は大学教授のように、人差し指を振るってみせた。


「周防先輩はトロフィーを盗んだ犯人です。犯人ですが、数々の証言から周防先輩が実行した人物でないこともまた判明しています。そう、周防先輩にはトロフィーを盗み出すことはできない。ではどうやって? 答えは簡単です。もう一人、周防先輩に手を貸す共犯者がいたのです」


 ある人物を掌で指し示した。冷厳(れいげん)とした態度だった。


「それはあなた――生徒会副会長、神埼先輩です」


 再び生徒会室は騒然となった。周防先輩が唇を噛み締める。高津川先生が目をむいた。


「おい、本当か神埼」


 神埼先輩は黄色い肌を灼熱させる。


「おいおい、俺が協力者だって? 冗談言うなよ」


 言語の刃で切りかかられた純架だったが、冷静な面持ちでしっかり受け止めた。


「冗談ではありません。火曜日の放課後、あなたは周防先輩がスマホをなくしたので、一緒になって生徒会室を調べました。まあ、スマホをなくしたというのは嘘っぱちで、生徒会室を疑われずに使うための方便しょうが。生徒会室の鍵を開けた際、生徒会長に同行したんですよね?」


「ああ、そうだ。悪いか? 俺のスマホから先輩のそれに電話をかけ、着信音を鳴らして位置を特定するためだ。周防先輩から頼まれてね」


「白々しいことをおっしゃらないでください。それだけではないでしょう、神埼先輩。あなたは空のペットボトルと折りたたんだダンボールの空き箱数枚、それからカッターとセロハンテープといったところでしょうか、それらを一緒に持ち込んだはずです」


 神埼先輩は鼻で笑った。


「何を根拠に、馬鹿らしい」


「残念ですが、先ほど2年1組の先輩方に聞き込みをして、あなたがそれらを教室から持ち出している現場を見た、という証言を得ています」


「…………」


 生徒会副会長の男は、何も言わなかった。純架が続ける。


「そして生徒会室に入るなり、あなたは周防先輩と協力して白鷺トロフィーを戸棚から取り出しました」


 書記の藤堂先輩が語気(ごき)を荒げた。


「何を馬鹿なこと言ってるの? 戸棚のガラス戸には鍵がかかっていて、それは職員室の鍵付きボックスの中に収められているのよ。それなしで開けることは決して出来ないわ。それとも会長や副会長が合鍵を持っていたとでも言うの?」


 純架は正確な指摘にも微動だにしない。


「それができるんですよ。鍵など使わずに、ね。……楼路君、ちょっと手伝って」


 俺は急に呼ばれて驚いたが、疑念を抱くことなく前に進んだ。純架は問題の戸棚の脇に立って俺に要請した。


「楼路君、戸棚を動かすんだ。なるべく低い位置を持ってね。かなり重いから気をつけて」


 俺は言われた通りにしゃがみ込んで、木製の戸棚の下側に手をかけた。純架が壁と戸棚の間の隙間に指を差し込む。


「じゃ、いくよ。少しずつ、少しずつずらすんだ」


「分かった」


 衆人環視の中、俺たちは踏ん張って戸棚を動かし始めた。盾や旗の入った戸棚はかなり重かったが、二人がかりということもあってそれほど苦もなく床をこすっていく。端が扇を描いて進み、戸棚は背の部分を外気にさらした。


 純架が額の汗を拭いた。そして、信じられないことに……


「実はこの戸棚、裏が開くんです」


 純架が戸棚の背面に指をかける。重低音と共にあっさり木の板が外れた。生徒会室内が驚愕の声に満ちる。純架が開いた穴に顔を入れると、表のガラス戸からその美貌がのぞき見えた。


 これが鍵を使わずトロフィーを奪取せしめた方法というわけだ。俺はずっこけた。馬鹿馬鹿しいにも程がある。

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