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第32話 三日目09:30

「びびびびびびっ」

 赤星たちが立ち去って数分後。

 芸術家の上江洲は、講堂の床に敷いたマットの上に仰向けに寝て、奇声を上げ始めた。

 心配して駆けつけた中条に対し、上江洲は、

「だい、じょーぶ。麻痺、してるのを、表現、しただけ」

 と悪戯っぽく笑った。


「……びっくりさせないでほしいよね。薬の副作用で何か深刻なことが起きたのかと思ったよ」

「ごめん、ごめーん」

 緊張感、危機感の欠ける会話だ、と中条は思う。

 講堂に目を移す。壇上には上江洲がつくった像が並んでいる。素材は全て、三日前まで生きていた人間の死体。

 上江洲の制作方針は、中条にはまだ読みとれない。部品と部品の組み合わせを、無数に試しているように見える。

 ひとりの身体に数十本の腕を接着し、異形を作ってみたり。

 男女の身体を捻り絡ませて、性的な意味を滲ませたり。

 ばらばらの死体をさらに細かく切断して、パーツのひとつひとつに紐をつけて、天井からぶら下げたりしている。

 まるで気ままな遊び。

 今ある像も作品として成立しているように見えるが、これらは上江洲にとっては試行錯誤の途上であるらしい。一度組み上げた物を見て、上江洲は「うーん」と悩ましげに首を捻り、十秒後に解体を始め、全く別の像の材料に転用したこともある。

 天才の考えは、秀才には読めない。


 もう一人の仲間である下川美代子が、通信端末の機能を使って像を撮影している。細い三つ編みの髪型。分厚い丸眼鏡をかけた地味な女子だ。

 撮影を指示したのは中条だ。上江洲の制作の記録をできるだけ多く残しておきたい、という意図だった。上江洲自身の手で解体される物も多いし、それ以上に、素材の劣化が気になる。使用している死体には一応の防腐処置を施してあるが、専門家でない彼ら自身の手によるものであり、完全な物とはほど遠い。じきに腐って、見るに堪えなくなるだろう。

「下川さん、ありがとね」

「……っ!」

 中条が声をかけると、下川は驚いた様子でびくんと跳ねて三つ編みを揺らし、顔を赤らめて目を背けた。

 下川は、この三日間どころか島に来る前からこんな性格だ。急に声をかけるとおかしな挙動をする。他の人間に対しては普通らしいので、自分や上江洲は嫌われているのだろうか、と中条は疑問に思っている。

「じゃきーん!」

 麻痺が解けて上江洲が起き上がった。

 小柄な身体を大きく見せるように、肩で風を切ってずんずんと歩き、ひょいと跳んでステージに上がる。

「どいてー」

「ひっ!」

 下川が早足で逃げていく。上江洲とは仲間なのに、まるでゴキブリでも出たかのような距離の取り方だった。


 上江洲は鋸を手にとって、転がっている死体から右手を切り取り始めた。赤星たちとの対峙を振り返るようなことは一切せず、創作に邁進。閃いたアイデアが風化しないうちに仕上げにかかる。

「できたよー」

 上江洲は死体の右手と生首を繋げて、優勝カップでも持つかのように掲げて見せびらかしてきた。

「題、喉から手が出る!」

「……そっか、なるほどね」

 中条は苦笑した。さすがにふざけてると思ったが、この子どもっぽさ、遊び心こそが上江洲らしい。

 今日までに、足下を見る、目には目を歯には歯を、死人に口なし、八方美人などの像も作っている。

「あの、ちゅ、中条くん」

 躊躇いがちに下川が話しかけてくる。

「結局、私たちはこのままでいいの、かな?」

「このまま、っていうのは?」

「……このまま、ここに立てこもってて」


 初日からずっと、この血塗れの講堂を拠点にしている。

 戦術的な判断ではない。上江洲が創作に熱中していて動きたがらないという、わがままによるものだ。上江洲は配付所にすらも行きたがらないので、中条と下川だけが食糧を受け取り、ふたり分を三人で分けている。

「いいと思ってるよ。幸い、ここに敵は来てないしね。来たとしても、罠を色々作ってあるからね」

 仮に誰かが学校の敷地内に踏み込んだら、中条特製の無数の罠が襲いかかる。通過すると刃物が飛び出す床や天井。死体の骨を研いで作った撒菱。演劇美術に関心が強い中条の手による大仕掛けが、日が経つごとに増えている。

「でも、あんな罠、身体強化した人なら突破しちゃうよ……。さっき見てた感じ、敵の人も上江洲くんも身体の動きが異次元だったじゃん……」

「いいんだよ。敵さんが先に身体強化してくれたなら、僕らはその様子を見てから薬を飲めるからね。先に麻痺するのは敵さんになるから、僕らは安全だよね」


「確かにまあまあの罠だったが、あのレベルじゃ素人にしか通用しねーな」


 唐突に割り込んだ男の声に、中条も下川も動揺した。

 講堂の入り口には見知らぬ男が立っていた。不敵な笑みと、横柄な佇まい。

 外で罠が発動した音はしなかった。それに、この残り時間を気にしない悠然とした態度から察するに、身体強化剤を使っていない。この男は身体強化に頼らずに罠を突破してきたのだ。中条の脳内で警鐘が鳴る。

「……誰かな?」

 必死で平静を装い、男の注意を引くように発言する。相手が攻撃してきたとしても、せめて上江洲を逃がせるように時間稼ぎをしなければ。

「ああ、そんな構えんなよ。別に攻撃しに来たわけじゃねー。むしろ礼を言いにきた」

 男は言う。

「俺は狭井丈嗣。初日に大暴れしたあいつの兄弟だ」


 その言葉を聞いた途端、ステージ上の上江洲が反応した。それまでは男に興味を示さず創作を続けていたところ、立ち上がり、素早く駆け寄っていった。

 上江洲は狭井肇を破壊神として尊敬している。本人ではないとはいえ、その弟の来訪に興奮した様子だ。

「お、おい、上江洲!」

 中条の制止を聞かない。無防備すぎる。相手に敵意があったら殺される。

 だが、狭井丈嗣は本当に攻撃する気がないらしい。

「さっきのお前だろ? あの赤星たちを止めたの。ありがとな」

「えっと? どう、いたしまして……?」

「何で戸惑ってるんだ?」

「みてたの?」

「周囲を警戒するのは当たり前だろが。あんだけ派手にぶつかって、気づかないほうがおかしい」

「じゃなくて、狭井さんも、みてたの?」

「……狭井さんてのは兄貴のことか。あいつは薬で麻痺して寝てたから見てねーよ」

「そっか……」

 一転、上江洲は反転してとぼとぼとステージに戻った。

「何だ、あいつ……」

「いや、ごめんなさいね。彼は狭井さんのファンみたいなんで」

 中条がフォローに入った。

「ファン? 怖がらねーのか? 大量殺人者だぞ?」

「彼は恐怖心よりも興味のほうが強いみたいで。あと、芸術のモチーフとして、あの光景は相当インパクトあったみたいです」

「なるほど、お前らがしゃしゃり出てきたのはそういうことか」

「いや、お前らっていうか、ファンなのは彼だけなんですけどね」

「一応、理解した。兄貴に言っておくわ。こいつら、利用価値ありそうだってよ」

「……恐縮です」

「だが、あの罠は作り直せ。仕掛けの糸がバレバレだからよお」

「わかりました」

 狭井丈嗣は去っていった。

 今日になって立て続けの来客。短い邂逅ではあったが、中条にとって大きな意味があった。

 狭井たちにとって、中条たちは外敵を阻む壁となる。

 狭井は、中条を攻めない。

 上江洲が狭井に殺されることはほぼなくなった。

 深く安堵して溜息をついた。

「できたー!」

 また上江洲が像をひとつ完成させていた。


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