第24話 三日目08:20
秋野レミは初日の時点でこの病院を発見していた。講堂で薬剤を大量に入手したので、惜しげなく使い、島の端から端まで走り抜けた。島の規模、地形、町の分布を把握した上で、病院を潜伏場所として選んだ。医療機器を自分たち以上に使いこなせる受験者は、おそらくいない。
講堂では薬剤のついでに通信端末も回収しておいた。その時点では用途を決めていたわけではなかったが、侵入者対策に活用できることに気づいた。
正面入り口や裏口、窓や屋上など、侵入される可能性がある場所に、通話状態にした通信端末を設置して音声を拾う。物音があれば即座に察知できる。
三日目の今日になって、その仕掛けが有効に働いた。侵入者たちが正面から堂々と入ってきたのを、秋野は病室にいながらにして知ることができた。
秋野は、この島での生存競争において、自分が頭脳と物資の面で他を圧倒していると自覚している。
ただし、人数と腕力ではその限りではない。
相手の人数は不明だが、足音から察するに四、五人。そして、こちらは唯一の仲間である藤春祥子が病室のベッドに臥せている。
「…………」
昨日高熱を発して寝込み、いまだ快方には向かっていない。苦しそうな表情で目を閉じ、浅い呼吸を繰り返している。
単なる体調不良では、おそらくない。これは身体強化剤の過剰投与による副作用だと、秋野は理解した。
破芝は初日に「一日三錠まで」と警告していた。昨日の藤春は朝に三錠飲んで敵を殺害し、昼に実験でもう三錠飲んだ。その直後に、肉体への負荷が限界を超えたのだ。
「さて、私だけで何とかしましょう」
独り言を言って立ち上がる。藤春を置き去りにして逃走するという考えもなくもないが、最終手段だ。何かと足手まといな存在ではあるが、藤春にはまだ利用価値があるし、侵入者も放置したくない。
殺すか、もしくは実験材料として確保するか。
身体強化剤を五錠ほど、いつでも飲み込めるように左手に握る。右手には酸性溶液の瓶。場合によっては敵に投げつけて攻撃できる。
戦場に選ぶのは、この病室。いざというときに藤春を利用するための選択だった。
*
ほどなく、赤星たちは病室にたどり着いた。一撃で全滅することを避けるため、氷川だけがドアの前に立ち、赤星たち三人は距離をとって様子を伺う。身体強化剤を使用する敵を想定した常道の陣形だった。
最も危険な役割は当然、相手と向き合うことになる氷川である。赤星と天童をさしおいて氷川が名乗り出たのは、この対峙が大岩のためのものだからだ。
怖々とドアを開けた氷川が見たものは、右手に瓶を構えて立つ秋野レミと、ベッドに横たわる藤春祥子の姿だった。
氷川はおぼつかない口調と身振りで、自分に敵意がないことと、大岩の状態を説明して協力を求めたが、
「何で私が協力しないといけないの?」
秋野はにべもなく、突っ慳貪に言った。
「あなたの仲間の腕を繋ぐ。それに関しては、できるともできないとも言えない。実物を見てないから。で、仮にできるとして、あなたの仲間を助ける理由はないわ」
「もちろん、タダでとは言いません。欲しい物があれば言ってください。身体強化剤でも食糧でも差し出して……」
「どっちもいらないわよ、毎日配られるんだし」
「俺たちをこきつかってくれても構わない。護衛役とか、戦闘の時の囮とか……」
「不意打ちで大怪我して狼狽える程度の戦力とメンタルで? どうやって護衛するつもりなの? ほんっと、図々しい」
「……返す言葉もないです」
「言っとくけど、あなたに協力する理由はないけど、殺す理由ならあるのよ?」
秋野は表情を変えず、左手の指先で身体強化剤を弄び始めた。
瞬きをしない目に射すくめられ、氷川は気圧される。
相手は同年代の女子にすぎないはずなのに、格上の存在に感じられた。人を殺すことについて、まったく抵抗を感じていない。
「お、俺を攻撃すると、仲間がやって来るぞ……?」
「そうよね、知ってる。だからちょっと様子を見てたんだけど、あなたたち何人で来たの?」
「…………」
氷川は答えに詰まった。
ここで正直に人数を言っては、天童たちに危害が及ぶかもしれない。とはいえ、でたらめな数を言ったところで騙しきれる自信もなかった。氷川は嘘をつくことに慣れていない。
その逡巡に苛立ったように、秋野は凄んだ。
「……あなたを殺してお仲間をあぶり出すって手もあるんだけど?」
「させるかよ」
殺気を受けて怯んだ氷川の隣に、いつのまにか赤星恒晴が立っていた。
距離を置いて待機しているはずだったのに、会話の内容を聞いて駆けつけてきたらしい。天童と月影がいないところを見ると、赤星の独断に違いない。
しかし氷川は、赤星の暴走を咎める気にはなれなかった。無鉄砲ではあるが、堂々とした佇まいが頼もしかった。
「お仲間ね?」
「殺される前に、あぶり出されてやったぜ」
「……そんなドヤ顔して言うこと?」
「どんな顔だったら満足なんだ? てめーの脅しにビビってオドオドしてたらいいのか?」
「立場考えたら? あなたたちは負傷者の治療をお願いしに来ているんでしょう? 隣の彼みたいに礼儀正しくしたほうがいいと思うけど」
「確かにお願いしてる立場だが、それを利用して図に乗ってる女に払うような礼儀はねーわ」
「あっそう。じゃあ治療はしない。とっとと出て行って?」
「おう、そうだな。それじゃ」
あっさり去ろうとする赤星を、氷川は慌てて呼び止める。
「な、何勝手なこと言ってるんだよ! 大岩のこと考えてくれよ! ここで交渉が決裂したら、大岩の腕が……!」
「だからってよー、こんな女に治療してもらって嬉しいか? そもそも、ちゃんとした治療をしてくれると思うか?」
「…………!」
「これは勘だが、この女、たぶん腕を繋ぐ手術なんてできねーと思うぜ?」
「言ってくれるわね? 舐めてるの?」
秋野が会話に割り込んでくる。ひきつった笑みに怒気を滲ませるが、赤星は動じない。
「舐めてるっつーか、何つーか……、俺の中で辻褄が合わねーんだわ、てめーの態度」
赤星は頭をかきながら言う。
「切れた腕を繋ぐ技術って、よく知らねーけど、大学の医学部とかで教わるもんだろ? 仮に高校生がそんな技術を持ってるとしたら、それはきっと『傷ついた人を助けたい』っていう強い意志、執念で学び取ったものだと思うんだわ。で、そんな意志を持ってる人間なら、こうやって困ってる氷川を脅すような真似はしねーはずだ。だから、辻褄合わねー。てめーは嘘をついてる」
秋野は図星を突かれたのか、ただ赤星を睨んで立ち尽くすだけだった。反論しようと口を開きかけるが、言葉が出てこない。
氷川は赤星を仰ぎ見た。
赤星の主張を聞いて、氷川はほとんど納得していた。頭が悪くて暴走しがちという印象の裏腹、直感と正義感で正解に迫っていくところは侮れない。
何より、ここまで堂々と自分の味方をしてくれるのが、心強かった。
「つーわけで別の奴探して頼もうぜ? 腕を繋ぐのはもう諦めるとしても、消毒とかなら天童に任せちゃってもいいんじゃねーか。あいつ頭いいし、本とか読んで調べたら、この女よりいい治療してくれるかもよ?」
確かに、この病院にある医薬品を持ち出すことができれば、専門家の手を借りずとも、大岩の苦痛を緩和させられるかもしれない。
だが、こちらが医薬品を持ち出すのを、秋野は黙って見ているだろうか?
「あ、赤星、ちょっと、相談を……」
秋野に聞かれないように、病室から離れようとする氷川。
だが、その瞬間、氷川は肝を冷やした。
「!!」
ベッドに寝ていた少女が、突如として身を起こした。
ばね仕掛けに弾かれたような勢いで、上半身だけ起き、充血した目を見開いてこちらを見る。肌も上気したように赤い。
それまで意識の外に置いていた少女の動きに、氷川は怪談じみたものを感じた。
赤星は氷川よりも素早く身構えていた。奇襲に備え、いつでも身体強化剤を飲み込めるように、指先で摘んで口に近づけている。氷川も慌ててそれに倣う。
秋野は「あら、起きたの」と、特に感慨もなさそうに、ベッドの上の少女に声をかけた。
「赤星くん、いたんだ。お久しぶり」
少女は目は見開いたまま、うっすらと笑みを浮かべて挨拶した。
「……誰だ?」
赤星は難しそうに眉を寄せながら尋ねた。
「覚えてない? 小学校おんなじだったんだけど」
「んー……、すまん、ちょっと思い出せん」
「私、藤春祥子」
「ふ、じ、は、る……藤春か!」
思い出した様子だった。




