107消えたトロフィー事件12
ちょうど開始から1時間半、交替の時刻だ。戻ってみると、『肩叩きリラクゼーション・スペース』は好況を呈していた。十数人の客が教室の外の椅子に座り、自分の番を渇望している。入ってみると、奈緒が受け付けに従事していた。
「待ってたよ」
そう歓迎して両腕を天に伸ばし、凝った背中の筋肉をほぐした。結城が奈緒をねぎらう。
「お疲れ様でした。代わります、飯田さん」
「ありがとう。お願いね」
衝立の向こう側に入る。純架が客を送り出す瞬間だった。彼は俺たちに気づくと、仕事からの解放感に包まれたようで、奈緒同様体をひねって血行をよくした。
「やっと僕の出番は終わりだね。やれやれ疲れたよ。指が痛いね」
その目が謎を追及する探偵のそれになる。
「じゃ、英二君、後は頼んだよ」
英二は純架と拳を合わせた。
「おう。トロフィー、絶対見つけろよ。『探偵同好会』の威信にかけてな」
純架は点頭した。
「もちろんさ」
俺と奈緒を引き連れ廊下に出る。
「じゃ、行こう、楼路君、飯田さん。時間との勝負だ、一分一秒も無駄にできないよ」
「それなんだがな純架。内密の話だけど、実は俺、昨日周防先輩に呼び出されてさ……」
俺は今朝の登校中に話さなかったこと――周防先輩との昨夜の会食について、ここでぶちまけた。周防先輩が俺を信頼してこっそり話してくれたことを、純架たちに教えるのは気まずかった。気まずかったが、しかし事件解決の一助となりそうなこの情報を、胸に秘めたままにするのは気が引けたのだ。
「そんなことがあったんだね。そうか、『生徒たちの白鷺祭に対する情熱が足りない』か……。あの生徒会長、白鷺祭に鬱憤がたまってるんだね」
「どう思う?」
「そうだね、犯人の動機としてはかなり具体的で理解できるものだと思う。『生徒たちを笑殺』とはね。……でもこれまで調べた限りでは、彼は犯人じゃないんだ。困ったことにね。そして周防先輩はそのことを承知していて、だから調子に乗って楼路君に動機を話したんだと思う。誰かに叩きつけたかったんだ、自分の考えを」
奈緒がいらついている。
「こうなったら周防先輩をひっ捕まえて拷問にかけたら? 私のくすぐり拳なら笑いまくって耐え切れず、すぐ真相を吐くと思うけど」
俺は肩をすくめた。
「んな無茶な」
純架が手近にあったパイプ椅子を引き寄せ、その上に前後逆向きでしゃがみこみ、背もたれを掴んだ。喉も裂けよとばかりに絶叫する。
「竹馬っ!」
やめてくれ。周囲の目がある。恥ずかしい。
「楼路君、飯田さん、ちょっといいかい。職員室へ行って、少し聞きたいことがあるんだ」
先生方は生徒のみの昨日こそ学園祭を楽しんでいたが、一般客の来場する今日はそんなわけにはいかないようだった。職員室は閑散としており、俺たちに応対したのはベテランの高津川先生だった。灰色の石の塊を載せたような髪型で、目尻にしわと染みが浮いている。腰の手術をしたばかりで杖をついて歩いていた。
純架はくたびれたように肩をもむ高津川先生に『肩叩きリラクゼーション・スペース』の利用を薦めてから、おもむろに切り出した。
「生徒会室の戸棚、あれはいつ設置されたものなのか分かりますか?」
「また妙なことを聞くね。それも『探偵同好会』の捜査の一環かい?」
「ええ、まあ」
先生は深呼吸のようにゆっくりと息を吐く。
「あれはそうだね、恐らく旧校舎が落成して開校となった際――つまり40年前だな――生徒会室にトロフィーや盾をディスプレイするものが欲しいとなってね。それで購入されたものらしいよ。というのは、わしはその頃はまだ大学生で、設置の経緯などは教師になってこの高校に赴任してから人づてに聞いただけでね。その場にはいなかったからよく知らないんだ」
純架はいっこく堂のように「時間差腹話術」で質問を重ねた。
器用だな。
「では、その戸棚が今の新校舎一階の生徒会室に搬入されたのはいつですか?」
「20年前、新校舎が建設されて間もない頃だね。教育の拠点を新校舎に移すために、盛大な移動が行なわれたんだ。いやあ、あれは大変な騒ぎだったよ」
「その搬入を主導したり手伝ったりした人間は分かりますか?」
高津川先生は苦笑した。
「まさか。当時の引っ越しには生徒も駆り出されているからね。記録が残っているわけでもなし、今更調べられないよ」
純架は軽い落胆を覚えたか、肩を上下させた。
「では、当時から今もこの高校に在籍する先生はいますか?」
「わし以外にはおらん。わしはその頃には古参として教鞭を振るっていたけど、戸棚の移動を手伝ってはいないな」
「つまり、生徒会室の戸棚を知悉している人間は、現在は皆無ということですね」
「まあそうなるな」
純架は何を思ったか、満足そうにうなずいた。
「……ありがとうございます。生徒会室をもう一度調べたいので、鍵を借りたいのですが」
純架は俺と奈緒を引き連れ生徒会室にやってきた。森閑として別世界のようだ。俺はうんざりした。
「またここか」
奈緒が呆れたように不平をもらす。
「桐木君、散々調べたんでしょ? もう目新しいものは何もないと思うけど」
純架は気にしない。
「犯人の気分になるんだ。どうやってこの部屋に侵入し、トロフィーを盗み出して、その後どうやって持ち出したか。一連の流れを、ありありと想像できるぐらいにね」
「ばっかみたい。そんなんで犯人が捕まえられるわけないでしょ」
「まあまあ、飯田さんも協力してよ。君も同じ『探偵同好会』の一員なんだから」
奈緒は首を振った。
「私には無理よ。ねえ朱雀君?」
俺は同意した。
「淡木先輩の証言では窓は全て塞がっていたし、ドアも鍵がかかっていた。完全な密室だったんだ、ここは。更に昼は生徒の目が、夜は警備員の巡回があった。ドアを開け、戸棚のガラス戸の鍵を開けてトロフィーを持ち出し、誰にも見つからずにどこかへ立ち去るなんて、到底不可能だ。俺たちには手に負えないよ」
純架は憂愁の色が濃かった。
「そんなことは分かってるよ。だからこそ考えるのさ。細くて小さい抜け穴を探し出すために」
時計の音が大きくなる。純架はパイプ椅子に座り、長机に頬杖をついて長考した。時間は刻一刻と過ぎていく……
奈緒が焦れた。
「もう、しょうがないな。ねえ朱雀君、桐木君は放っておいて、私たちだけでトロフィーを探しに出かけようよ」
俺は賛同しかねた。
「でもなあ……。純架に全責任をおっかぶせるのは気が引けるよ」
「いいのよ、事件の謎は桐木君に任せれば。問題はトロフィーよ。私たちは別に犯行の経緯を明らかにするよう頼まれたわけじゃないわ。ずばり言えばそんなのどうでもいいのよ。大切なのはトロフィーを閉会式までに回収することなんだから。そうでしょ?」
「あ、ああ。言われてみれば確かにその通りだ」
「行こう、朱雀君」
俺は頭をガリガリかく純架に伝えた。
「……ということなんだけど、純架はどうする?」
純架は上の空で答えた。
「僕はこの部屋で犯人になりきるんだ。退屈なら、君たちはよそを探したまえ」
根が生えたように動かない。俺はため息をついた。
「そっか。じゃ、悪いが俺たちは行くわ」
奈緒がドアを開けつつ振り返る。
「桐木君、そうやって一日中そこで考えてなさい。行こ、朱雀君」
純架は不明確な輪郭の台詞を吐いた。
「一日中、か……」
俺は純架の横顔が急激に変化していくのに気がついた。目の色が変わり、興奮だろう、頬が赤く染まる。
だがその変貌を最後まで見届けることはできなかった。奈緒に手首を掴まれ、引っ張られたからだ。俺は後ろ髪引かれる思いで、生徒会室を後にした。




