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109消えたトロフィー事件14

「……あのさ、朱雀君」


 思い詰めたような重たい口調だった。


「私のこと、好きなのよね?」


 俺はいきなりの直球に面食らったが、告白済みの自分を想起すれば捕球するのは簡単だった。


「ああ、好きだよ」


 奈緒が俺の顔を直視して耳たぶまで赤くなる。俺は追いかけるように問いかけた。


「それがどうかしたの?」


 奈緒は顔を正面に戻して俺の視線を避けた。


「別に」


 俺は自嘲的に笑った。


「何だそりゃ。てっきりオーケーしてくれるのかと期待しちゃったよ」


 奈緒は答えず、何かを振り切るように立ち上がる。


「そろそろ行こっか、朱雀君」


 え? もう?


「まだ10分の1も読んでないんだけど……」


「2年3組がお化け屋敷やってるんだ。昨日入って面白かったから、今日も遊びに行きたいんだ。それとも朱雀君、もう体験済み?」


 俺は昨日はトロフィー探しで忙しかった。お化け屋敷も目の前を通過しただけだ。奈緒と一緒に楽しめるならそれもいいかもしれない。


「分かった、行こう」




 くだんの(もよお)しは入場料100円だった。俺の財布から消えていく小銭……。払った以上は楽しまないと。


 受け付けの先輩は、直前のお客が後ろのドアから出てきたのを見計らうと、俺たちに小型懐中電灯を渡した。


「通路に沿って進んでいって、後ろドアがゴールになります。ではどうぞ」


 俺たちは真っ暗な内部に足を踏み入れた。衝立とダンボールを重ねて壁とした空間は狭く、縦列でなければ進めない。俺が先、奈緒が後となると、奈緒が手を差し伸べてきた。俺は握り返すと、ゆっくり前進した。


「わーっ!」


 上半身血塗れの男子生徒が、いきなり壁の間から現れ驚かしてきた。俺は不意をつかれて瞬間心臓が飛び跳ねたが、純架同様の耐性を発揮してどうにか叫ぶのをこらえた。奈緒は俺の手を強く握り締め、うろたえることなくたたずんでいる。考えてみれば彼女は昨日ここを経験しているわけで、どこで誰がどのように飛び出してくるか知悉(ちしつ)しているのだ。しかも幽霊役、はたまたゾンビ役との間には俺という緩衝材(かんしょうざい)があるわけで、幽霊嫌いの奈緒でも落ち着いていられる。幽霊屋敷の醍醐味(だいごみ)を、彼女は享受(きょうじゅ)できないはずだ。


――なのになんで、俺をお化け屋敷に誘ったのだろう?


 2年3組の生徒は主に曲がり角で驚かしてくる。黒い長髪を振り乱す白衣の女、ゾンビメイクの男など、乏しいであろう制作費の中でよく頑張っていた。しかし真夏の肝試しで鍛えられた俺たちは、演者ががっかりするようなごく小さなリアクションをするのみだ。ごめんなさい、先輩方。


 そんなこんなでおおよそ3分の2を終え、後はごく僅かな距離を残すのみとなった。と、そのときだった。


 奈緒がぴたりと止まったのだ。


 俺もつられて足を運ぶのをやめる。


「どうした?」


 振り返って懐中電灯で奈緒の顔を照らすと、彼女はうつむいてまつ毛を震わせていた。


「私、最低よね」


 深刻な顔と声に、俺はまばたきする。


「え? 急に何だ?」


 奈緒の言葉は(しぼ)り出すようだった。


「私、あんなに宮古先生のこと好きだったのに。ずっとずっと、朱雀君をないがしろにしていたのに……。宮古先生にふられて、朱雀君に告白されてから、ずっと勉強が手につかないの」


 かつてないほど、その声音は奈緒らしくもなく沈んでいる。俺は懐中電灯の明かりを脇へ発散させた。


「飯田さん……?」


「宮古先生が駄目になったときは、本当に辛くて悲しかったけど、それでもこれから勉強に集中できると思い込んだわ。でもそうはならなかった。確かに成績は持ち直したし、表層的(ひょうそうてき)には効果あったけど……思い通りにはならなかった」


 奈緒が面を上げた。その声が湿っている。


「私、今まで毎日、朱雀君のことばかり考えてたの」


 俺は真剣になって耳を傾けた。奈緒が語を継ぐ。


「笑っちゃうよね、節操(せっそう)がなくてさ。一人ふられたら、すぐ次の一人に鞍替(くらが)えするんだから」


「飯田さん、それって……」


 奈緒は胸を押さえ、苦しそうに吐き出した。


「そうよ。私、今じゃ朱雀君が好きになってる」


 俺は瞠目(どうもく)した。暗闇の中、奈緒の声が切々(せつせつ)と響き渡る。


「私、もう何をしてても朱雀君だけを思い浮かべてる。私のことを見守り続けてくれた人のことを、心から好きになってる。ねえ朱雀君、私、馬鹿みたいな子でしょう。宮古先生への想いは嘘だったのかって、車を乗り換えるように平然と取り替えられるのかって、そう思うでしょう?」


 俺は全身の熱さを自覚した。


「飯田さん、そんなことはない。俺、嬉しいよ。飯田さんに好きだって言ってもらえて。……さっきから落ち着きなかったのは、その告白をしようかどうか迷っていたからか。とにかくここを出よう。もっと明るい、適切な場所で話を聞かせてほしいんだ。こんな暗い場所じゃなく」


 奈緒は震え声を出した。


「いや」


「何で?」


「泣いてる顔、見られたくないもの」


 そこまで口にして、奈緒は嗚咽(おえつ)をもらし始めた。『折れたチョーク』事件で、『同好会脱退』事件で、奈緒は心から泣いた。彼女は何かが壊れたとき、いつもこうやって号泣するのだ。人目をはばからず……


 俺は繋いだままの奈緒の手を力強く握り締めた。温かい、華奢(きゃしゃ)な感触が皮膚(ひふ)を通して伝わってくる。


「飯田さん――いや、奈緒。俺はどんな奈緒でも構わない。上手く言えないけど、俺は奈緒の味方だよ。いつだってね」


 奈緒が顔をくしゃくしゃにした。


「朱雀君、私、あなたにふさわしくない……」


 俺は苦笑した。


「それは俺が決めることさ。節操がない? なら俺と付き合って、その汚名を返上すればいいんだ」


「朱雀君……」


「さあ行こう。こんな暗い場所にいちゃいけない」


 俺は胸郭を満たす灯火を幸せだと感じた。手を引いて、再び歩き出す。奈緒は抵抗をあきらめたか、素直に従った。


「がーっ!」


 ここがお化け屋敷であることを失念していた俺は、待ち構えていた脅かしにあい思わず悲鳴を上げた。


「わっ!」


 思い切りのけぞり、背中が奈緒の顔面を直撃する。


「あいたっ」


 奈緒が鼻を押さえてうずくまった。俺は慌てて介抱する。


「悪りぃ、大丈夫か?」


 奈緒は(ほが)らかに笑みを浮かべた。


「……うん、何ともない。朱雀君も驚くときは驚くんだね。あ、今ので鼻水ついたかも」


 俺は背中をまさぐった。


「おいおい、マジか?」


「嘘よ、冗談」


 出口から外に出ると、先輩方がにやにやと俺たちを笑った。懐中電灯を受け取った一人が「会話、筒抜けだったよ」とささやいた。俺は頬に熱を感じ、奈緒は顔を真っ赤にした。




 俺の自由時間も残り少なくなった。トロフィーは相変わらず見つからず、しかし心は別のことで満足しながら、ひとまず生徒会室へ戻ることにした。


 ドアを開ける。鍵はかかっておらず、すんなり中に入れた。


「おうい、純架。純架、どこだ?」


 しかし純架も、彼を訪ねに行った元刑事の光井さんもいない。もぬけの殻だった。


「何だ純架の奴、さてはドアの鍵をかけ忘れて返却しに行ったな」


 ティッシュで鼻をかんでいた奈緒が気を利かせた。


「職員室にひとっ走り行ってこようか?」


 俺は賛意(さんい)を示そうと唇を開いた。


 そのときだった。


「がおーっ!」


 突如ロッカーの戸が開き、中から純架が飛び出してきたのだ。


「うおっ」


 俺は不意をつかれて喫驚(きっきょう)した。奈緒も驚愕(きょうがく)の声を放つ。


 純架は鍵をつまんで垂らしながら哄笑した。


「僕ならここだよ。びっくりしたかい?」


 俺は中っ腹で返した。


「当たり前だろ! ……何してたんだ、お前」


「何、犯人の手口を解明しようとしただけだよ。これで、このロッカーの中に入って隠れることができると実証されたわけだ」


 俺たちが生徒会室に戻らなかったら、こいつはずっと隠れたままだったのか? 俺は純架の奇行愛好家ぶりを情けなく思った。

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