第29話 三日目09:05
島の北半分を占める山は、標高八百メートルを越える。三百メートル地点には牧場跡がある。麓から歩いて一時間程度。狭井三兄弟がここに拠点を構えたのは、高所から南の平地の様子を見下ろせること、敵が襲撃しにくいこと等、利点が多くあるからだった。
ただし、死角がないわけでない。牧場は南側を向いているため、北側の様子は不明となる。
狭井はそれを認識していたが、無視していいと判断した。山の北側にはほとんど何もない。海沿いに車道が通っていて、途中に小さな灯台があるくらいで、他に建物は皆無。しかも配付所から遠くて不便も大きい。こんなところを拠点にする者がいるとは思えなかった。
そんな場所を、木崎、神永、手嶌の三人が歩いていた。右手に海を見ながら、山の東側の道を北上していく。
木崎たちもここを拠点に選んだわけではない。島の全域を把握するための探索である。
「海風が強いですね……!」
手嶌は顔をしかめた。ショートカットの髪が乱れ、前髪が目に入りそうになるのを手で払う。
「ほんと。ここ、この島で一番居心地が悪いんじゃない?」
神永の長い髪も暴れる。普段はつけないヘアゴムを取り出して、後ろ髪をまとめる。
ふたりの女子の様子を見て、木崎は苦い顔をした。
「どうしたんです、木崎さん?」
「ヴィーナスもエンジェルも、髪よりもスカートを気にしてくれ!」
このような探索には、本来であれば動きやすい服装を用意するべきだが、彼らには高校の制服以外に着る物がなかった。スカートがはためき、太腿が露わになっている。
しかし、神永も手嶌も素っ気なかった。
「忠告はありがたいですけど、今さらでしょう」
「気にしたところで、ここには木崎しかいないわけだしね。だいたい、木崎なら喜びそうなものと思ったけど」
「……確かに、このシチュエーションは男子としては眼福だけど、君たちはわかっていない! こういうのは女子に恥じらいがあってこそなんだ! あんまりあからさまだと萎えてしまう! 今のこの感じはイマイチなんだ! 次からはもっと恥じらってくれ! 慌ててスカートを押さえてくれないと、僕は嬉しくない!」
「…………」
「…………」
木崎は熱弁したが、神永も手嶌も冷たかった。木崎の思惑を叶えてやるのは何か癪だ、という気分的な問題もあるが、より大きいのは、今この瞬間も殺し合いの最中であるという事実だ。どこから敵が襲ってきてもおかしくない今、恥じらいよりも視界確保が優先される。
「いや、うん、敵を警戒できているって意味では隙がない。いいことだとは思うよ? 思うんだけどね?」
右手に見える海辺は砂浜ではなく岩だらけだ。左手は山裾で、木と雑草が生えているだけ。どちらにも人の気配はない。時折、後方を振り返って尾行者対策もしているが、杞憂のようだった。
道が左に緩いカーブを描き始めた。島の北端が近い。
「……灯台、でしょうか」
手嶌が前方を指差した。木崎も神永も視認し、頷いた。
「人がいるかもしれない。警戒」
それまで緩みきっていた気を引き締めて、木崎は身振りで陣形を指示した。三人が同じ位置にいると、身体強化の一撃で全滅しかねない。神永を右翼、手嶌を左翼に配置し、自身は正面切って灯台に接近する。
灯台の高さは十五メートルほど。ドアがあって人が入れるようになっている。三人で居住できる程度の広さはありそうだ。
ドアをノックして、誰かいないかと呼びかけてから、木崎は警戒しながらドアを開けた。
中は無人だったが、ここを拠点としている受験者がいるのは明らかだった。島の他の建物と違って、埃が綺麗に払われている。運営者から配られた食糧の容器が、空になって置かれていた。また、高校の女子用の制服が、畳んで置かれている。
階段があり、灯台の上部に上れるようになっている。そこにも誰もいなかったが、階段の途中に男子の制服がふたり分、脱ぎ捨てられていた。
木崎は神永と手嶌に合図を送って、中に入るよう促した。
「……木崎さん、エロいことを言ったら叩きます」
脱いで置いてある制服を見て、手嶌は淡々と言い放った。
「先回りされてるなあ。うん。わかった。妄想はしておくけど、何も言わないようにするよ」
木崎の軽口を受け流して、神永が言う。
「ここにいた三人は代わりの衣服を持ってるってことね。つまり、洋服屋さんを既に見つけてる可能性が高い」
「そして外出中。配付所に行って戻ってくる途中か、別の場所を探索しているか、ってところでしょうか。服屋の件を考えると後者っぽいですが」
「どうするの、木崎? ここで待って交渉する?」
木崎は少し考え込んでいた。
彼は大がかりな計画を立てていた。その計画を成立させるためには、他の受験者からの協力を得る必要がある。留守とは言え、せっかく痕跡を見つけたのだから会っておきたい気持ちは強い。しかし、相手も島を探索しているとなると、拠点に戻ってくる時刻が読めない。自分たちの丸一日を棒に振ることになるかもしれない。実際、昨日はそれで数時間を無為に過ごした。
待っていてはダメだ。彼らが行った先を予想しなくては。
「……海だ」
木崎は答えを出した。
手嶌の意見にも一理あるのだが、もし彼らが島内の探索に熱心であるなら、島の北端を拠点として選ぶわけがない。選んだからには何か利点があるはずだ、と考えた。
ここには道と山と海しかない。ならば、海だろう。服が脱いであるのは、水着を調達して泳いでいるからだ。
自分の推理を説明をしながら、木崎は海へ駆けだした。神永と手嶌は戸惑いつつもついていく。
小さな砂浜があった。
そこに、水着姿の高校生が三人いた。
全員あぐらをかいていたが、ふたりの男子はすぐさま立ち上がり、木崎たちを警戒した。
対照的に、女は呑気に座ったままだった。
「おっ? お客さんかァ? ご馳走してやるから、こっち来なよォ」
屈託のない笑顔と間延びした口調で、木崎たちも座るように呼びかけている。
彼らは魚を焼いていた。
*
運営者から配られる食糧だけでは足りない、お腹が空く、というだけの理由で、彼らは凄まじい執念で動いた。
島の中心部の商店を巡り、水着やゴーグル、銛など、海中活動に必要なものを調達。ついでに調理のための金網や燃料も回収し、自給自足体制を整えた。
殺人者の存在を歯牙にもかけない大胆な動き。
もっとも、男子ふたりはまっとうな感覚で恐怖心や警戒心を抱いていた。リーダー格の人物が鈍感だったからこその采配である。
魚住沙智。
大柄な女だった。今はあぐらをかいているので身長はわからないのだが、それでも手足の長さは際だっている。身長はおそらく百八十センチ前後。木崎より大きそうだ。肩幅が広く、胸板の厚いアスリート体型。ビキニの水着で、全身に適度についた筋肉を惜しげもなく晒している。
日焼けした肌。眉が太く、目が丸く、大柄なのに幼い印象。女子高生ではなく、わんぱくな少年のようだ。
「水泳をやられてるんですか」
「おォ! よくわかったなァ!」
海の傍に拠点を置いて、素潜りで魚を捕まえているところを見れば、容易に予測できることだったが、魚住は心底から感心した様子だった。
運営者は「何らかの秀でた能力を備えている者」という条件で高校生を拉致している。目の前の三人は全員、相当な実力のスイマーだろう。
是非とも、協力をとりつけたい。
「つーかさァ、そんなかしこまらなくていいよォ。『水泳をやられるんですか』なんてさァ。別に先輩後輩でもあるまいし、フランクにいこうよォ」
「姉御、そんな簡単に気を許すのはどうかと……」
横から海パンの男子、海老名が心配顔で口を挟んだが、
「えェ、何だよ、別にいいじゃんよォ。こいつら、いい奴そうじゃん。だいたい、あたしたちを殺しに来たんだとしたら、既に攻撃を始めてるはずだろォ?」
「しかし、俺たちの不意を突くための作戦かもしれませんし……!」
「あー、まー、わかったァ。だったらケンちゃんはあたしの分まで警戒しといてちょーだァい」
がさつな先輩と、それをフォローする後輩、という関係性らしい。
「あのケンちゃんという人には、何だか親近感を覚えます」
手嶌が木崎にだけ聞こえるように、小声で言った。
「へえ、どういう意味かな、マイ・エンジェル?」
「先輩のせいで苦労してる後輩は、私だけじゃなかったんだな、と思いました」
「おや、ヴィーナスがエンジェルに何か迷惑をかけてるのかい? ちっとも知らなかったけど」
すっとぼける木崎に、手嶌と神永は小さな溜息と苦笑いで応じた。
「でェ? あんたたち何の用だァ? あたしたちを殺しに来たってわけじゃなさそうだしさァ。こんな島の端っこまで何しに来たのォ?」
「……フランクでいいってことだから、そうだね、率直に本題に入ろうかな」
木崎は爽やかな笑顔のままで、重大な事を告げる。
「僕たちは、島からの脱出を考えてる」




