第27話 三日目08:50
他の受験者たちを殺害するにあたって最も難しいのは、戦闘で勝つことではなく、相手の位置を特定することだ。
狭井肇はそれを理解していたからこそ、初日に全員集合していた講堂で仕掛けた。今でもその判断は正解だったと思っているし、実際に数百人を虐殺するという大きな成果を得たが、残った生存者を捜し当てるのに手を焼くことになった。
島は南北に長く、端から端まで約一〇キロメートル。身体強化した状態であれば数分で駆け抜けられる距離だが、隠れている人間を見つけるには数百数千の建物を家捜しする必要があり、膨大な手間がかかる。おまけに初日の所業を全員が目撃しているため、情報交換ができる仲間を作れない。作れたとしても到底やる気は起きないが。
唯一、受験者の位置を予期できるタイミングは、朝の物資配付だ。
どんな人間でも飢えと渇きには勝てないし、身体強化剤を得ずに過ごすのは自殺行為だ。必ず全員が配付所に赴く。
そこを待ちかまえて殺す、という作戦は狭井に限らず他の受験者たちも思いついていた。赤星たちが二日目に遭遇した田賀原たちも然り、三日目の今日遭遇した金井たちも然り。それ以外に効率的な手段が皆無なので、好戦的な受験者の計画はどうしても似たり寄ったりになる。
狭井は、その効率的な手段をもう一歩押し進めた。
待ちかまえるのではなく、巡回する。
好機は受験者が集まる朝。身体強化剤で時速二百キロの機動力を得た上で、十分間で四カ所の配付所を一気に回り、受験者を見つけ次第殺す。
一カ所に留まっていると噂が広まってその配付所に誰も寄りつかなくなってしまうため、そうさせないための策だった。
もっとも、この作戦にも欠点がある。身体強化剤を消費するので、そう何度も何度も巡回は行えない。狭井兄弟の手持ちの薬の数では、一日に一回がやっとだ。
しかも、その巡回で受験者を見つけられなかった場合、薬は無駄になってしまう。数に限りがある薬を惜しむのであればとれない策。だが、この殺し合いを早く終わらせたい狭井は、迷いなく踏み切った。
次男の丈嗣を拠点に残し、肇と三太のふたりで駆ける。
「…………」
遮る物のない広い車道を、黙々と走る兄、肇に対して、
「ねえ、兄貴ー。もうちょいスピード緩めてよー」
後方から三太が声をかけた。
三太は三太で、時速百キロを軽く超える速度で走っているのだが、肇に引き離されつつある。
「時間がもったいない。薬が切れるまで後何分だ?」
「……三分くらい?」
「急ぐぞ」
肇は三太を一顧だにせず、ぶっきらぼうに応答した。
すでに三カ所の配付所を回った後で、次の配付所が最後の目的地だ。
「あー……、わかってたけど……、兄貴についてくのは大変だ……」
あくびをするかのように伸びをして、呼吸を整えてから、三太は加速した。一歩一歩の歩幅は肇のほうが大きいが、三太は脚の回転数で速度を稼ぎ、肇に追いすがる。
「お前、いつも本気を出し惜しみしてるだろ。本当は俺よりも速いんじゃないか?」
「さすがにそれはないよ……。兄貴の鍛え方には勝てるわけない」
「勝てるわけないと決めつけている節があるな。お前は成長期だろうし、俺はマラソンは専門分野じゃない」
「それを言ったら僕だって専門じゃないんだけど……」
「ならば、せめて『専門』なら俺に勝つつもりでやれ」
「そっちのほうが荷が重いよ……」
彼らの言う専門とは、当然、暴力である。武力組織に生まれた身として、日頃から多くの格闘技と武器の扱い方を学んでおり、敵を制圧する術には通暁している。
狭井兄弟が通う道場において、もはや肇にかなう者はいない。体格差に任せた力押しで、師匠ですら倒せるようになってしまった。
「兄貴に勝てそうな種目は、ルービックキューブくらいしかないな……」
「そう言えばそんな趣味あったな、お前」
肇は困った表情を浮かべて、太い指を動かす。
「あれ、俺は苦手なんだよな。箱そのものをぶっ壊しちまうから」
「…………」
苦手というレベルではなかった。
配付所が見えてきたので、ふたりは雑談を打ち切り、他の受験者の姿を探した。
日下と大岩のふたりは配付所の裏手に隠れるように座り込んでいたが、発見するのは容易だった。もともと、配付所にやってくる受験者だけではなく、配付所付近で受験者を待ちかまえる強者気取りの受験者も狩るつもりだった。身を潜められそうな場所を確認するのは当然のことだった。
当然、狭井はふたりの名前を知らないし、知ろうともしない。ただ一瞬で蹴散らされるだけの犠牲者の名前を問うことなど何の益もない。
日下も大岩も反応は鈍くなく、素早く立ち上がったが、
「さ、ささささ狭井だあああっ!」
日下は狭井兄弟を見てあからさまに怯えていた。離れて見ていても判別できるほどの顔面蒼白。冷静な判断ができる様子ではない。
大岩のほうは肝が据わっていて、躊躇なく身体強化剤を服用したが、右腕の肘から先を失っている。
弱敵だ、と狭井は判断した。
「じゃ、金髪のほうの雑魚からな」
「りょーかーい……」
狭井が日下を指さすと、弟の三太は気怠げに返答した。
態度と裏腹に、動きは俊敏だった。
既に強化されている大岩を殺すには多少の手間がかかるので後回しにして、強化前の日下めがけて走る。
走るというより、瞬間移動に近い。
強化された脚力で三十メートルほどの距離を一秒足らずで詰め、手を伸ばし、頭部を掴みにいく。掴めば最後、あとは首をねじ切るだけだ。
「日下、すまん」
硬直している日下の襟首を、大岩が左手で乱暴に引っ張り、
「うえええっ!?」
斜め上後方に投げ飛ばした。
日下の身体は配付所の建物の二階の屋根を越え、向こう側に転がり落ちていく。
三太の攻撃から遠ざけるために手荒な手段をとった。二階の高さから落ちれば日下は怪我をするかもしれないが、殺されるよりは断然マシだ。
ターゲットを失った三太は一瞬戸惑った。日下を追うべきか、目の前の大岩に切り替えるか。
その一瞬の隙に大岩が拳を繰り出し、風が唸った。
ダメージを覚悟した三太だったが、大岩の動作はぎこちなかった。喧嘩慣れしていない上に、利き手の右手を使えない。ドラムを叩くように拳を振り下ろす軌道。必要以上に振りかぶっていて、背の低い三太に着弾するまでに遠回りしている。ゆっくり見切ることができた。仰け反って拳をやり過ごしてバックステップ。離れ際に右脚を蹴り上げ、大岩の顔面に一撃を加えた。当たったのは爪先だけで浅いが、大岩の顎を浮かせた。
怯む大岩に追撃せず、二歩、三歩と後退して間合いをとり、
「……兄貴」
「計画変更な」
指示を仰いだ三太に対し、短く告げる狭井肇。
日下が身体強化剤を飲むのはもう止められないものと考え、大岩から片づけにいく。
大岩は顔をしかめていた。薬の効果で肉体は頑丈になっているが、痛覚はある。打撃を受けた鼻先をさする。
(ひとまず日下を逃がすことはできた……。できたよな? 日下の奴、怪我して走れないなんてことはないよな?)
内心で心配する大岩。
ここで日下に「大丈夫か?」と声をかけたり「氷川たちに連絡しろ!」と指示したりしようかと考え、口を開きかけたがやめた。そんなことをしたら狭井の注意は日下に向く。今、自分が狭井を引きつけているのは望ましいことだ。
(日下を殺させるわけにはいかない)
今この島にはいないバンドメンバーの銀林由貴は、日下に思いを寄せている。銀林が悲しむ顔は見たくない。そんな事態になるくらいなら、自分が危険を引き受ける。狭井を阻む壁となる。
「二十秒で片づけるぞ」
長男、肇の合図で狭井兄弟は同時に始動した。
突撃。三太が一歩先行し、その背後に肇という位置関係で大岩に迫る。
列車のような威圧感に恐怖する暇もない。またしても一秒足らずで接触するのだ。今度は大岩は蹴りで三太を迎撃した。背の低い三太には拳よりも蹴りのほうが当てやすいであろうことを、先ほどの攻防で大岩は感じていた。思考する余裕がない中で選んだ最善。サッカーボールキックで肇ごと三太を蹴り飛ばしにいく。身体強化した今なら決して不可能ではない。
だが、いかんせん場数が違った。三太は右に跳んで悠々と回避。狭井兄弟の目には大振りな大岩の攻撃は止まって見える。拳でも蹴りでも同じことだった。
空振りした蹴り足を、後から来た肇が小脇に抱えるように掴んだ。
片足立ちになった大岩はバランスを崩してよろめきかける。何とか踏みとどまろうとするが、軸足の膝の裏に軽い衝撃を受けた。
(膝、かっくん--!?)
生死を駆けた局面に場違いな、子どものいたずらのような攻撃。
だが、これは死角に回り込んだ三太が放った必殺の手筋だった。
同時に、肇が大岩の右足を放す。左膝が地に落ち、片膝の体勢になる。
起き上がろうと思うより先に、後ろから三太の腕が大岩の腕に絡みつき、羽交い締めにされる。
目の前には狭井肇。肇は悠然と両手を伸ばし、大岩の頭部を両側からがっちりと掴んだ。
(ああ……、俺は、ここまでか……)
この体勢では逃げることはおろか、踏ん張りを利かすこともできない。狭井の手を引きはがそうにも大岩は右手を使えない。数秒後の自分の死を悟った。俺は首を捻りきられて死ぬ。
実際、その予想は正しいのだが、影には狭井兄弟の試行錯誤があった。初日の講堂で、狭井は赤星の首に両手をかけるところまでいきながら折ることができなかった。痛恨事ではあったが、身体強化した人間同士で一対一では肉体を破壊することができないというデータを得た。
だったら、二対一で臨めばいい。
ふたり分の筋力を集中させればいい。
三太が大岩の胴体を右へ、肇が頭部を左へ回転させれば、強化された頸椎や筋肉も引きちぎれる。既に余所でも実践済みだ。
「ひとつだけ問う」
狭井は一切表情を変えずに、大岩に告げた。
遺言でも聞いてくれるのか。残忍な印象が先行していたが殺す相手への情けは持っているのか、とほんの少し安らぎを感じた大岩に、
「お前の右腕を破壊した敵はどんな奴だった? 五秒以内に答えろ」
単なる情報収集の質問が投げかけられた。
今後出会うであろう敵を知るための問い。殺すための問い。
狭井は、どこまでも効率的だった。
効率的に探し、効率的に掴み、効率的に奪い、効率的に殺す。
住む世界が違いすぎる。
「…………石を、投げる奴だった」
大岩は答えた。答えても答えなくても殺されるだろうから、深く考えず正直に答えた。
狭井は「なるほど。じゃ、せーの」と三太に合図し、同時に逆方向に力を入れた。
大岩の視界は三六〇度回転し、それに伴って首の骨が折れるのを聞いた。狭井が大岩の身体を離したので、地を這う虫の視点になる。
「投石の奴ら、結構頑張ってるね……。うざったい……」
「ハズレの情報なんぞ別にいい。それより今は--」
薄れゆく意識の中、狭井兄弟の会話を聞く。彼らにとって大岩の回答は既知のものだったらしい。死に際の最期の一言がハズレ扱いされるのはあんまりだと思ったが、別にいい。
日下を逃がせたのだから、最低限の仕事は果たせた。
「大岩あああああああ!」
遠くに日下の姿が見えるが、きっと幻影だ。
薬を飲んで俺を助けに来たとか、そんなことしなくていいぞ。
死体になりつつある俺を見て泣き叫びながらも、激情に任せて狭井に殴りかかりにいく。
そんなことはいいから、
お前は、逃げて。
日下に何も言えないままに、大岩は意識を手放した。




