第三節 悩める暴君
午後の退屈な授業を受けながら、俺は昼休みの事をずっと考えていた。
祐奈はどうして俺の無茶な要求に従ったんだろう。
あいつはマゾになった、それならそれでいい。
サドに目覚めた俺が、善意で虐めてやればいい。
だけど、そうじゃなかったら?
他に、可能性がないわけじゃない。
あいつは俺に抵抗できないから、俺に従ってるだけだったとしたら。
俺のやってることは最低だろう。
そして、俺はどうしてあそこで止めたんだろう?
俺はあそこに行くまでに、いくらでも自分を止められた。
だが、一切止めることはせずに、祐奈を連れ出して、理科準備室へと連れていった。
連れていったにも関わらず、結局触っただけで、揉むことはなかった。
あそこまでやったら、揉もうがそうでなかろうが何も変わらない。
なのに、俺は揉まなかった。
どうして俺は止めたんだろう。
男なら抗えない胸の感触。
俺だって揉みたかった。
だけど、揉まなかった。
俺にとって、あいつの胸ってのは、どういうものなんだろう?
いや、俺にとって、あいつ、祐奈って、どういう存在なんだろう?
幼馴染だし、可愛いし、幼馴染ってだけで仲良くしてくれるのは嬉しいと思っている。
だけど、それだけの存在か?
いや、別にあいつのじゃなくても俺は女の子の胸は揉みたいと思ってる。
最近仲のいい美琴のだって、揉んでみたい。
まあ、あいつは背も小さいが胸も小さいから、揉み心地はそんなにないだろうけど、それでも揉んでみたい。
それと同じように、祐奈のも揉んでみたいってだけだ。
今更あいつを女として見れないなんて事はない。
あいつは女だし、俺は男だし、俺はあいつに女を感じることもある。
だからパンツで興奮するし、征服感ってのもあるわけで。
でも、だからこそ、さっきの中断は自分でも信じられない。
俺にとってあいつって、どんな存在なんだろう?
それが、全く見えてこない。
今、はっきりさせるべきことがいくつかあるんだろう。
だが、俺はそれをまだ曖昧にしておきたいと思っている。
だから、俺はその問いに答えが出せない。
そして、それの延長にあると思われる、さっきの自分の行為に答えが出せないでいる。
俺は、祐奈の胸を揉みたいのか?
俺は、祐奈の裸を見たいのか?
俺は、祐奈の事が、好きか?
俺は、祐奈と付き合いたいと思ってるのか?
そんなことを考えている間に、授業が終わった。
▼
今日は一人で家に帰る。
祐奈には一言言い残してきた。
「今日、部活が終わったら俺の家に来て欲しい」
あいつはおとなしく頷いた。
だから、そのまま帰ってきた。
「ただいま……」
家に帰り、部屋に戻ると、珠優がもう帰ってきていた。
「おかえり、お兄ちゃん」
勉強机から振り返り、俺に笑いかける珠優。
「おう、ただいま」
俺はカバンを置いて制服を脱いだ。
「そう言えば、祐奈が後で来るけどいいか?」
「祐奈ちゃんならいいよ! 久しぶりだなあ」
珠優が少し嬉しそうに笑う。
珠優にとって祐奈は幼馴染なので、年は二歳ほど年下だけど昔のように「祐奈ちゃん」と呼ぶ。
ま、俺は昔から「祐奈」だったが、祐奈の方は俺のことを「康太くん」とか「康ちゃん」って呼んでたんだがな。
さて、祐奈を呼んだはいいけど、実は何の用もなかった。
じゃあ、どうして呼んだのか、と言えば、さっぱり分からない。
強いて言うなら、なんとなく、だ。
あいつが俺に従うか試したくてってのもあるかもしれないが、胸を揉ませろ、に比べたら大した話じゃない。
なのに、何となくそう「命じた」んだよな、俺。
こういう命令を継続させて、溜まったあいつが切れて「いい加減にして」って怒るまでやらせてみようって思っているのかもしれない。
切れたらどうなるかってのはあまり考えてないが、それはそれで俺はほっとするんだよ、何となくな。
「康太、祐ちゃん来たわよ?」
がらり、と部屋の戸を開けて母親の声がする。
「あ、うん」
俺は立ち上がって、玄関まで出迎える。
玄関には、祐奈が制服のまま、落ち着かなげに立っていた。
いつも学校帰りに見ている格好なんだが、それが自分の家の玄関に立ってるだけで、何となく不思議な感覚がした。
「……よお」
「…………こんばんは」
祐奈は、少しだけ俺から目をそらした方向を見て、小さな声でそう言った。
「入れよ」
「うん……」
祐奈は俺に素直に従い、靴を脱ぐ。
ちょっと前までこいつには何喋られるか分かったもんじゃないから家に呼ぶのを嫌がってたんだよな。
だから、俺の母さんも久しぶりに会うだろうし、珠優も、そこらで会って無いなら久しぶりだろう。
祐奈は、俺が母さんと話すのを嫌がっていたのを知ってるので、母がいろいろ言い出しても愛想笑いをして黙っていた。
うーん、そこまで俺に義理立てする必要なんてないんだがな。
いや、喋られるのは嫌なんだけどさ。
何も言ってないのに気を遣われるのも、何か、その、なんていうか、気味が悪いんだよな。
俺は、祐奈を部屋に連れていった。
「祐奈ちゃんお久しぶり!」
既に祐奈が来ることを知っていた、珠優は、俺が珠優を伴って部屋に入ると、立ち上がって出迎える。
「こんにちは、ごめんね、勉強の邪魔だった? 来年受験でしょ?」
祐奈はそんな珠優の頭を軽くなでる。
「うんっ! 頑張って、お兄ちゃんや祐奈ちゃんと同じ高校に行くんだよ」
珠優は嬉しそうに目標を語る。
まあ、珠優はそんなに頭のいい子じゃない。
これだけ真面目に毎日勉強してるが、うちの高校に合格できるかどうかはギリギリだ。
ま、俺だってギリギリだったんだがな。
「大丈夫。あたしや康太だって合格できたんだから、珠優ちゃんも絶対合格できるよ」
祐奈は定型文だが、珠優を励ました。
珠優もそれが分かっていただろうが、それでも嬉しそうだった。
そう言えば珠優は祐奈にもなついてたなあ。
こいつが一番懐いてたのは俺なんだが、俺の次に懐いてたのは祐奈だった。
俺はまあ、男の子だったし、可愛がるって事をあまりしなかったんだが、祐奈は珠優を可愛がった。
そんな関係が大きくなった今でも続いてるみたいだ。
ま、俺と祐奈みたいにずっと会ってたら変わったかもしれないが、祐奈と珠優が会うのは多分何年かぶりで、その前に会ったときも、大した話はしてないんじゃないかな。
だからこそ、いまだにこの関係を維持できてるんだろう。
「でも、えらいなあ、ずっと勉強してるのね」
「うん、それは受験生だからね。お兄ちゃんなんかね、このところ受験でもテストでもないのにずっと勉強してるんだよ!」
照れ隠しなのか、それとも元来の兄貴愛のせいなのか、珠優は自分への賞賛を俺への賞賛へとすり替えた。
俺はちょっと虚を突かれた。
祐奈が学校でのことを家で喋ることばかり警戒してて、その逆は全く考えてなかった。
俺が家で真面目に勉強してるなんて、出来ればあまり知られたくはなかった。
特に、祐奈には。
俺は祐奈から何度も何度も暇があるなら勉強しろと言われ続けてきた。
俺はそれを無視して、いつも喧嘩になりそうになった。
その俺が、勉強を始めた事がバレてしまった。
しかも、珠優の口ぶりから、祐奈に勝った頃からだと分かった事だろう。
「そっか……」
祐奈は、少し嬉しそうに俺を見る。
俺は祐奈の望んだ通りに行動してしまった。
それが、悔しくて仕方がなかった。
なんていうかさ、親に勉強しろ勉強しろと言われ続けてて、逆に絶対勉強なんかしてやるか、なんて思ってたけど、勉強してるところがばれてしまったような気分。
「……何だよ」
俺が少し強く睨むと、祐奈は目を伏せたが、表情は変わらなかった。
「……別に」
だから、俺は何も言えなかった。
「それで、何?」
祐奈は唐突にそう聞く。
「何ってなんの事だよ?」
「私は、どうして呼ばれたの?」
祐奈は少し首を傾けながら、俺に聞く。
、自分がなぜここに呼ばれたのかを知りたいらしい。
まあ、つまりは何の用なのかを聞いているわけだ。
けれども、俺には何の用もない。
単にこいつを家に呼んで、来ることを確認したかっただけだからな。
落ち着いて考えればひどい男だ。
急に罪悪感が芽生えて来た。
「……?」
少し首を曲げて俺を見る祐奈。
畜生、その目線が可愛くて仕方がない。
そう考えれば考えるほど、俺はその目に惹きつけられていった。
俺は、こいつの目から逃れられない。
俺はこいつを自由に出来ると思っているが、実はこいつの臨むとおりに誘導されているんじゃないか、などという被害妄想も湧き出てきた。
俺の勝手な妄想だけれども、それが俺をイラつかせた。
だったら、本当に俺のものにしてやろうか。
絶対にこいつが望まないことをさせてやろうか。
「明日、デートしよう」
そう思った瞬間、俺は俺の思いもよらない言葉を口走った。
いつもあれだけ慎重に口を開くはずの俺が、こんな事を軽く言ってしまったこと自体に、俺自身が信じられなかった。
俺の言葉に、祐奈はもちろん、珠優ですら驚いてこっちを見た。
「え? ええっ! お兄ちゃんと祐奈ちゃんって、そうだったんだ……!」
軽くショックを受けたような口ぶりの珠優。
「ち、違う……けど……どうして?」
祐奈は珠優への弁解と、俺への疑問で少し混乱していた。
「俺が、デートしたいから」
俺は既に開き直っていた。
言ってしまったことはもう取り消せない。
デートなんてもう今更だろう。
パンツ見せろとか胸揉ませろとかに比べたら大したことじゃない。
「で、でもあたし、明日も部活あるし……」
混乱をしつつ、顔を赤くして、そう答える祐奈。
「だったら、サボればいい」
俺は平然と、そう言い切った。
祐奈は部活を一生懸命頑張ってるし、大切に思ってる。
それを十分に理解している。
その上で聞いたんだ。
俺と部活、どっちを選ぶんだ? と。
祐奈は更に戸惑い、珠優はやっと驚きから回復していた。
「お兄ちゃんって、大人になって優しくなったと思ってたけど、祐奈ちゃんには相変わらずなんだね……」
少し呆れるように、少し寂しそうに、珠優はそう、つぶやくように言った。
相変わらず……。
相変わらず?
あれ? 俺ってこんな奴だったっけ?
ああ、そう言えば、俺が祐奈にあらゆる分野で負ける前、俺は祐奈と珠優を従えて遊んでいた。
クソガキだった俺は、こいつらの前では暴君であり、無茶なことを言って泣かせることもよくあった。
もし、もし、あのままの関係で成長してたら、俺はこうして相変わらず祐奈に無茶なことを言ってたのか?
祐奈は俺の言い出した無茶をどうしようか迷っている。
子供の頃によく見た表情だ。
そうか、こいつは昔に戻ったんだな。
俺に強制的に従わされる頃に戻ってるんだ。
だけど、だけど、これは本当に正しいのか……?
「……一日だけなら……休める……かな……?」
祐奈が悩んだ末の結論を出す。
それは俺の征服感を満たし、そして、俺の中の何かを、欠乏させた。