108消えたトロフィー事件13
俺は奈緒と共に、生徒や一般客が往来する廊下を歩いていった。しかしこのシチュエーション、思いっきりデートのような気がする。純架への気遣いはあっさり塗り替えられ、俺は二人きりの甘い雰囲気を楽しんだ。
奈緒はトロフィーを探す気があるんだかないんだか、俺を誘った。
「文芸部の友達が文集売れなくて困ってるって言っててさ。買いに行こうよ」
「どんな内容なんだ?」
モノによるわな。奈緒は人差し指をあごに押し当てて記憶を呼び覚ます。
「恋愛小説とかエッセイとか、色々詰まってるみたい。500円だって」
「高いな」
「その代わり分厚いんだって」
「よし、分かった。行ってみるか」
文芸部は旧校舎2階にある。その道すがら、俺たちは懐かしい人物に出会った。
「あっ、光井さん!」
「やあやあ、お二人さん。お久しぶり」
元県警刑事部捜査第一課の刑事で、『変わった客』事件の主役だった人物、光井さん。好々爺といった風情で、白い口髭をたくわえている。紺のジャケットを着用しているが、それはだいぶ年季の入ったものだった。
奈緒が頭を下げた。
「学園祭、見に来てくれたんですね」
「若い人たちにパワーをもらいに来たんですよ。……とはいいつつも、実はこっそり桐木君たちの顔も見たくてね。お邪魔させてもらいました」
俺は和やかな気分に浸った。と同時に、これはまたとない機会だと捉える。
「実は今、俺たちは難題を抱えていまして……。光井さんは元刑事でしたよね? ぜひ事件のあらましを聞いていただいて、感想などもらえるとありがたいのですが」
「ほう、それは面白そうですな」
俺たちは落ち着いて話すために2年3組のメイド喫茶を利用した。ベタな出しものだったが、本物のそれより遥かにサービスが悪いので、会話の邪魔をされることはなく、その点は感謝した。
俺は15分ほどかけて白鷺トロフィーの紛失について洗いざらい打ち明けた。もちろん小声である。光井さんは66歳とは思えぬ集中力で、相槌を打ちながら耳を傾けた。時にメモを取る。
全て話し終えると、光井さんは髭を撫でた。
「いや、不思議な事件だ」
紙コップのコーヒーを一口すする。
「やはり周防君が怪しいとしか言いようがありません。彼を追い詰められる証拠などはないのですか?」
「それが全く。あるのは周防生徒会長が潔白だという証言だけです」
「桐木君は何と?」
「いや、まだ生徒会室に居残って、あれこれ考えているようですね」
「彼に任せるしかありませんな。私はお手上げです。何せ現役を離れてから久しくて、勘も鈍ってしまいまして……面目ありません」
奈緒が恐縮した。
「いえいえ、とんでもない! 私たちのことを気にかけていただいて、ありがとうございます」
光井さんが苦笑した。
「なんだかわくわくしますね。桐木君の話も聞きたくなりました。生徒会室の場所をご教示いただけますか? ぜひ会って私にできることをしたいのです」
「すみません、ありがとうございます」
俺たちは廊下で光井さんと別れると、改めて文芸部へ向かって歩き出した。奈緒が嬉しそうに言った。
「光井さん、元気で良かった。やっぱりまた『シャポー』に顔を出してるのかしら」
「そうならいいな」
奈緒の知り合いらしい女子三名が通りすがりに声をかけてくる。奈緒は二言三言言葉をかわし、快活な笑みを振りまいた。
彼女らと別れ、更に歩を進める。売店で買ったのであろうアメリカンドックを頬張りながら、男子数名が脇を通過した。
俺は連絡通路を渡りながら奈緒に問いかけた。
「そういえば勉強の方はどうだ? はかどってるか?」
奈緒は何かに気を取られているかのように、上の空で答えた。
「全然」
とりあえずなされた返答に、俺は首を傾げる。
「あれ、おかしいな。宮古先生に当たって砕けて、今度こそ学問一筋になったんじゃないのか?」
奈緒は窓外を一瞥しながらつぶやいた。
「何よ、他人事みたいに」
「え?」
そこで文芸部の部室に到着した。
長い机に文集がうず高く積み上げられている。昨日の今日でまだ数十冊残っているようで、なるほど確かに売れ行きは悪そうだ。
「あっ、飯田じゃないか」
女子部員たちの中の、上級生らしいぽっちゃりした女子が手招きした。奈緒がその側へ小走りで歩み寄る。
「桧垣先輩、文集を買いに来ましたよ」
「そうこなくちゃ。にしても彼氏連れとはやるな、飯田」
おっ、いいこと言うね桧垣先輩。
奈緒は嬉しそうに否定した。
「違いますよ」
「まあいいや。二人で二冊だな?」
「はい」
俺は財布から500円玉を取り出し、桧垣先輩に渡した。
「毎度あり!」
受け取った文集はなるほど確かに分厚く、読み応えがありそうだ。表紙には『白鷺の翼』と明朝体で書かれている。ぺらぺらめくってみた感じでは、さすがにプロ級とは言えないものの、それなりに上手い挿絵が挟まれていて、なかなか豪華だった。
「この絵も文芸部が?」
桧垣先輩は笑った。
「まさか。漫画部に協力してもらったんだよ。あっちはもう漫画誌を作って完売してるそうで、悔しいったらありゃしないね」
奈緒は微笑んだ。
「協力できて良かった。それじゃ頑張ってください、桧垣先輩」
「なんだ、もう行くのか?」
「せっかくだから早速どこかで読ませていただきます」
「そうか。じゃあな、飯田」
奈緒と一緒に、俺は教室を出た。
「座って読みたいな。屋上行こうよ」
新校舎に戻って階段を上る。屋上なんて『タカダサトシ』事件以来だ。そういえばあの二人――真島と華原は、その後仲良くやっているだろうか。
ぽかぽか陽気の屋外は人だらけだった。生徒と一般客が7対3ぐらいの割合で腰を下ろし、食べ物をつまみながら話に華を咲かせている。
「満席だな」
俺の言葉に、奈緒は一方を指差した。
「端の方が空いてるよ。行こう」
俺たちは並んでコンクリートブロックに座った。穏やかな風は秋の香りを乗せて、広い屋上をのんびり通過していく。文集の目次を見ながら、俺はさっきの会話を思い出して質問した。
「そういえばさっき、『何よ、他人事みたいに』とか言ってたけど……。俺、何かしたっけ――飯田さんの成績が落ちるような真似」
奈緒はこちらを見ずに答えた。
「何もしてないわ。私の問題よ」
「え、ちょっと意味が分からないんだけど」
奈緒は文集を買い求めたときのはっきりした物言いから、また曖昧な、心ここにあらずの口調に戻っている。先程から何を気にしているんだろう?
俺は返事がないので黙って文集を読み始めた。この前の『同好会脱退』事件の際、純架が俺に突きつけた小説原稿は、とてもひどくて読めた代物ではなかった。それに比べると、この文集の著者たちは読ませる術を心得ている。
俺が感心していると、奈緒が誰にともなく言った。
「へえ、この主人公、最後に告白するんだね」
俺は奈緒が目を通しているのと同じページを開いた。少し巻き戻して読むと、どうやら恋愛小説らしい。奈緒が続ける。
「でもふられておしまいなんだ。……そうね、現実は上手くいかないものね」
俺は「完」の文字を眺めながら相槌を打った。
「妙にリアルというか、説教くさいというか……。何か今の辰野さんと英二、それから菅野さん、三人の関係を思い出すなあ」
奈緒が興味を示した。
「え、何で? その三人、こじれてるの?」
おっと、英二が日向を好きなのは内緒だったっけ。
「いや、何でもない」
奈緒は追及しようとしなかった。やはり落ち着かない表情で文集を閉じる。




