初心忘れず一休み
夏休みも後半に差し掛かったある日、僕は友人に呼び出され、人のほとんどいない学校へ足を運んでいた。
「お、やっと来たか」
「ごめんごめん、道が混んでてさ」
「今日みたいな日は道楽日和だもんな」
「それで、今日は何のために学校に?」
僕がそう聞くと、彼は鞄から何冊か冊子を取り出した。見覚えのある、というか、僕も持っている物だ。
「……課題?」
「あぁ、終わらせてやろうと思って」
「成程、それで持って来いって言ったんだ」
「そういうことだ。残念なことに図書室は開いてないが、教室は無人に等しいから、集中できると思うぞ」
友人は笑って、行こうぜ、と僕を促す。二人揃って靴を履き替え、4階にある教室へ。
「お、誰もいないみたいだ」
ラッキー、と呟く彼に続いて教室を見回すと、荷物の置かれている机がいくつかあるものの、生徒は一人もいなかった。
「本当だ。無人の教室って、なんだか新鮮だね」
「俺はよく見てるからそうでもないが……あぁでも、明るいうちから無人なのは初めてだな」
「よく見てる、って?」
「〆切前は下校時間ギリギリまで図書室に籠るからな、俺」
「あはは、好きだね、図書室」
「この学校の図書室、何故か資料本が豊富だからな。つい長居してしまう」
話しながら、いつも通りの席に座る。廊下側から二列目の、一番後ろとそのひとつ前。他にどんなに席が空いていても、やっぱりここが一番落ち着くんだ。
「さて、どれから片付けようか」
「どのくらい終わらせたの?」
「文系教科はあと英語が半分。理数はさっぱりだ。お前は?」
「僕はまだ全然。あ、でも、物理は終わったよ」
「そうか、なら後で手伝ってくれ」
「オーケー」
「助かる」
そんなやりとりをしつつ、僕は英語のワークを開く。ひとまず5ページくらいやろうかな、と思っていたけど、ことのほか文量が多い。一冊全てやるとなると、かなり時間がかかりそうだ。終わるかな、と少し不安になりながらも、問題文を目で追う。
「多いな……」
「長文読解だからな。だが設問自体はそこまで難しくもないぞ」
「そうなの?」
「意味さえ取れれば問題ない」
「ん、参考にするよ」
友人の話を聞いて設問を見てみると、確かに質問そのものは特に難しいわけでもなかった。でも、このアルファベットの海から答えを探すのにはやっぱり骨が折れそうだ。
「……」
それからしばらくの間、二人共無言でペンを動かす。静まり返った教室に響くのは、カリカリという紙とペン先がぶつかる音だけ。その音は僕に、定期考査の雰囲気を思い出させた。何度経験してもあの空気に慣れることはなく、毎回緊張してしまう。それを友人に話したら、
『初心忘るべからず、とは言うが、いい加減忘れてもいい頃合だと思うぞ』
なんてことを言われた。僕は何も言い返すことができず、結局、そうだよね、と苦笑するだけだった。
そうやって過去を思い出しながら、最初の目標にしていた5ページ目の問題まで解き終え、ひとつ息をつく。突然、蝉の声が聞こえた。教室の蒸し暑さに、ぽたぽたと汗が数滴零れる。先ほどまで蝉も暑さも意識の外にあったのは、それだけ集中していたから、なのだろうか。
額の汗を手で拭い、窓を開けようと席を立つ。ちらりと後ろへ目を向けると、友人はイヤホンを耳にさして、彼の苦手な数学と格闘していた。僕は心の中で彼を応援し、その場を離れる。そして、涼しさを求めるままに窓を開けた。けれど、流れ込んで来たのは生暖かい風だけだった。それどころか直射日光という太陽の攻撃を受けて、涼むというよりは暖を取る結果になってしまった。僕は嘆息して、窓の代わりにカーテンを閉めてから席に戻る。暑いな、と彼が声を掛けてきた。
「飲み物でも買いに行くか?」
「いや、アイスが食べたい」
「購買は閉まってるぞ?」
「コンビニがあるじゃないか」
「歩けというのか」
面倒だというような反応を示したものの、彼は鞄の中をごそごそと探る。
「財布、忘れたなんて言わないよね」
ポケットに入れあった小銭を財布に移しながら僕が言うと、彼は、
「誰が言うか」
と、こちらにやっと見つけたらしいそれを示して立ち上がった。僕も続いて椅子を鳴らす。
勉強は一度中断して、涼みに行こうじゃないか。




