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106消えたトロフィー事件11

 俺と英二が気を使って廊下の壁際を歩いていくと、背後から聞き慣れた声が追いかけてきた。日向と結城だ。日向はやる気を全身から発散させていた。


「トロフィー捜索なら私たちも手伝いますよ! 私たちも『探偵同好会』の一員なんですから」


 英二がいつになくだらしない態度で日向を見つめている。しょうがない奴だ。俺は一肌脱ごうと女子二人に話しかけた。


「なら英二と辰野さんでペアを組んで捜査してくれ。俺は菅野さんと回るよ」


 英二はこの案に一も二もなく飛びついた。


「分かった。行くぞ、日向」


「えっ、はい、分かりました!」


 二人が階段へ消え去ると、結城は長い息を吐いた。


「私が英二様のメイドなのに……」


「まあいいじゃない。俺たちも行こう、菅野さん」




 トロフィーが学校外に持ち去られているなら、俺たちの巡回も意味をなさなくなる。かといって制限時間まで何もしないというわけにはいかなかった。今回は先生方の期待が桁外(けたはず)れに大きいのだ。今頃きっとせせら笑っているであろう犯人に、何としても鉄槌(てっつい)を下さねば気が済まなかった。


「おや、君たちかい」


 警備会社アルコムの警備員、向井五郎さんが声をかけてきた。この前同様警備員の紺の制服に身を包んでいる。


「向井さん、今日は昼出勤ですか?」


 向井さんは(ほが)らかに笑った。顔がしわくちゃになる。


「ああ、何せ今日は一般客が来場しているからね。この学校の警備を任された我々としても、間違いが起きないよう注力(ちゅうりょく)せざるを得ないんだよ。今は僕の他に二人、校内を見回っているはずだ」


「不審者でも出るというのですか?」


「出さないための重石(おもし)だよ、我々はね。……それより」


 耳打ちしてきた。


「くだんのトロフィー、まだ見つからないのかい」


 俺も声量を減じる。


「はい、面目ありません」


 向井さんがやわらかく俺の上腕を叩いた。


「頑張りなさい。(くじ)けちゃ駄目だ」


「ありがとうございます」


 その後、俺と結城は校内を歩き回った。だがトロフィーが見つかったり怪しい人物が何かしているといったことはなかった。食の売店も研究発表も、お化け屋敷も文集販売も、全てつつがなく接客している。


 俺は結城が時間の経過と共に、そわそわと落ち着かなくなっていく様子をつぶさに見た。


「菅野さん、ひょっとして英二が気になるのか?」


 結城は自分の焦燥(しょうそう)が何に由来するものか、俺にぴたりと言い当てられて狼狽(ろうばい)した。が、それは半瞬のことで、すぐ冷静な自分を取り戻す。


「はい、英二様は私の大切なご主人様ですから。私が護衛についていなくて、本当に大丈夫でしょうか……?」


 俺はかねての疑問を直球でぶつけてみた。


「英二のことを好きとか?」


 結城は絶句したが、すぐ顔の筋肉を駆使して冷笑に持っていく。


「私と英二様は主従の関係です。好きとか嫌いとかいった次元の関係ではありません。我が菅野家が三宮家に仕えてきた連綿たる歴史が、私の血肉を作り上げているのです。申し上げてもご理解なされないと思いますが」


 俺は仮定の話を持ち出してみた。


「じゃあもしも、もしもの話だけど……。英二が辰野さんのことを好きだったらどうする? やっぱり応援するの?」


 結城はもはやうろたえなかった。


「英二様が辰野さんを好きになるはずがありません。しもじもの者に懸想(けそう)するなど、英二様に限ってそんなことはないと断言します」


「昨日、英二が辰野さんを見る目を、何かおかしいと(かん)づかなかったか?」


「…………」


「ま、俺には関係ないからいいけどさ。菅野さん、うっかりしてると辰野さんに英二を取られるかもよ」


 結城は答えず、ただ無音で唇を噛み締めた。




 そうこうしているうちに校門に辿り着いた。やはりトロフィーは影も形も見当たらなかった。


 校門すぐの場所に、ダンボールでできた巨大な樹のアーチが架けられている。『樹の大門』だ。風に飛ばされないよう、太い根元は更にコンクリートの重石で押さえつけられている。茶色のペンキ一色で染められているが、全体的に精巧さに欠けていた。


「情熱、か。確かにだらしないかもな、白鷺祭」


「これは生徒会が製作したもののはず。ずさんとしか言い様がないですね」


 そこで英二と辰野の二人が合流した。


「どうだ結城、何かおかしな人なり出来事なりに遭遇(そうぐう)したか?」


「いいえ、全く」


 日向がスマホの画面を見た。


「もうこんな時間。私、そろそろ新聞部に顔を出さなきゃ。失礼しますね、皆さん」


 英二が激励(げきれい)する。


「そうか。頑張れよ」


「ありがとうございます」


 結城は心情を計り知れぬ横顔で日向を見送った。


 英二は腕時計の三本の針に目を落とした。


「まだ時間があるな……。たこ焼きでも食うか」


 俺は賛成した。


「二番手は英二だからな。肩叩きの前に腹を膨らませておくに越したことはない。俺も付き合うぜ」


 結城が気を利かせた。


「私が買ってきます」


「頼んだ」


 売店に向かう結城を眺めながら、俺と英二は芝生に腰を下ろした。この一時間二十分、お互いトロフィー捜索に全力を傾けていたのだ。それなりに疲れていた。


 昨日に続く快晴の下、人出は多く、皆和気藹々(わきあいあい)と各種催し物を楽しんでいる。親子連れや老婦人が目立った。他校の制服を着込んだ若者も多い。彼らが見せる笑顔をぼんやり眺めていると、まるで桃源郷に迷い込んだような錯覚に捉われた。


 英二が言いにくそうに切り出す。


「悪いな、楼路。昨日といい今日といい、気を使ってくれたんだろ? 俺と辰野を組ませるなんて」


「皆で海に行ったとき、二人きりにさせるって約束したからな。それでどうだ、進展はあったか?」


 俺の好奇心からの問いに、英二は何とも名状しがたい顔をした。


「それがさっぱりだ。一応世間話には応じてくれるが、心から笑ってはくれないんだ。透けて見える、というのかな。俺に対して薄皮(うすかわ)一枚拒絶しているのが感じられるんだ。だから笑みもぎこちない。あれは何なんだろうな」


「ただ単に、異性から好意を向けられることに戸惑ってるだけじゃないのか? 辰野さん、男と付き合ったことなさそうだから」


「どうなんだろう。俺も15年生きてきているが、女心という奴はよく分からん」


 俺はあぐらをかいた。


「何にしても押し切った方がいいんじゃないか? 多少強引でも自分のペースに持ち込む。主導権を確保する。多分そうした方が上手くいくぞ。勘だけどな」


「ふん、飯田と未だに交際できてないくせに、よくもまあぺらぺら喋ることだ。お前の妄想(もうそう)は当てにならん」


「悪かったな」


 そこで結城が戻ってきた。紙箱を二つ、両手で抱えている。


「たこ焼きを買ってまいりました。英二様、朱雀さん、どうぞお召し上がりください」


 いい匂いが漂ってきて、俺の腹は恥ずかしい音を立てた。せわしなく受け取ると、暴れまわる食欲を御しつつ爪楊枝(つまようじ)を指でつまむ。口の中に放り込むと、熱くて舌を火傷(やけど)した。


「どうした結城、自分の分は買ってこなかったのか?」


「私はお腹が空きませんので」


 しかし先ほどの俺同様、結城の飢えがはしたない音で明らかとなった。彼女は赤面してうつむく。英二が笑った。


「何だ、空きっ腹じゃないか。俺のをやるから食え」


「しかし……」


「いいから」


 爪楊枝を突き刺したたこ焼きを、メイドの少女の口元に近づけた。


「ほら、食え。命令だ」


 結城は刹那(せつな)逡巡(しゅんじゅん)の後、思い切って口を開いた。含羞(がんしゅう)の色があった。


 英二のたこ焼きが結城の口に入る。彼女は口を閉ざし、行儀よく咀嚼(そしゃく)した。


「ありがとうございます」


「美味いか?」


「はい、おいしゅうございます」


 恐らく結城は、たこ焼きをしもじもの作った食べものとして見下しているのだろう。英二が口にするものではないとも考えているに違いない。だがご主人様の手前、そうと評したり拒絶したりはできないようだった。


 俺たちはたこ焼きをたいらげると、時間になったので部室へ向かった。

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