第21話 三日目07:51
破芝と部下の若宮のふたりは、モニターで戦況を観察していた。
「鍵山投手、今日は絶好調だなあ」
配付所の建物の屋上にいる鍵山たち三人組の姿を見て、破芝が感嘆する。見ている間に、鍵山は次なる投擲動作に入る。
二日目の昨日こそ狭井兄弟の策に阻まれてしまったが、それは「遠距離から配付所付近を狙う」というスタンスだったためだ。配付所の上からの投擲であれば、運営者を巻き込む恐れはなくなる。
今朝だけで十数名を死に追いやった。殺害通算数は狭井には到底及ばないが、それでも、他に圧倒的な差をつけての二番手である。
「身体強化からの投擲動作に、ずいぶん慣れてきたように見えます」
若宮が感想を述べた。身体強化剤を飲んだ後は、感覚が激変する。普通に石を投げようとすると、石を掴んだ段階で握りつぶしてしまう。
鍵山は、仲間から石を受け取る際、手に力を入れないように留意している。指で握らず、掌の上に乗せる程度。
その後、振りかぶらずに、腕をだらりと伸ばしたまま始動する。脚と腰だけを回転させて、腕を鞭のように振り回す。リリースの瞬間、指先にのみ力をいれ、スナップを利かせて二投目を放った。
「……巧い!」
もともと野球部のエースピッチャーとして活躍していた鍵山だからこそ可能な、精密な動作だった。
石は時速五百キロで、空気を切り裂き、一キロほど先にいる赤星たちめがけて飛翔する。
だが、石はわずかに横に逸れ、繁華街の店に飛び込んだ。爆発したかのように、壁と窓が破片となって飛び散った。
「さて、赤星くんたちは正しく対処できるかな……?」
破芝は口元に笑みを浮かべて画面を見つめる。対処を誤った人間の末路は、既に赤星たちの足下に転がっている。
*
赤星は迷わず身体強化剤を手にした。後先のことは考えず、口に入れて噛み砕いた。
直後に投じられた石礫は、赤星めがけて飛んできていた。迫り来る速度に一瞬恐怖を覚えたが、肉体の強度を上げて硬化した今なら受け止められるはずだ。野球の野手のように左手を掲げて構えた。
「--って!」
五指で掴むつもりが、掴み損ねて弾かれた。石礫の威力は多少減殺されたが、それでも、商店の壁にめり込む力は残っていた。
指や腕に傷はないが、痺れが走った。仮に身体強化しない身で受けていれば、よくて骨折、悪ければ部位ごとちぎれ飛ぶところだった。
後方でうずくまる大岩が果たしてどんな状態なのか、赤星の位置からはわからないが、おそらく身動きできまい。心配ではあるが、大岩に駆け寄ったりはしない。
「てめえ、何しやがる!」
誰が制止する暇もなく、怒鳴りながら前進した。
一歩目で足下のアスファルトを砕き、二歩目で五メートル以上跳び、三歩目でトップスピードに乗る。
左右の景色がほとんど見えなくなる速度。一キロの距離を詰めるのに、通常なら三分以上かかるところ、今の赤星なら二十秒もかからない。
だが、その二十秒の間に、投擲手はさらなる礫を赤星に放つ。赤星が前進しているため、当然、相対速度は増加している。
だが、攻撃される覚悟をしていれば対処できる。掴み取るのは難しいと見て、
「うらぁぁっ!」
一発、二発と、赤星は拳で撃墜する。
石自体の強度は、赤星の肉体よりも脆い。速度は侮れず、無防備に頭や腹などの急所に受けるのは怖いので、硬化した拳で粉砕する。赤星の度胸と動体視力があってこその芸当だった。
三発目が放たれる前に、距離を詰めきった。配付所の屋根の上に立つ人物の姿がはっきりと目視できる。
坊主頭の男。体格は中肉中背で特徴に乏しいが、よく日焼けしている。シャツの半袖から伸びる腕には余計な脂肪がなく、ほどよい筋肉が乗っていた。
「やっぱり野球部かよ」
「……!」
男は、明らかに動揺を見せていた。
*
男の名は鍵山隼人。赤星の見立て通り、高校では野球部に所属している。入学早々に部のエースピッチャーの座を奪った逸材で、現在は二年生。
島に連れてこられて三日目。何度となく身体強化して遠距離攻撃を仕掛けてきたが、標的にここまで距離を詰められたのは初めてだった。
これまでの標的は簡単だった。最初の一撃で動揺し、足を止めてくれるなら、そこを狙えば楽勝だ。逃げ出してくれても問題ない。逃げ疲れて足が止まった時や、こちらに背を向けた時を狙えばいいのだ。慣れない投げ方で狙いは大雑把だが、コツを掴んで徐々に精度は上がっている。
この戦術を考えた金井さんは鬼だ、と鍵山は思う。安全に敵の数を減らせて、自分たちは生き残れる。
昨日、「運営者を盾にする」という狭井たちの作戦によって一度は阻まれたが、自分たちが運営者と同じ地点に居れば、その作戦も打ち消せる。
だが、今、もっと原始的な方法で対抗されている。
(まさか、逃げずに向かってくる人がいるなんて……)
狙撃手を叩くために近づく、というシンプルな行動。言うのは簡単だが、接近中に狙撃されることがほぼ確実であり、実行には大きな危険が伴う。
だが、その危険さえクリアできれば、最も早い攻略法でもあった。赤星は最善手を吟味したわけではなく、怒りに猪突猛進しただけだが、結果としては正解に肉薄していた。
赤星は屋根の上に立つ鍵山を睨んで言う。
「野球ってのは、そんな風に人を殺す手段だったのか? 俺の知ってる野球とちげーみてーだが、どうなんだ? てめーは野球に対して申し訳ないなあとか、後ろめたいなあとか、思わねーのか?」
「……!」
視線で射すくめられ、声が出なかった。
(やべえ……! この人、やべえ……!)
実際のところ、赤星の指摘は鍵山の精神的な急所を突いていた。
もともと、人を殺すことに対して強い嫌悪感があったが、仲間である金井に半ば強制される形で攻撃を始めた。当初抱いていた罪悪感は「破芝や金井が言うのだから仕方ない」という自分に対する言い訳で、ほとんど消えかけていた。また、敵が遠くにいるため、死体を間近で見ずに済むという状況も鍵山にとって好都合だった。
だが、標的が接近してきたことで、その状況が瓦解した。
死ぬはずだった人間が今、鍵山の目の前にいる。
しかも、仲間が攻撃された怒り、恨み、憎悪をたぎらせている。
こういう状況には弱い、と鍵山は自覚している。この島に始まった話ではない。投手として、全国の高校生の中でも上位の実力を持ちながら、大舞台では緊張で腕が縮こまり、全国大会に出た経験はない。相手が格上の打者だと感じてしまうと、本来の実力が発揮できなくなる。
狙撃をかいくぐった赤星を、鍵山は格上として認識してしまっていた。
「反省の言葉もねーのか。だったら、力ずくで謝らせる!」
赤星は跳躍した。配付所の屋根の高さを優に越え、落下しながら鍵山に襲いかかる。
野球の試合であれば、敬遠や、最悪、降板して逃げることができる。今までにも何度もやったことだ。だが、この場面、鍵山は逃げることができなかった。咄嗟に身体が動かなかった、というのも大きな原因だが、それ以上に味方である金井の存在があった。
(ここで逃げたら、後で金井さんに何をされるかわからない……!)
「ああああああっ!」
気迫を込めたかけ声のつもりが、情けない悲鳴のようになった。
鍵山は赤星の拳を見切ることは諦めたが、防御に右手は使わず、左手だけで頭部を守った。彼の右腕はこの島で生き抜くためにも、生き延びた後でも、命の次に大事だ。失うわけにはいかない。
左手の骨にまで響く打撃。衝撃は全身に伝わり、鍵山が踏む屋根にも小さく亀裂が走った。
「ぐぅ……っ!」
反撃など到底できない。それどころか、赤星の二撃目を防ぐことも難しい。
だが、二撃目は飛んでこない。
金井佳奈は、標的が接近してくるケースも想定して作戦を練っていた。
「にゃっはは~。きみ~、ひとりで来るなんて迂闊だったんじゃないの~?」
身を隠していた金井が躍り出て、赤星の背後から抱きつき、動きを封じた。




