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嫌魔  作者: 桝田空気
1/5

五歳

嫌魔にね、とりつかれていたんだよ、おれ。



五歳から、十六歳になるまでの十年間、ずっとあれに苦しめられてきたんだ。



嫌魔というのは妖怪だ。



こいつにとりつかれた者は、まわりの人間に嫌われてしまうんだよ。



家族にも、友達にも、他人にも、全てにだ。



十年間、おれは理由もないのに、ひとから嫌われつづけてきたのさ。



つらかったな。うん、つらかった。





最初から、順を追って話そうか。




おれが五歳だった頃の、ある夏の日のことだ。



その日の夕方、おれは公園で、三人の友達とサッカーボールで遊んでいた。



太陽はほとんど沈んでいて、あたりは薄暗かった。まわりには誰もいなくて、ボールが地面をはねる音が、やけに大きくひびいていたのを覚えている。



友達からパスを受けたとき、ふと頭上に何かの気配を感じて、おれは顔をあげた。



朱色の空に、妙なものが浮かんでいた。



球形の、半透明な、膜のようなものだった。それは表面が腐った飴のようにねっとりとしていて、なんだか見ているだけで気分が悪くなってきた。



友達はみんな、突然上を向いたおれを見て、けげんそうな顔をしていた。



「あれは何だろう?」

おれはつぶやいた。

「あれって?」

友達が聞いた。

「ほら、あの丸いやつ」



膜を指さしてみせると、三人はいっせいに空を見上げた。その中のひとりが、首をかしげながら言った。



「何もないじゃん」

「え?」

おれは目をこすってから、空を凝視した。



膜は、確かにそこにあった。さっきよりも少し降下している。



「あそこに浮かんでるじゃないか」

「何が?」

「見えないの?」

不安になって聞くと、三人は気味が悪いものをみるような目つきになった。おれはくりかえし聞いた。

「本当に、何も見えないの?」

三人は同時にうなずいた。



どういうことだろうかと思ったよ。どうして自分にだけ、あの変なものが見えるのか。



もう一度、膜を確認しようとして顔をあげた。その瞬間、おれは目を丸くした。



膜が、こちらにむかってものすごい速さで落ちてきたんだ。このままじゃぶつかると思って、おれは目を閉じた。



そのまま数秒間、体を固くしていた。しかし、膜が当たる感触はなかった。



そっと目を開いてみると、まわりの風景が半透明になっていた。



滑り台や、ジャングルジムの輪郭がぼんやりとして見える。友達の姿も、うっすらとぼやけている。あわてて周囲を何度も見回してから、自分があの膜のなかにいることに気がついた。



いつの間にか、包まれていたんだ。半透明な膜の内側に入ったから、まわりの風景が半透明に見えたのさ。



おれはあわてて膜をひきはがそうとして腕を動かした。




しかし手は膜の表面をすり抜けて外に出た。まるで立体映像のように、その膜には何の手触りもなかった。膜は、何もせずに、ただおれの体を包んでいた。あれは、気味が悪かったな。



「何やってんだおまえ?」

腕をふりまわすおれを見て、友達のひとりがあきれた声をあげた。そいつには膜が見えていないから、おれの混乱する理由がわからない。

「た、助けてよ」

おれは友達に近づいた。



すると、三人の友達は、突然悲鳴をあげてあとずさった。おれは驚いて足を止めた。友達はみんな、何かすごく汚いものを見てしまったかのような目をしていた。



おれは、ぼうぜんとしながら聞いた。

「どうしたの?」

三人は困惑した様子で互いの顔を見つめあった。そしてひとりが、

「も、もう遅いから、おれ帰るよ」

と言って走り出すと、他のふたりもそれにならい、逃げるようにして公園から出て行った。



おれはわけがわからずに、ぼんやりと立ち尽くしていた。



結局、膜をはがすことはできずに、おれは包まれたまま家に帰ることにした。



あたりはすっかり暗くなり、空には星が見え始めていた。道を歩く途中、すれちがった人達が、なぜかこっちを向いて顔をしかめていた。だが彼らにも、膜は見えていないようだった。



家に着くと、門限に遅れたという理由で親父に叱られた。普段は温厚だった親父が、その日にかぎってめずらしくいらついていた。



説教はかなり長く続いた。帰りが遅かったくらいで、そんなに怒らなくても、と思ってむくれていると、親父はいきなり、

「何だその目は」

と叫んでおれを蹴り飛ばした。



信じられるか?まだ五歳の息子をだぜ?



廊下にたおれたおれは、腹をおさえながら泣き出した。すると、親父は我にかえったような表情になり、あわてておれを抱き起こした。



「す、すまない。ああ、おれは何やってるんだ?」

親父は必死であやまったが、そのあとすぐに虫の死骸にでもさわったかのような態度でおれから手をはなした。その目つきは、さっき公園で悲鳴をあげた、三人の友達のものとよく似ていた。



気まずい雰囲気のまま、晩飯を食べた。



なぜかおふくろも、おれへの接し方がいつもとちがっていた。



親父もおふくろも、何かにとまどっているかのようだった。



膜について、両親に話すのはやめておくことにした。叱られたばかりで話しかけづらっかたし、子供心にも、話したら、頭がおかしいと思われそうだと感じていた。



その日は、午後九時頃に布団に入った。しかし、膜の存在が気になって、なかなか眠れなかった。



熱帯夜だったので、布団は体温ですぐに蒸し熱くなった。その熱が、さらに睡眠をさまたげた。



しばらくして、寝転んでいる体勢に疲れてきたおれは、トイレへ行こうと思って立ち上がった。



部屋の襖を開けて、暗い廊下に出ると、両親の話し声が聞こえてきた。台所のドアの隙間から、細い一筋の光が漏れており、声はそこから聞こえた。

「あなた、どうしてあの子を蹴ったりなんかしたの?」

おふくろの、そんな言葉が耳にはいってきた。



自分について話していると気づいて、おれは足を止めた。



「わからないんだ。あんなに怒るつもりはなかったのに、なぜか今日のあいつを見ていると、信じられないくらいむかむかしてきて」

親父のため息が聞こえた。

「それで、あんなことをしてしまった。そんなつもりはなかったのに、体が勝手に動いたんだ」



「あなたもなの?」



おふくろの、目を丸くする様子が、見えてくるような口調だった。



「あなたもって、おまえもなのか?」

「ええ、わたしもなぜか、いまはあの子に近づくのが、嫌で嫌でたまらないのよ。別にあの子が悪いことをしたわけじゃないのに」

「まったくそのとおりだ。今日のあの子は、何かおかしい」

「何があったのかしら?突然こんなふうに感じてしまうなんて」



まだ五歳の子供が、両親に、見ているとむかむかするとか、近づくのが嫌でたまらないとか言われた時の気持ち、想像できるかい?



おれは足が震えだした。そしてそっと部屋にもどり、布団を頭からかぶって泣いた。



父さんにも母さんにも、嫌われた。自分はきっと、明日捨てられるんだ。



そんなことを、本気で考えていたよ。



その日の夜は、不安でなかなか眠れずに、ずっと膜をながめていた。



翌日の朝、おれは両親と目をあわさないようにして、素早く朝食をとった。



そして、制服に着替え、外に出て、いつも通りの時間に来た幼稚園の送迎バスに乗った。



車内で席に座ったおれを見て、先生や園児達はなぜか急にだまりこんだ。昨日いっしょにサッカーをしていた友達が、不自然に目をそらした。



幼稚園に着くと、おれはその三人の友達に話しかけた。するとそいつらは、昨日のように、悲鳴をあげながら逃げだした。



あわてて追いかけて、三人の中で一番足がおそいやつをつかまえた。そいつは必死で暴れながら叫んだ。

「はなせ。はなせよ」

「なんで逃げるんだよ?」

「はなしてよ。はなして」

「答えろ」

「わからないよ。昨日もそうだったんだけど、おまえがそばに来ると、なんだかすごく嫌な気分になるんだ」



その声があまりにも苦しそうだったので、思わず手をはなすと、そいつはおれをつきとばして、園舎の方に走り去っていった。



昨晩の両親と同じようなことを友達に言われて、おれは困惑した。



ふとまわりを見ると、他の園児達に無言で見つめられていた。



半透明な膜越しに見える彼らの表情は、激しい嫌悪にゆがんでいた。



そのとき、やっと気がついたんだ。



この奇妙な状況は、膜が引き起こしているんじゃないかってね。



両親や友達の様子がおかしくなったのも、この膜に包まれたあとのことだった。



そう、そうなんだよ。



あの膜は、周囲の人間に、強い嫌悪感をあたえる、不可思議な力を持つ存在だったんだ。





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