第34話 三日目09:42
木崎から連絡が来たのは五分後だった。身体強化剤を使った戦闘なら十分近くかかるのが通例なので、予想外に早い、と天童は思った。
「ガールが物分かりが良くて、早々に退いてくれたからね」
木崎の説明では、相手は金井と鍵山だった。早朝、天童たちの前に立ちはだかった敵。
それを聞いて、赤星と月影も反応したが、最も大きく表情を変えたのは氷川だった。盟友のふたりの仇。最後に手を下したのは狭井兄弟だが、最初の契機になったのは鍵山の投石だ。唇は結んだまま目を大きく開き、空中に仇敵を見つけたかのように凝視する。
木崎からは氷川の表情を見ることができないので、リアクションせずに自分の用件を切り出す。
「今からそっちと合流していいかな? 少し、相談したいことがある」
「この電話じゃダメなのか? てめーは月影にちょっかい出しそうだから会いたくねーんだが」
「あと数分で、ヴィーナスとエンジェルが麻痺する。その時に敵に攻められたら、僕だけでは彼女たちを守れそうにない」
木崎の声に、稚気は一切なかった。
「……マーメイドとやらはどうしたよ? 仲間増やしてるんじゃねーのか?」
「確かにその通りだけど、用件は他にもある。時間がない。可か否かを二十秒以内に答えてくれ。可の場合は場所も」
判断を迫られ、赤星と月影は天童の表情を窺った。赤星は乗り気ではなく渋い顔をしているが、個人の感情で一蹴するには重すぎるようだった。天童は三秒ほど考えて決断を下す。
「来てください。場所はこれから指定します」
天童は自分たちの拠点の民家の近くの駐車場を指定した。そこに木崎たちは三人でやってきた。身体強化した神永と手嶌は自分の足で走り、木崎は手嶌に背負われていた。到着して、木崎が手嶌から降りると、
「ヴィーナスとエンジェルは座ったほうがいい。いや、横になるべきか。麻痺して倒れると危ないからね」
ふたりに指示を出した。神永と手嶌は頷き、そのとおりにした。
天童としても、身体強化したふたりが動かないでいてくれるのはありがたい。ほんのわずかな可能性として、木崎がこちらを攻めるために場所を聞いてきた、という線も警戒していたので、
「木崎さん、これを受け取ってください」
天童は木崎に小石を軽く放った。木崎は怪訝な顔をしつつも、片手で受け止める。
「……何だい、これ?」
「気を悪くしたらすみません。念には念を入れて、木崎さんが身体強化剤を使っていないことを確認したかったんです」
「ああ、そういうこと。慎重だね」
仮に木崎が薬を使っていたら握力で石が砕けるはずだ。それがないということは木崎は薬を使っていない。天童が考案した、身体強化の有無の判別法だった。
「木崎さんも、僕たちを疑っているようなら確かめていいですよ。僕たちが石を握ってもトリックを疑われるでしょうから、木崎さんが考えた方法で」
「いや、いいよ。君たちがそういう人じゃないってことは知ってる。だいたい、月影さんを疑うなんて紳士の振る舞いじゃないよ」
木崎の爽やかな笑顔を見て、月影は反応に困り、赤星は「うわ……」とドン引きした。寒気に耐えるように両手で自分の身体を押さえた。
「で、てめーの話って何なんだ?」
「改めて、共闘を申し込みたい」
単刀直入だった。
木崎は、戦闘を引き延ばすことで運営の隙を引き出そうとしている。しかし、狭井兄弟と金井たちのチームは、短期決戦に向けて動いている。
「彼らに対処すべく、きちんと連携したい。今までのような情報交換相手としてではなく、同じ作戦で動けるように」
「……マーメイドとやらと連携すればいーんじゃねーか?」
「仲間は多いほどいい。それに、彼女たちには彼女たちの、君たちには君たちの得意分野がある」
「ということは、僕たちを活用したい作戦があると?」
「金井さんたちを生け捕りにしたい」
「……!」
天童も予想していなかった提案だったが、言われてみれば納得できる内容だった。木崎としては女性と戦うのは避けたいだろうが、かといって金井を放置しておくわけにもいかない。
「具体的にどう動くか、構想はありますか?」
「細部はまだ。でも、大まかなアイデアはシンプルだ。おそらく、君なら同じ考えにたどり着くだろうけど」
「……金井さんに薬を使わせて、十分後、麻痺したところを狙う」
「正解」
身体強化中に捕らえるのは難しい。身体強化前に不意討ちするという手もなくもないが、当然警戒されている。察知されて薬を使われる公算が大きい。
赤星は気づいたことを口にする。
「ん? だったら、今まさにチャンスなんじゃねーのか? さっき薬を使ったところなんだろ? 今頃、金井は動けない」
「そのとおりだけど、現在位置は掴めていないし、仮に掴めてもヴィーナスとエンジェルが動けないから、とれる作戦の幅は狭い。だから、実行は明日の朝がいいと思ってる。ガールたちは明日も配付所狙いをしてくる可能性が高いだろうから、それを逆手にとる作戦を……」
「ぬるいよ」
氷川が唐突に沈黙を破った。不意をつかれて、その場の全員が驚く。
「今すぐ行くべきだ。それに、生け捕りなんてダメだ。あいつらは許せない。大岩と日下が死んだのは、あいつらのせいなんだ。あいつらは殺さないとダメなんだ……」
氷川は鬼気迫る表情で説いてくる。明らかに冷静さを失っている。
全員が戸惑い言葉に窮したが、一番早く反応したのは木崎だった。
「君は、復讐をしたいのかい?」
「悪いか?」
「悪いとは言えない。僕も、ヴィーナスやエンジェルを失ったら、そういう気持ちになるかもしれない。でも、今の僕の立場からは反論しなくちゃいけない。女性を殺すのは僕の信念に反する。その女性が殺人者であってもね。それに、君がガールを殺したら、今度は君が誰かの復讐の対象になる」
「関係ない」
そう言うと、氷川は薬を手に取り、口に入れた。天童は制止しようとしたが、その前に噛み砕く。
「俺はひとりであいつらの居場所をつきとめる。虱潰しにして、絶対あいつらを見つける」
氷川は地面を蹴って駆けだした。あっという間にその姿は遠くなる。
「氷川ァ! 十分経つ前に戻って来いよ! 今はてめーに協力できねーけど、てめーが死ぬのも俺は嫌だ!」
赤星は氷川の背中に叫んだが、反応はなく、ただ遠ざかるだけだった。
予想外の出来事ではあったが、氷川を力ずくで止めようとすると薬の浪費になるというジレンマがあった。氷川が無事に戻ってくることを祈るしかない。
「作戦を考えるために情報が欲しい。あのガールが君たちを襲った時はどんな戦術だった?」
木崎が情報を求めてきた。ごまかす必要もないので、天童たちは経緯をありのままに伝える。
配付所の屋根に、投石手の鍵山がいた。
投擲を受けて、大岩が右腕を失った。
赤星が鍵山に接近しようとすると、金井に阻まれた。
金井は赤星を仲間に加えようとして、通信端末の番号のメモを渡してきた。
「そうだ。金井さんの番号あったんだ」
説明をしながら思い出し、月影が驚いたような表情でぽんと手を叩いた。そして、提案する。
「電話してみたら?」
赤星は怪訝な顔をした。
「電話するのはいいが、何か話したいことあるか?」
「氷川くんが向かっていってるってことを、教えてあげるの」
「……んん? ちょっと意味がわからねー。月影の狙いは何だ?」
「金井さんたちが警戒して身を隠してくれたら、戦闘は回避できる。氷川くんも無事戻ってこられる……、と思ったんだけど、どうかな?」
おずおずと天童に尋ねる。月影は戦術的なアイデアに自信を持っているわけではない。
「どうかな。金井さんたちは、言われるまでもなく注意して潜伏するはずだ。かえって、電話の話し声で隠れ場所が割れる可能性がある」
「……どんな確率だよ。この広い島で、話し声が聞こえるくらいの距離まで氷川が近づくなんてよ」
「広いと言っても、あの速さなら島を駆け抜けること自体は数分で済む。綿密な家捜しはできないけど、走ってる最中に人間の話し声を聞き取る可能性は、小さくないと思う」
「僕は天童くんの意見に賛成だ。連絡はしなくていいと思う。ところで、ガールの番号を持ってたんだね。僕にも教えてもらってもいいかな?」
木崎がさらりと話に入ってきた。赤星は露骨に冷ややかな目になる。
「てめー、見境なしか? あいつは敵だぞ?」
「今は敵だ。でも、僕の説得で改心してくれる可能性はある。できるだけ仲良くしておきたい」
「ここにはヴィーナスもエンジェルもいて、月影もいるってのに、何考えてんだ? 気が多すぎだろ……」
「そんな批判は気にしない。僕は全ての女性を全力でリスペクトすると決めている」
赤星は呆気にとられるが、心のどこかで少し安心していた。木崎は、本気の本気で月影を落とそうとはしていない。なぜ安心したのかという点は、深く自問しなかった。




