第31話 三日目09:18
地下の一室にいながらにして、破芝は島内全域の出来事を把握していた。
各地に仕掛けた無数の監視カメラで映像を得ている上に、受験者たちに配った通信端末や食糧の容器には小型の盗聴器を仕込んで、会話も拾っている。
「彼らの計画も、放置ですか」
破芝の隣に立つ部下、若宮は確認した。
「逃走企図は罰則対象としていたはずですが」
「確かにそうなのだが、彼らをすぐ摘んでしまうのはもったいなくてね……」
破芝は画面を見つめたまま笑みを浮かべる。愉悦に浸っているわけではなく、悩ましげな笑顔だった。
「逃走されると確かに困る。ただ、彼らの逃走計画はなかなか理にかなっている。有能そうだから殺すのが惜しい」
この殺し合いは、あくまで人材採用を目的としている。殺し合いで落命する弱者をふるいにかけ、強者だけを組織に迎え入れる。
四日目まで状況を観察し、破芝は既に有望な受験者のリストを脳内に完成させている。
「島の地形をいち早く確認したのも彼らだ。さらにいえば、探索中の身のこなし。死角を作らない動きはサバイバルゲームで培ったのだろうね。たかがゲームと思っていたが、侮れないものだ」
木崎、神永、手嶌はサバイバルゲーム仲間だ。
当然、高校にはサバイバルゲーム部などという部活はない。木崎たちはわざわざ歴史研究部という部活を立ち上げ、戦史研究の一環という名目で趣味のサバイバルゲームに興じている。
「エアガンという飛び道具を取り上げられているのに、苦にする様子をまったく見せないのも良い。応用力、適応力が高い」
「……彼らを罰しないとなると、他の受験者と不公平になるかと思いますが」
「ん? 公平性が必要なのか?」
破芝が意外そうに尋ねると、若宮は宙を見つめて逡巡し、
「言われてみれば、別に要らなかったです」
「だろう?」
彼らはスポーツの審判ではない。人材採用のために、ルールは恣意的に運用する。
「彼らが本当に逃走するという段になったら鎮圧するが、それまでは泳がせたい」
「了解しました」
「それより、できれば彼らの戦闘能力を見たいところだ。殺意をもった敵と向かい合ったときに瓦解するような弱虫という可能性もなくはない。もしそうなら話は大きく変わってくる。即刻処分していい」
「何でしたら、狭井兄弟に情報を与えて誘導しますか?」
「……若宮くんはえげつないことを淡々と提案してくるから怖いな。しかし今は却下だ。実行しようにも、彼らは即座には動けないわけだから」
今し方、狭井肇と三太が襲撃のために身体強化剤を使ったばかりだ。薬の副作用で、十分間は何もできない。
「それどころか、こっちの彼らの出方次第では、狭井兄弟の命運は間もなく尽きるかもしれない」
破芝は別のモニターに視線を移す。配付所近くで、赤星たちが相談している。
彼らは狭井たちの拠点の情報を得た。
反撃に打って出ることができる。
「さあ、どうする赤星くん? こんな好機は二度とないかもしれないぞ?」
*
山に行こうとする赤星を、天童が呼び止めた。
「今から行くのか!? 無茶だ! お前の身体強化、あと五分しか残ってないだろ!」
「五分も残ってれば充分だろうが」
赤星は顔をすごませる。
「狭井の野郎は日下たちと戦ったばかりで、今、麻痺してるかもしれねー。今すぐ行けば叩ける」
「既に麻痺が解けてる可能性だってあるだろう! 月影さんも、赤星に何とか言ってくれ!」
身体強化していない天童では、力ずくで赤星を制止することができない。月影を味方につけて説得しようとする。
だが、
「…………」
月影は、口をきつく結んでいた。目はいつになく険しい。それは、怒りではなく、憎しみでもなく、何かの決意を讃えた目だった。
「……月影さん?」
「山に行こう、こーせーくん」
天童が驚きで声を上げるよりも先に、月影は走っていた。強化された脚力で、弾丸のような疾走。他の三人を置き去りにした。
「なっ、ちょっと、待っ……!」
「話がわかるじゃねーか、月影!」
赤星も急いで追う。車道に出て、北へ走った。
天童は呆気にとられたまま、見送るしかなかった。
「赤星はまだわかるけど、月影さんはどうしちゃったんだ……」
月影は赤星が危険なことをしようとするのを怖がっていたはずだ。初日の講堂でもそうだったし、二日目の朝、偽の配付所で敵に襲われた時もそうだった。
戦うのが怖い。戦いを見るのが怖い。
月影芙和は、そういう女の子だと思っていた。
どうやら心境の変化があったようだが、天童はその変化を追い切れていない。
こうなってはもう、ふたりの無事を祈るしかない。天童も薬を使ってふたりの後を追うということもできなくはないが、身体強化剤の残量は少ないし、氷川を放置することはできなかった。
月影自身も、自分の感情の変化に少なからず動揺していた。
戦うのは、今でも怖いと思っている。殺されるのは嫌だし、だから言って殺されるより先に敵を殺すことなんて、できそうにない。
だが、今は進むべきだと感じた。
日下と大岩が死んで、何もしないでいることのほうが辛かった。仇を討とうという赤星の気持ちは正しいと思ったから、戦うことができなくても、せめて、それを後押しすることくらいはしようと思った。
与えられた時間は五分。
山までは一分程度でたどり着けるが、事を終えた後で天童のところまで戻るのにも一分以上かかる。残る三分間で狭井を見つけなくてはならない。
そういう相談をすべきなのだろうが、そんな余裕はなかった。相談している間にも時間は過ぎていく。それに、赤星も月影も身体強化しているが、もともとの体力の差で赤星のほうが速い。自動車以上の速度で走っていても、月影はついていくのがやっとだった。
島の中央部を抜けていく。道の右手に、初日に自分たちがいた学校が見えてきた。狭井が猛威をふるった地。十分で数百人が死んだ惨劇が頭に蘇り、恐怖と哀悼で泣きそうになるが、その元凶をこれから攻める。
はずだったが、
「……人がいるな」
赤星が前方を見て言った。
道に、男がふたり立っている。どこかに向かっている風でもなく、何かをしている風でもなく、ただ立っていた。まるで、誰かを待ちかまえているかのように。
「跳び越すぞ、月影!」
赤星の指示。今なら数メートルは軽く跳べるので、決して無茶を言っているわけではなかったが、
「さ、せ、な、いっ!」
相手が敵意を持っていたので、話は別だった。身体強化剤を飲み込み、噛み砕き、跳躍。
高度十メートル近くで、赤星と相手の男が激突した。助走をつけていたため、赤星が相手の男を突き飛ばす形になったが、赤星も反作用で押し戻される。
「てめっ、何のつもりだ! 邪魔すんのか!」
「とー、さ、なぁあああい!」
不気味な男だった。小柄で、体格は狭井の弟、三太に近い。だが、雰囲気はまるで異なる。陰気さ漂う狭井三太とは違い、こちらの男は明るい。明るい笑顔で敵対してくる。
前髪をゴムでまとめて頭頂部で留めた、独特の丁髷。目は化け猫のように見開かれ、姿勢も猫背気味。
さらに、手が特徴的だった。薬品で爛れたか、あるいは火傷でもしたかのように、皮膚が灰色になっている。最近付着した汚れというわけではなく、皮膚に根深く浸透した色のようだった。
男の異様さに目を引かれていたが、それどころではない。月影は我に返って叫ぶ。
「こーせーくん、こうなったらもう無理! 引き返さないと!」
「ああっ!?」
「時間がない! この人たちと戦った後だと、もう……」
赤星と月影は、三分後に麻痺する。この男と戦って打破したとしても、狭井を探すことはできない。迂回して山に近づいたところで、この男は妨害してくるだろう。
王手をかけたと思ったら、予定外の合い駒。飛び越すことはできそうにない。
「狭井、さんを、お、わ、な、い? なら、いい。あっち、いって」
男が何度も首を傾げながら確認してくる。
狭井を守る盾ということか。
しかし、月影にとっては意外だった。狭井に味方する人間がいるとは。恐怖で強制的に従わせたのだろうか。それにしては人格があまりにも異様なので、どうしても違和感がある。
「てめーら、どうして狭井の味方なんかすんだ! あいつら、人を何百人も殺してんだぞ!」
「殺したからこそ、上江洲は狭井を尊敬してるんだね」
猫目の男の後ろにいた、比較的特徴のない男が口を開いた。長身痩躯だが、この男も猫背だ。
「ああ、俺は中条。そして彼は上江洲。ええと、上江洲は魅せられちゃったんだよね。初日の、あの虐殺の光景に」
上江洲の笑みが深くなった。
肉と骨と血が大量に散った地獄絵図。あれを、思い出して喜んでるというのか。
「だから、上江洲は狭井を崇拝しちゃってるみたいなんだね。説得とか無駄だと思うから、帰ったほうがいいと思うよ」
赤星は、諦めずに上江洲に躍り掛かろうとしたが、後ろから伸びてきた腕に抱き止められた。月影の制止。
「こーせーくん、これ以上は、本当に、もう」
悲痛な声だった。
振り上げかけた拳を力なく下ろす赤星。目の前の邪悪な敵に、赤星の内心は煮えたぎっていたが、成すすべは何もなかった。




