六歳~十二歳
それからの日々は最悪だったよ。
なにしろあの膜のせいで、出会った人間全てに嫌われるようになってしまったんだからな。
誰もがおれと目をあわせただけで吐きそうな顔をする。人混みの中にいても、おれのまわりにだけ必ず空間ができる。
友達はいなくなった。
突然の孤独を前にして、おれはどうすればいいのかわからなかった。
小学生になっても、当然友達はできなかった。
え?いじめられたりはしなかったのかだって?
いや、それはなかったよ。膜のおかげで、誰も近づいてこなかったからな。
みんな、遠巻きにちらちらとおれを見るんだよ。車に轢かれた猫の死骸を見るような目つきでね。なんであんなものがここにあるんだ。誰かあれを早く片付けてくれ。そんな感じの視線が四方八方から飛んでくるんだ。
そんな小学校での六年間を過ごして、中学生になったおれは、見事に陰気で無口なクソガキと化していた。
・・・・・・ぐれたりはしなかったのかだって?
そうだな。確かにこうも嫌われ続けると、どす黒い感情がたまってくる。暴力的な衝動がこみあげてきたことは何度もあったさ。
でも、両親のことを考えると、それはできなかった。
膜による嫌悪感は、相当なもののようだ。それはまわりの人間のおれに対する態度を見てよくわかった。
両親は、そんな膜に包まれた息子と、四六時中、いっしょに暮らしてきたんだ。
それがどれほど苦しいものなのか、おれには想像がつかない。
両親の姿は、目に見えるほどに衰えていった。
親父は髪が薄くなり、肌が乾燥して、皮膚の所々が小さくむけていた。おふくろはシワが多くなり、目の下に深いくぼみができていた。
・・・・・・もうしわけないと思ったよ。
捨てられてもおかしくないくらいに嫌われていたはずなんだ。それでも両親はちゃんとおれを育ててくれた。そのことは、いまでも、すげえ感謝している。
親父は毎日ことあるごとにおれを殴っていた。
殴る理由はどうでもいいようなことばかりだったけど、おれは黙って耐えていた。そうすることで、親父の辛さが少しでもやわらぐのなら、いくらでも殴られてやろうと思ったんだ。
そんな家庭環境でも、おれはまじめに生きた。典型的ないい子になるよう、努力した。学校での成績をあげて、運動もこなせるようにした。同級生達からは、優等生ぶってるって理由で憎まれたけど、両親が自慢できるような息子にはなったつまりだ。
ほめられなかったけどね。
いま思えば、不良になって非行に走ったほうが、ちゃんとした「嫌う理由」ができて、両親も楽だったかもしれない。