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第10話 二日目06:15

「こーせーくん、朝だよー」

 翌朝、赤星は月影に起こされ、目を開けた。そこが見慣れた自宅の部屋でないことに違和感を抱いた後で「ああ、そうか」と自分の現状を思い出した。

「……おはよ、月影」

「うん、おはよう。見張り、ありがとね? まだ眠い?」

「大丈夫だ。起きる、起きるから」

 夜間の見張りは赤星と天童が交代で引き受け、月影を休ませた。睡眠時間はおよそ四時間。普段よりも短いが、極端に過酷なものでもない。

 過酷なのは睡魔よりも空腹のほうだった。ここまで丸一日以上、食糧どころか水すら与えられていない。身体全体が怠い。脳にもエネルギーが回ってこず、頭がぼんやりする。

「腹、減ったな」

「うん……」

「あと、口がすっげえ乾いてる。口臭がヤバいことになってそう」

「意外。こーせーくん、そういうの気にするほうなんだ」

「そうか? 普通だと思うが」

「こんな状況だし、そんなの誰も気にしないよ」

「確かにな。ぶっちゃけ、それどころじゃない。でも昨日会ったアイツとかは気にしそうだ。あのヴィーナス野郎」

「ヴィーナス野郎……」

 木崎のあだ名を勝手につけた赤星だった。月影はリアクションに困った様子で苦笑している。

「ところで、天童はどうした?」

「まだ見張りしてる。こーせーくんが起きたら食糧をとりにいこう、って言ってた」

「おう、賛成だ。珍しく天童と意見が合ったわ」

 赤星はややふらつく足取りで、それでも小走りで天童のところへ向かった。

 すると、


「うわああああっ!」


 天童の絶叫が聞こえた。月影は驚きで硬直し、対照的に赤星は駆けだした。

「敵かっ!」

 廊下を一瞬で抜け、玄関を飛び出す。緊急事態に備えて靴を履きっぱなしで寝ていたので、何の躊躇もなく外へ出られた。

 天童は民家の塀の後ろに隠れて、外の様子を恐る恐る窺っていた。よほど動揺しているらしく、いつもの冷静な佇まいはどこへやら、へっぴり腰になっている。

「天童、どうした!」

「あ、あ、赤星、そ、外に……」

「敵か、だったら早く逃げるぞ!」

 赤星は天童の首根っこを掴んで引っ張ろうとした。今、赤星たちは薬を所持していない。身体強化した敵に襲われたら応戦できず、逃げるしかないのだ。

 だが、天童はその場を動かず、

「違う、敵じゃない、敵じゃないんだけど」

「じゃあ何だ!」

「犬がいるんだ!」

 赤星は目が点になった。

 見れば、道に野良犬が一匹、立ち止まってこちらを見ていた。さほど大きくはない。頭の高さは人間の膝程度。体毛は狐のような薄茶色で、足先だけは白いが、全体的にくすんでいる。栄養状態は悪いらしく、痩せている。

 普通に考えて、危険度は高くない。

 だが、赤星も天童に倣って塀に隠れた。

「犬かよ、こえーだろーが! あっちいけ! しっしっ!」

 赤星も天童も犬が苦手だった。

 ふたりとも幼少期に噛みつかれた経験があり、高校生になった今も苦手意識が抜けていない。

 遅れてきた月影は、恐れおののくふたりの男子の後ろ姿と、痩せた犬を見て苦笑した。

「こーせーくんも天童くんも、怖がりすぎじゃん」

 門を出て犬を撫でにいく。

「そんなこと言われたって苦手なもんはしょーがねーだろーが! 今のご時世、動物を蹴り飛ばすわけにもいかねーしよ!」

「あっ、違っ、月影さん! 僕はただ犬が怖いんじゃなくて、狂犬病の危険があるから避けてるんだ! 触らないほうがいいよ! 触らないほうがいい!」


 天童の物言いはほとんど苦し紛れだったが、まるきり的外れな指摘でもなかった。住民のいない島に棲む犬。当然、狂犬病対策などされているはずもない。

「そっか……。ごめんね、ワンちゃん」

 月影は後ずさりながら、微笑んで手を振る。犬はワンワンと甲高く鳴いて答えた。眼差しに未練を滲ませて月影を見つめたが、やがて諦めたように歩き去った。

「……行ったか?」

「行ったね」

 赤星と天童はふたりして安堵のため息をついた。

「それにしても、月影は怖くねえんだな、犬」

「ぜぇんぜん? 可愛いもん」

「猫のほうがかわいいだろーが!」

「うん、猫もかわいいね!」

「そうか、よし、気が合うな!」

「……赤星も月影さんも、何か話ズレてない?」

 天童は呆気にとられた様子でツッコミを入れた。


 この時点で、三人とも重要な事実を見落としていた。

 野良犬が生息しているという事実。

 つまり、この島には野良犬が食べられる食料、飲める水分があることを意味する。そして、それらは人間も飲み食いできる物かもしれないという可能性も考えてしかるべきところだった。

 既にこれらのことに気づいて動いている受験者もいたが、赤星たちは運営者の食糧配付所に依存するしかなかった。



 食糧配付所は島内に四カ所ある。位置は大雑把にしか知らされていないが、最寄りのものは、赤星たちが占拠した民家から徒歩十分程度のところにあった。

 この家を拠点とすると決めたのは天童だった。あまり近すぎるところに居を構えると、他の受験者の目に付きやすい。かといって、遠すぎると不便だ。バランスを考えた判断で、今のところ成功していると言えた。他の受験者とは、まだ遭遇していない。

 移動中、位置を知られるとよくないので、できる限り音を立てたくないが、抜き足差し足では時間がかかりすぎるので、普通に歩く。会話するときも大声を上げない。そういった取り決めをして、三人は配付所に向かって出発した。


「いつ鉢合わせをしてもいいように、心の準備だけはしておこう」

「準備って、それは戦う準備か? 逃げる準備か?」

「基本的には逃げる、だね。僕らの手元には今、薬が一個しかない。正面からぶつかりたくない」

 赤星の問いに対して、天童は丁寧に説明する。

 逃げる場合、三人全員で一目散に逃走することもできるが、相手が身体強化して追ってきたら一瞬で追いつかれてしまうだろう。こちらも、誰かひとりが身体強化し、他のふたりを小脇に抱えてその場を離脱する、という手段が現実的だ。

「その、身体強化する役は、天童くんでいいんだよね……?」

 月影は質問というよりは、確認するように尋ねた。

 使いどころを判断できるという点で、天童が適役だった。

 他のふたりでは不安要素が大きい。月影は反射的に動くのが不得手だ。突発的な事態に動揺し、硬直し、敵の先制攻撃を許してしまう可能性が高い。

 その点、赤星であれば咄嗟に動けるが、早まって不必要な場面で使ってしまうかもしれない。

「大事な判断を任せちゃって何だか申し訳ないんだけど……」

「いいよ。僕も絶対の自信があるわけじゃないけど、最善を尽くす。誰も死なせない」

「なあ、天童、相手が狭井でも逃げるのか?」

 赤星は不満げに尋ねる。初日のことを根に持って、戦意に溢れすぎていた。

「うん。逃げるよ」

「あいつらも昨日、薬を消費してるだろ? だったら条件は五分だ。多少リスキーでも、今潰しておいたほうがいい」

「僕たちと遭遇するタイミングで、彼らが薬を補給済みの可能性がある」

「ああ、そうか……」

「赤星はそんなに戦いたいのかい?」

「狭井とは、な。他の奴らなら別にいい。あ、でも狭井の真似をしてくる奴もいるかもしれないから、別によくないわ」

「……逃げずに戦っていい条件を提示しておくよ。これ以外の場面なら逃げる。約束してほしい」

 渋々といった体で、天童は赤星に言い渡す。



 島内某所の地下の一室で、破芝は相変わらずモニターを眺めて、各地の動きを確認していた。四カ所に設置した配付所には自ら出向かず、部下を送ってある。

 隣にも部下が控えている。同じ砂色の軍服を纏った、小柄で短髪の女性。精悍な面構えで、臨戦態勢のような雰囲気を発している。後ろで手を組み、脚を肩幅に開いているが、指先、足先の角度にまで神経が行き届いている。


「もう少し楽にしていいぞ、若宮くん」

「いえ。自分は十分に楽をしています。『休め』の姿勢ですから」

 凛とした声で、若宮は応じた。

「ふむ。君がそう言うのなら別にいいが」

「質問してよろしいでしょうか」

「何かね?」

「彼らを放置して構わないのですか」

 若宮の視線の先にあるモニターを確認し、破芝は微笑した。

「なるほど、あれが気になるか」


 昨日に引き続き、今日も早々に殺人が発生していた。

 狭井たちでもなく、赤星たちでもなく、昨夜に民家を破壊した三人でもない、別のチームが始動している。

 それも、破芝たちの想像の枠を越えた戦術を携えて。

「今後の運営に差し障る可能性が高いと感じます。通信してやめさせるべきでは?」

「ところが、私は昨日『禁止行為以外は何をしてもいい』と言ったんだよ。それを曲げるわけにはいかない」

「では、あれを認める、と……?」

「禁止事項に引っかかってはいない。それに、曲がりなりにも『試験』が進むのは歓迎だ。停滞するよりずっといい」

「ですが……」

「確かに、見ていて快いものではない。実戦の場で通用するとも思えない。だから私も、戦闘要員としては高く評価しない。しかし、今この場においては、ああいう戦術を禁止する理由にはならないな」

 破芝は、冷徹に言い放つ。

「あんな戦術に引っかかるような受験者を間引けるという意味では、案外有用かもしれんよ」

「……なるほど」

 若宮は何か言いたげではあったが、飲み込んだようだった。

「さて、おお、赤星くんたちが近付いてきてるな。彼らはどう対処するか、見物だな」

 破芝はモニターを指さして、趨勢に注目した。



 赤星たちが向かっている配付所は、繁華街の中に設置されていた。かつては近隣の住民や観光客で賑わっていたであろう飲食店街。打ち捨てられた今となっては、建物は傷み、道には雑草が生え放題で、寂寥感を漂わせている。

 天童は、店の看板や垂れ幕の一部がはぎ取られていることに気がついた。いずれも、地名が記されているはずの部分が読めなくなっている。不自然な空白の後に「へようこそ」という文字だけが残っていた。

 運営者の仕業だろう、と天童は推測した。

 受験者たちに必要以上の情報を与えないための措置。ここが日本国内であることだけは知られてもいいが、具体的にどの島なのかは伏せておく、ということか。

 代わりと言っては何だが、男がひとり立っていた。

 砂色の服を着た細身の男。赤星たちを一瞥し、身振りで店の建物を示しながら、淡々と告げる。


「受験者だな。そこが配付所だ」

「ご案内、どうも」

「…………」

「…………」

 天童は軽くお辞儀を返したが、赤星と月影は黙っていた。赤星は視線に敵意を込めて男を睨み、月影は緊張している様子だった。

 三人は歩みを止めた。男との距離を保ったまま、しばらくその場に留まる。

 砂色の服の男は、意外そうに目を丸くした。

「どうした? 早く受け取ってくるがいい。それとも俺に何か用か?」

「いえ、別に何も……」

 天童は言葉を濁しつつ、他のふたりと視線を交わしてから、男の誘導に従って進み出た。

「質問なんですけど、僕が代表して三人分をまとめて受け取ってもいいですか? 彼らの了承は得ているので」

「いや、ダメだ。本人確認が必要だ。全員で入れ」

「……そうですか」


 そのやりとりを聞いて、赤星と月影も配付所へと近づく。男は先導するのではなく、後ろからついてきて、三人の前進を促した。

 店は小さなスナックかバーのようだった。未成年の赤星たちには馴染みが薄い。入り口は外開きのドア。木製の枠の中に曇りガラスがはまっていて、内部の様子はわからない。

 天童がドアを開き、店内に足を踏み入れた。赤星と月影も天童に続こうとする。


 その瞬間、真横に気配を感じた。


 天童は咄嗟に、腕を掲げて防御の態勢を作った。長い金属の棒が振り下ろされたが、受け流して直撃を回避する。

 赤星も同様に襲われていたが、攻撃を受けるよりも先に、敵に拳を叩き込んでいた。優れた反射神経と、判断の速さの賜物。

 だが、天童と赤星の隙を突く形で、敵は目的を遂げていた。


「動くな。動けば、この女の命はない」

 砂色の服の男が、後ろから月影に組み付いていた。羽交い締めで腕の動きを封じた上で、首も絞めている。呼吸を制限され、月影は苦しそうに顔を歪めた。

「月影!」

 赤星が叫ぶが、手は届かない。

 運営者になりすました受験者による、騙し討ち。

 破芝が黙認した戦術が、功を奏しつつあった。


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