103消えたトロフィー事件08
純架はタップダンスを始め、モールス信号で「お疲れ様です」と発信した。
普通に喋れ。てか、俺もよく解読できたな。
「お帰り!」
奈緒が衝立の奥からくたびれた笑顔を見せた。
「まどかちゃんのおかげで盛況だったよ。『本当に肩凝りが取れる』って大評判。明日も稼ぎまくろうね」
百円玉が入った小型金庫を振り、多重の金属音を鳴らす。俺は微苦笑した。
「アンケートは? 俺らしがない生徒には、回収される売り上げよりそっちの方が気になるけど」
「きっと皆いい評価をくれてると思うよ」
アンケート用紙はケースに投じられている。その中を見ることはできない。
まどかが肩をもんだ。
「ああ、疲れた。幽霊でも疲れるんやな」
純架が微笑む。
「ご苦労さん、白石さん。でもまだ明日もあるからね」
「あ、忘れとった」
奈緒はすっかり浮かれていた。
「それにしてもここまで人気になるとは思わなかったな。噂を聞きつけて先生方まで来たし。改めて、最初のお客だった校長に感謝だね」
そこへ英二と日向、結城の三人が戻ってきた。皆浮かない顔だ。俺は尋ねた。
「どうした、敗戦処理の投手みたいな面して」
英二は俺の冗談にくすりともしなかった。
「おい、お前ら、残念だな。探偵同好会の肩叩き、明日は禁止になったぞ」
この発言に、室内の全員が目を白黒させた。奈緒がいち早く立ち直る。
「ええっ? 何でよ。あんなに評判だったのに!」
結城が申し訳なさそうに返答した。
「先生方が相談して、この『肩叩き』が風俗業に似通っているとの判断が出て、明日の一般客相手の開催を許可しないつもりらしいのです。もちろん英二様も私も辰野さんも一斉に抗議しました。でも私たちに知らせに来た田浦教頭は、一切応じなくて……」
まどかがむっつりと膨れる。
「何やそれ? 単なる肩叩きやのに、反応が大げさすぎるわ」
奈緒も憤っている。
「そんな、土台からひっくり返すようなことを急に言われても……。あれだけ賞賛浴びたのに、ここでやめるなんて馬鹿馬鹿しいにもほどがあるわ。私、先生方に抗議してくる!」
純架は奈緒のフレーズの一部を繰り返してもてあそんだ。
「土台からひっくり返す、か。土台から、ねえ。土台から……」
純架の目が異様な輝きを発する。まるで目の前の虚空に何かの答えを見出したかのようだった。
「土台から!」
純架の顔に赤みがさす。俺は不思議な反応を示す純架を問いただした。
「おい、どうした純架」
「ちょっと失礼するよ!」
純架は脱兎のごとく部屋を飛び出していく。あっという間の出来事だったので誰もついていけなかった。
英二がつぶやくように言った。
「何か勘づいたんだろう。放っておけ、どうせすぐ戻る」
日向が奈緒の腕を抱き締めた。
「先生への抗議、私も行きます。お役に立てるかどうか疑問ですが……今度こそ肩叩きを認めさせます」
俺は胸を叩いた。
「飯田さん、俺もついていくよ」
英二が請け合った。
「辰野、一緒に行こう」
結城は複雑であろう胸中を隠して、けなげに小声で追従した。
「英二様が行くところ、どこまでもついて参ります」
結城はやっぱりご主人様である英二に惚れているんだろう。でも英二は日向しか見ていない。俺は気の毒に思ったが、特に気の利いた立ち回りもできず、出発する仲間たちを無言で追いかけた。
職員室は一日目の終了で気を抜いた先生方が雑務をこなしていた。俺たちの担任の宮古先生は不在で、代わって青柳先生が応対に当たってくれた。ややきつい眼光で、黒い髪の毛をオールバックにし、あごに無精髭を生やしている。
「お前さんらの気持ちも分かるが、こればっかりはしょうがないな。諦めろ」
こちらが抗議する前に、その余地はないとばかりに突き放してくる。その一方的な態度に奈緒の口調が険しくなった。
「先生だって肩叩きをしてもらったくせに。『凄いよく効いたよ、ありがとう』っておっしゃってたじゃないですか」
青柳先生は困ったように頭をかいた。
「それを言われると返す言葉もないが……。もう決まったことだ。ここで無為に時間を潰すより、明日代わりに何をやるか議論していた方が建設的だろう」
英二が一歩前に出た。真剣な瞳が宝石のように光る。
「俺――僕は先ほど教頭先生から聞かされましたが、納得いったわけではありません。今から催し物を変えるなんて時間的にも無理です。再考をお願いします」
青柳先生の考えは頑強だった。
「JKビジネスと誤解されるような出し物を野放しには出来ないんだよ。女子高生が一般客にマッサージだなんて、保護者が見たら何とクレームをつけてくるか……。可哀想だが許可はできんな」
日向は落胆した。
「そんな……」
その直後だった。
「失礼します」
職員室の中に入ってきたのは純架だった。片手に鍵を握っている。
彼の目は熱に浮かされたようにきらきら輝いていた。頬っぺたは血の気が巡り、一見して何か興奮することがあったものと思われる。事件の捜査が進展したとでも言わんばかりだ。
「やあ皆、おそろいでどうしたんだい」
俺は呆れて答えた。
「見りゃ分かんだろ、肩叩きの出し物禁止への苦情だよ」
純架はどこかの鍵を返却し、記録帳にペンを走らせた。再び顔を上げたときには、すっかり元の純架に戻っていた。
「青柳先生、話はどこまで?」
教師は背もたれに上体を預ける。
「明日の開催は許可しない、ということを繰り返しただけだ」
純架はどこからか取り出したDVDを青柳先生に押し付けた。
「『CAT’S EYE キャッツアイ』は史上最高の名画ですよ。これを見ないなんて映画に対する冒涜とさえ言えるでしょう。ささ、どうぞ借りてください」
「いらん」
先生は突っぱねて押し返した。
妥当な判断である。
純架はしぶしぶDVDをしまった。
「青柳先生、施術する人間を男子――つまり僕、楼路君、英二君の3人に限定して開催するのは駄目ですか? それならいかがわしくないでしょう?」
教師は腕組みしてうなった。
「ううん……でもなあ……」
「何とかお願いします」
頭を下げる純架に、ふと気づいたといった様子で先生が尋ねた。
「そういや桐木、白鷺トロフィー捜索の首尾はどうなんだ? というか、お前ら『探偵同好会』は出し物よりそっちだろ、重きを置くのは」
「多少は進展しました」
純架はかすかに口の端を緩めた。何か新事実でも掴んだのか?
「本当か?」
「明日の閉会式までには間に合わせます。だから交換条件というわけではないのですが、何とか肩叩きの件、善処していただけないでしょうか。お願いします!」
再び深々とこうべを垂れる。俺はその後に続いた。
「俺たちからもお願いします」
英二たちも俺たちに倣う。
「お願いします!」
青柳先生は沈黙した。職員室の喧騒が聴覚に浮かび上がってくる。それも長いことではなかった。
「……やれやれ、仕方ないな。後で他の先生方と相談してみるよ」
降参したとでも言わんばかりの声音だった。純架が大喜びして両手を打ち合わせる。
「ありがとうございます!」
「その代わりトロフィー、絶対見つけろよな」




