105消えたトロフィー事件10
周防先輩が聞いてくる。
「君はここでアルバイトをしていたんだな。お勧めはあるかい?」
俺はメニューを開いて指し示した。
「ここはオムライスが美味いんです。ぜひ食べてみてください」
「そうしよう」
周防先輩が注文する間、俺は窓外を眺めていた。道路は空いていて、車のライトが高速で流れていく。
剣崎さんが離れ、周防先輩はメニューを閉じた。俺は話をうながした。
「それで……」
「話は簡単だ」
お冷で口腔を湿らす。
「いったい『探偵同好会』はどこまで捜査を進めているのか、ということだ」
俺は半ば予期していたこの質問に、別段隠す必要もないと、明け透けに答えた。
「全然です。少なくとも俺はまるで五里霧中です。……というか、そんなこと純架に聞いてくださいよ。俺は学校の成績はともかく、こと推理にかけては純架の遥か後ろを追走する体たらくですから」
周防先輩は断定した。
「桐木君は教えてくれないだろう」
「何でそう決め付けるんです?」
「いや、何、彼が僕を疑っているのではないかと思ってな。淡木君から聞いたところじゃ、どうも僕が彼女に生徒会室の鍵を開けさせたり、窓の鍵を確認させたりしたことまで知ったようだし。それなら僕に猜疑の目を向けるのも仕方ないかな、てな」
淡木先輩は俺と純架が聞き込みに来たことを周防会長に告げ口したらしい。まあ別にいいけど。
「ええ、確かに純架は周防先輩を疑っているとはっきり言ってました」
周防先輩は首肯した。
「やっぱりな。それで、どこまで調べてる? 桐木君の相棒である君なら知っているはずだ」
「いや別に。ただ純架の奴、周防先輩はトロフィーを盗んだ人間ではないとも言ってました。やっぱり生徒会室のドアの鍵を破れないという点に着目したようです」
「そうか……」
周防先輩はあからさまに安堵している。俺は純架の意見――「周防先輩が犯人である」という部分を信じたくなった。
「明日の閉会式がタイムリミットですが、もしトロフィーを取り戻せなかった場合、式はどうなるんですか?」
周防会長が答えようとするまさにそのとき、先に出来上がったオムライスを春恵さんが持ってきた。先輩は口をつぐんだ。
「5ヶ月ぶりだね、朱雀君」
「その節はお世話になりました。長男が誕生したそうで、おめでとうございます」
「馬鹿ね、次男よ」
春恵さんが去ると、周防会長はオムライスに手をつけずに語り直した。
「トロフィー授与は省かれ、当然賞状の受け渡しだけとなるな。まあ今の腐った生徒たちには、トロフィーの有無なんてどうでもいい話だろうがな」
生徒会長らしからぬ発言だ。俺は反駁した。
「別に腐っちゃいないと思いますが……」
周防先輩の両目が危険な光彩を得る。
「いや、腐ってるな。根元から、な」
語気を強めた。
「白鷺祭は渋山台高校創立直後より始められた、四十年もの伝統ある学園祭だ。僕の父もこの渋山台高校出身でな。二十年前に僕同様に生徒会で汗を流し、白鷺祭を実りあるものにしようと、仲間たちと切磋琢磨した。そうして出来上がった催し物は、大勢の来客で大変に賑わい、華やかに進められたという。生徒も来場者も笑顔にあふれた、いい時代だった」
そうなのか。改めて歴史の重みを感じる。
「へえ……」
周防先輩は吐き捨てるように言った。
「しかし、最近の……特に今回の白鷺祭はどうかね。生徒は自主性もなくありきたりな出し物に取りかかり、何ら情熱を抱くことなく教師陣の言いなりだ。そこに進取の気風はなく、退嬰と堕落の心持ちしか見出せない。もしこれが絵画展なら、どの絵も小学生が描いたような三文の値打ちもない代物ばかりとなるだろうな。僕はね、朱雀君」
両手を組み合わせ、俺の目をまっすぐ見つめる。
「失望しているんだよ。このちゃちな学園祭にね」
俺はスパゲッティが来ても手をつけられなかった。
「そんなこと言われても……。一応うちのクラスもダーツ喫茶を頑張ってますし、俺は俺で『探偵同好会』の肩叩きに奮闘してますよ。他の教室だって、それほど悪い評判は聞きませんし」
周防先輩は鼻笑した。
「僕もそれは最高責任者だ、色々見て回ったよ。君のクラスのダーツ喫茶もね。まあ確かに頑張ってはいる。頑張ってはいるが……ほとばしるような熱意や主張は感じられないな。この程度でいいや、という、来場者を舐めた態度が見え隠れして気分が悪かったよ。君はそう思わないかい?」
「…………」
「朱雀君、僕はね……白鷺祭の象徴たる白鷺トロフィーが失われたと聞いて、もっと怒る生徒が出てきてもおかしくないと思っていたんだ。先生方は何をしていたんだ、生徒たちの宝を守り切れないなんて……といった具合にね」
まつ毛を伏せる。
「だが現実はどうだ。シンボルを盗難されても誰も声を上げない。そうですか、と了解しておしまいだ。むしろ先生方の方が危機感を持っていた。だから猫の手も借りたいと、君たちに依頼までした。そうだろう?」
「いや、トロフィー紛失は俺や『探偵同好会』、生徒会とか、一部の生徒しか知らされていないはずですよ」
「その一部の生徒のことを言っているんだよ。なぜもっと嘆かない? なぜもっと憤らない? ……それは熱がないからだ。自分たちの采配で物事を展開できる学園祭という行事を、この大事なイベントを、羽毛のように軽んじているからだ」
握り拳で机を叩く。凄い音がして、周囲の視線が集まってくるのが肌で実感できた。
周防先輩はもはや笑顔などどこかに置き忘れたまま突っ走る。
「トロフィーを盗んだのは僕ではない。ただ、僕には犯人の気持ちが分かる。犯人は天誅を下したのだよ。やる気のない自堕落な、腐り切った生徒たちを嘲笑うために。『ここまでされても、何の行動も起こさないんだろう?』……そんな問いかけをするために」
重々しく舌を動かした。
「犯人の行動は白鷺祭を混乱させるものではない。実際、薄汚れた白鷺トロフィーが消え失せても、祭りは無関係に流れていっている。犯人は白鷺祭をぶち壊したりはしない。ただ笑殺するのだ。頭をもがれたまま動き回る手足を。その滑稽な姿を、な。犯人の狙いは、まさにそれだ」
そこまで一気に述べると、周防先輩はスプーンを取ってオムライスをすくって食べた。俺はしばしその様を眺めてから、思い出したようにスパゲッティに手をつける。
周防先輩が俺を呼び出したのは、『探偵同好会』の、というより純架の捜査状況を確認するためだけではない。今の演説をぶつ相手――聞き役がほしかったのだ。
もちろんこれは、トロフィーを盗む有力な動機となる。それを百も承知で周防先輩はがなり立てた。自分が犯人と断定されないであろうことを確信しての行動だろう。
俺と先輩は黙々と食事を終えると、確かに先輩のおごりで店を出た。二人とも、別れて帰っていくまで二言三言しか喋らなかった。
白鷺祭は二日目、最終日を迎えた。
青柳先生が頑張ってくれたらしく、部室を訪問してきた田浦教頭は「男子だけで来客の肩を叩くなら許可する」という決定を伝えてきた。俺も純架も、他のメンバーもひとまず安心した。
さてそうなると男子の活動順番の決定となる。俺も英二も純架が真っ先に一時間半をこなすべきだと訴えた。純架は頭の上に煙でハテナマークを作った。
漫画かよ。
「なんで僕をトップバッターにするんだい?」
英二は腰の左右に両手を当てた。
「決まってるだろ、白鷺トロフィーの捜索があるからだ。俺と楼路も一応頑張るが、お前ほど切れ者じゃないんでな。閉会式まで悪あがきするにはこうするしかない」
「そこまで卑下するもんじゃないよ」
しかし、結局純架、英二、俺の順に当番をこなすことに決まった。女子は奈緒、結城、日向の順番で受付を担当する。
俺は楼路と共にトロフィー探しに出かけることになった。純架が俺たちの背中に声をかけてくる。
「じゃ、『チームエロじじい』、頑張ってきたまえ」
英二が振り向いて口を尖らせる。
「何だ、そのふざけた名前は」
俺は奇行慣れしているためか、冷静に分析できた。
「英二と楼路で『エロじじい』か」
もちろんそれで怒らないわけもない。
「ふざけんな!」
午前10時。昨日肩叩き――というか、まどかの治療術――に与れなかった人や、二度目三度目の施術を楽しもうとするリピーターで、早くも部室前の廊下には行列が出来ていた。




