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第25話 三日目08:45

 藤春祥子は小学校時代、仲の良い数人の女子グループで固まって行動していたため、赤星恒晴と関わる機会はほとんどなかった。

 喧嘩っ早い性格の赤星を、周りの友達は敬遠していたし、藤春も「怖い」と思って近づかなかった。

 だが、同じ学校、同じクラスで生活する都合上、関わらざるを得ない場面はどうしてもある。


 体育の授業でドッジボールをした時、藤春は赤星と同じチームになった。

 力が強くない藤春はボールに当たらないように、クラスメートたちを盾にして、隠れるように動いた。人混みに紛れていれば安全だ。スポーツは全部苦手だが、逃げたり隠れたりするのは得意だった。

 試合が進むにつれて、藤春の身を守るクラスメートたちが、ひとり、またひとりとアウトになって脱落していく。

 ついに、内野は赤星と藤春のふたりだけになった。敵チームの内野はまだ五人以上残っていて、劣勢だった。

 藤春は、最後の盾となった赤星の後ろに隠れるように動く。

 敵チームのパスが外野に飛んでも、ボールが届く前に回り込んで赤星の後ろにつく。

 こうしていれば、藤春が狙われることはない。

 そして、赤星は飛んでくるボールはすべて避けずに受け止めた。

 その繰り返しで、試合は膠着状態になった。

 ふと、藤春は不安に思った。


(赤星くん、私のこと、ウザいと思ってる……?)


 授業が始まってから、藤春は一回もボールを投げていない。受け止めないのだから当然のことだ。何の貢献もせず、ただうろちょろしているだけ。赤星の機嫌を損ねるかもしれない。

 赤星に限った話ではない。何だか、敵チームからも味方チームからも嫌な視線を受けている気がしてきた。何であんな奴がまだ生き残ってるんだよ。さっさと脱落しろよ。言葉で言われたわけではないし、ただの思い込みかもしれないが、藤春を見る表情がそんな感情を含んでいるように思えてきた。藤春の数少ない友達だけは、最後まで残ってる藤春を見て「すごいすごい」とむしろ喜んでるみたいだったけど、それ以上にできることは特にない。そもそも全員敵チームなので援護してくれない。

 できるなら自分もちゃんとドッジボールに参加したい。だからと言って、飛び交うボールは藤春には速すぎる。痛そうだし、勇気が出ない。

(怒鳴られたりしたら、どうしよう……)

 怯えで身体が硬直してしまい、藤春の足が止まった。そこに、敵チームが投げたボールが飛んできた。避けられない、と思ったところ、軌道上に赤星が割り込み、難なくキャッチした。


「よう、藤春」

 赤星は振り返ることもなく、ボールを弄びながら言う。その口調には棘がなく、

「生き残ってくれてサンキュ。俺がボール捕り損ねたら、フォローよろしくな」

 藤春を責める気配も一切なかった。


 結局その後、赤星が敵チームの内野を全員アウトにしたため、藤春が赤星をフォローする場面は訪れなかったが、いずれにせよ、藤春は赤星に対してある種の安心感を抱いた。

 別に、誰彼構わず敵意を向ける人じゃない。

 役立たずの私でも、励ましてくれる。

 周囲の目を気にしすぎて萎縮する癖のある藤春だったが、この日から、赤星を怖がることはなくなった。

 それどころか、何かあった時に、赤星を助けてあげたいと思うようになった。


 赤星は敵を作りやすい性格をしている。攻撃的だからよく恨みを買うし、学校の先生たちからも問題児扱いされている。赤星が理不尽に責められるようなことがあったら、庇ってあげたい。

 赤星は真面目に勉強をしない。テストの点が悪かったり、授業中に簡単な問題に答えられなくて恥をかいたりするのを本人は気にかけていない様子だが、できたら援護してあげたい。席が近かったら、答えをこっそりと囁いて教えてあげたい。

 珍しくそんな自発的な意志が芽生えたが、よくよく注意して見てみると、すでにそういう風にさりげなく赤星を助けているクラスメートがいることに気がついた。


 月影芙和と天童玲。


 何だ、赤星くんが実はいい人だって知ってる人、他にもいたんだ。

 安心したと同時に、残念な気持ちにもなった。

 三人は何だかんだ言い合ってるけど仲が良さそうで、自分が入り込めそうな隙間がなかったから。



 意識朦朧の状態で寝ていた藤春にとって、赤星の存在に気づけたのは幸運だった。会話は朧気にしか聞いていなかったが、氷川が「赤星」と呼びかけたのを、藤春の耳は鋭敏にキャッチした。

 この島に赤星が来ていることは、初日の時点で知っていた。赤星が運営者である破芝に楯突いたのを見て、藤春は当然驚いたが、同時に「ああ、赤星くんらしい」と納得していた。喧嘩早さは小学校時代から変わっていない。

 藤春は赤星とは別の中学校と高校に進学して、その間、特に連絡をとることもなかったため、赤星と会うのは三年以上ぶりになる。卒業前に、同窓会の連絡のためと言ってクラスの皆でチャットアプリにグループを作ったが、当時の赤星はスマートフォンの類を持っていなかった。

 もっとも、もし持っていたとしても、自分から連絡する勇気はなかっただろうな、と藤春は思う。


「元気してたか? ……って、そんな場合じゃねーな。元気でもなさそうだし」

 赤星は身体強化剤を持った手を下ろし、心配そうな表情で尋ねてくる。

「藤春もどっか怪我したのか?」

「ううん。あ、あ、あのね、怪我とかじゃなくてね、薬の……、っ!」

 答えようとした藤春は、秋野の視線に気づいて言葉を呑み込んだ。秋野は敵を睨みつけるかのような表情で、藤春を見下ろして凄んでいる。声を出さずに、口の動きで藤春に「黙ってろ」と命じてきた。


 藤春が体調を崩したのは、身体強化剤を大量に服用したためだ。服用を指示したのは秋野だ。そのことが赤星に伝わった場合、赤星は憤って、破芝にそうしたように、秋野にも殴りかかるかもしれない。

 藤春はどうしていいかわからなかった。秋野の実験台を続けていると、いつか死んでしまうかもしれない。だから、赤星に助けを求めたい気持ちもある。しかし、秋野に逆らうのは恐ろしいし、それ以上に、赤星に助けを求めた結果が怖かった。


 身体強化剤を使った戦闘になったら、おそらく死者が出る。赤星が死んでも、秋野が死んでも、藤春は罪悪感に耐えきれないだろう。

 というより、ほぼ間違いなく秋野が勝ち、赤星が死ぬ。

 自分のせいで赤星が死ぬ、という重圧。

 藤春の脆弱な精神は、押しつぶされそうになっていた。

(赤星くんに会えて、嬉しいと思ったのに……)

 声が出ない。

 ここで赤星に縋ることは、できない。

 ドッジボールの時と同じで、結局私は何もできない。

 何かしたら、状況が悪化する。


「……だ、大丈夫だよ。ちょっと疲れちゃっただけだから」

「疲れるようなことが、何かあったのか?」

「いや、そ、そういうわけじゃなくて、殺し合いなんて私にはプレッシャーが強すぎて、何もしてなくても疲れるっていうか」

「……言われてみりゃ無理もない話か。何か、俺のほうが感覚麻痺してるみたいだ」

 藤春の言い繕いはたどたどしかったが、赤星は納得した様子で引き下がった。

 秋野は満足そうに微笑む。「それでいいの」と藤春にだけ聞こえるように囁いた。

 赤星は怪訝な顔で問う。

「藤春、今、何言われた? つーかそもそも、この女は仲間なのか?」

「何よ。私と藤春さんが仲間じゃ悪いわけ?」

「てめーに聞いてねえ。藤春に聞いてる」


 邪険に扱われ、秋野は表情を醜く歪めた。このまま放っておくと暴発するかもしれない。

 もし秋野が赤星たちを攻撃すると決めた場合、身体強化剤を一度に三錠呑み込むだろう。

 秋野は昨日と一昨日の二日間で藤春の身体を使って実験し、身体強化剤の投与量と効果を検証していた。三錠使ったら、相手が一錠で強化していたのにあっさり殺害できる筋力が得られた。反動は麻痺の時間が延びただけで、デメリットが小さい。

 五錠はダメだ。得られる力は大きかったが、全身に激痛が走り、すぐに倒れてしまった。今も発熱が続いている。

 だから三錠。

 赤星は対処できないだろう。薬効の検証は薬を大量に得た秋野だからこそ可能だったのだ。他の者がこの事実を知るはずがない。赤星は、秋野が身体強化剤を一錠使って攻撃してくることは警戒しているだろうが、それ以上の威力は想像していないはずだ。


「あのっ……、あ、あ、赤星くん……!」

 本当なら秋野の奥の手を教えてしまいたいが、そうしたら秋野からどんな仕打ちを受けるかわからない。

「レミちゃんは、私の友達だから、あんまり喧嘩腰にならないで……」

 言葉を絞り出し、赤星の矛を収めさせるしかない。

 赤星は数瞬、口をへの字に曲げて黙った。何か解せないという表情で、秋野と藤春の顔に交互に目をやる。

 赤星は弱者を気遣ってくれるが、自分が強い人間だから、弱者の気持ちはわからないのだ。赤星なら思ったことを何でも言えるだろうから、藤春が何も言えない事情を察してくれない。

 せめて、連絡先を交換できれば。

 小学校時代と違い、今の赤星は運営から配られた通信端末を持っている。秋野に見つからないように通信できれば、藤春の窮状や秋野の手の内を教えられる。

 それどころか、秋野と手を切って赤星と行動できるようになるかもしれない。

 秋野に怪しまれないように、適当な理由をこじつけて赤星の連絡先を入手しなければ。

 と思ったところで、


「…………」


 病室の入り口を見て固まった。

 赤星の仲間と思しき人物が、新たにふたり到着していた。長身で容姿端麗な男子と、おっとりとした印象の女子。どちらも警戒しながらこちらの様子を窺っている。

 小学校時代の面影が強く残っているので、天童玲と月影芙和であることはすぐにわかった。

 赤星は嬉しそうにふたりに声をかける。

「よう、ふたりとも来たのか。見ろよ、藤春がいたんだぜ。小学校の時の。覚えてるか?」

「いちいち説明しなくていいよ。会話の内容を聞いたからこっちに来たんだ」

 天童は自分の通信端末を示しながら赤星に応じた。

 月影は「祥子ちゃん、お久しぶり」と藤春の下の名前で呼びかけて挨拶してきた。小学校時代の呼び名だった。

 藤春が戸惑って返答をまごついている間に、月影は赤星に向き直り、口を尖らせて言う。

「こーせーくん、ひとりで先走らないでよー。今回はたまたま祥子ちゃんだったから危なくなかったけど、危ない人だったらどうするの? 近づきすぎだよ」

「近づかないと話ができねーだろ? 氷川が言いたい放題言われてて、居ても立ってもいられなくてな」

 立ち位置的にも精神的にも、距離感が近い。言い合いをしているものの、険悪さは一切ない。


(彼氏と彼女みたいだ)

 と藤春は感じた。

 昔のクラスメートたちとの再会を喜ぶ気分にはなれなかった。自分の中に、嫉妬の念に似たものが芽生えたのを感じる。

(そういえば、月影さん、小学校の時も赤星くんと仲良かったもんね……。そのまま進んで高校生にもなったら、そういう関係になるよね……。そうだよね……)

 独り合点して落ち込んでいく。

 赤星と月影の関係に思いを巡らせているうちに、藤春は連絡先を聞くことをすっかり忘れてしまっていた。

「はいはい、プチ同窓会を開いてるとこ申し訳ないけど、話を戻していいかしら?」

 秋野が苛立ちを露わに声を張り上げる。

「私はあなたの仲間の治療はしない。そして、あなたたちはとっとと立ち去る。そういうことでいいかしら?」


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