第一節 それでもデレは止まらない
「勝負しよう」
祐奈の部屋で、俺は祐奈に突然そう言い放った。
「……え?」
スカートをまくり上げようとしていた祐奈が、きょとん、と俺を見る。
「期末テストで勝負しよう。負けた方が勝った方の言うことを何でも聞く事」
祐奈は不思議そうに、少し驚いたように俺を見ている。
「パンツももういい。所有権も返す。だから、俺ともう一度勝負するんだ」
あまりに唐突だったせいか、祐奈はしばらく何も答えられなかった。
「え? 中間の賭けはもう終わり……?」
「そうだな、元々お前を困らせるために言ったことだし、一生続けるわけにもいかないだろう。だからもう終わりでいい」
考えると、ただ、名残惜しい。
だから俺は考える前に勢いでやめることを宣言した。
「そう……」
祐奈はほっとしたのか、ぱたん、と俺の隣に座り込んだ。
ふわり、と舞う髪から、祐奈の匂いがする。
そんなものは、これまで何度でもかいできたものだが、俺はどうしても意識してどきどきしてしまう。
自分が祐奈を好きだということを認めてしまったからなのかもしれない。
昔っからそばにいたし、今もずっといるこいつのことが、妙に気になってしまっている。
だから、俺はこいつがどう思っているかをずっと気にしてきた。
でも、そんなことは関係ない、俺がこいつに好かれていようがいまいが、俺はこいつが、祐奈が好きだ。
だからこそ、俺はパンツの所有権を捨て、新たに勝負を挑むことにした。
勝ったら、祐奈に告白する。
そして、付き合おうと思う。
祐奈の気持ちなんて関係ない。
男は、好きな女を狩ってでもものにするものだ。
その上で、絶対に惚れさせる。
自信なんてない、祐奈を傷つけるかも知れないし、俺が傷つくかも知れない。
だけど、少なくとも今よりは遥かにマシな関係になると思う。
「分かった。その勝負、受けて立つわ」
祐奈は真剣な表情で、そう答えた。
祐奈との再戦。
俺は勝てるんだろうか?
もちろん、負ける気なんてない。
だが、不安もある。
正直に言えば、前回はまぐれとチートの産物だ。
俺は美琴や慎治から要点を教わり、それがいい具合にテストに出たから、高得点が取れた。
だが、今回はそこまでうまくいくとは限らない。
期末は中間より試験科目が増えるが、祐奈との取り決めで、中間と同じ科目のみの競争となった。
だから、前と同じように勉強を始めればいい。
試験期間まではまだもう少しあるが、俺はもう勉強を開始した。
放課後には図書室に行くことにする。
図書室ではいつもと同じ席に美琴が座っていた。
「隣、いいか?」
俺が聞くと、美琴はちらり、とこちらを見て、無言で頷いた。
隣に座ると、俺は早速勉強を開始した。
「期末の勉強?」
美琴が俺の様子を見て聞いてくる。
「まあな。そろそろ始めないと、俺は馬鹿だからな」
「ノート、見る?」
美琴はカバンからノートを取り出そうとする。
「悪いな、でも今回は遠慮しておこう。俺もある程度ノート取ったし、それに正々堂々と勝負したいしな」
「勝負……?」
無表情な美琴が、いろいろな疑問をその顔に浮かべる。
誰と? 何の? どうして?
「俺は、祐奈と期末で勝負することにしたんだ」
「祐奈と?」
美琴の表情からはまだ、疑問が消えていなかった。
俺がまだ「どうして?」に答えていなかったからだ。
理由なんて一言じゃ言えないんだがな。
「まあ、俺は何もかもあいつに負けてるけどさ、一つくらいは勝っておきたいと思ってさ」
俺は理由の一つを言っておいた。
本当の理由は他にもあるが、まあ、そこまではいいだろう。
「それは、祐奈に釣り合うために?」
美琴はだが、ストレートにそう聞いてきた。
俺が祐奈を好きと分かった上での言葉に、少し戸惑った。
だが、俺はもうそれを否定しない。
俺は祐奈が好きだし、あいつを彼女にしたい。
だけど、それでも美琴の言葉は思いもよらなかった。
「そう、なのかも知れない。分からないけど」
俺はあいつに釣り合わないと思ってるから、自分から行動せずに、あいつの好意を試したりしていただけなのかも知れない。
だから、俺がひとつでもあいつに追いついたり追い越したり出来れば、何かが変わるかも知れない。
俺が勝負を挑んだのはそれが理由なのかもしれない。
何かひとつでもあいつに勝っておきたいと思ったのかもしれない。
あいつに勝って、告白したかったのかもしれない。
「そう……」
美琴は目を閉じて、次に開いた時には読んでいる本に視線が戻っていた。
聞くだけ聞いといてそれかよ。
まあ、元々他人に興味のない美琴のことだ、興味というほどでもなく聞いたが、深い意味はなかったんだろう。
俺も自分のノートと教科書に視線を戻した。
「……頑張って、欲しい」
そんな声が横から響いてきて驚いた。
言った本人は本から目を離してない。
本当にこいつが言ったのかどうかも疑わしいくらい、そっけない態度だ。
俺は他人に興味がないこいつのそんな言葉に、元気づけられた。
こいつは俺が勝ちたいとおもう目的まで理解した上で応援してくれたのだ。
「ああ、頑張る」
俺は美琴の応援に、是非とも応えたいと思った。
▼
さて、俺と祐奈の間にはパンツはなくなり、祐奈は俺から自由になった。
もはや祐奈には俺に従う理由はない。
だから、前みたいに戻るかと思っていたら、そうでもなかった。
今朝来る時も一緒に来たが、元には戻らず、ここ最近の祐奈のままだった。
さすがに俺も不思議に思った。
いや、別に元の祐奈が好きってわけじゃない。
どちらかと言われれば今の方が好きだ。
だけど、前にも言ったが、それは祐奈が無理をしていないという前提だ。
無理をしてるなら、元に戻って欲しい、そう思ってパンツ解除をしたわけだ。
だが、それでも戻らない。
何か、まだ俺が無理をさせてるのか?
って、そんな場合じゃなかった。
もう、昼休みが始まってる。
今日俺、昼飯がないんだよな。
いつもは母親が弁当を持たせてくれるんだけど、今日は寝坊してて作れなかったそうだ。
その割にやたら朝からのんびりしてたので、不思議に思ってたが、ま、毎日のことだし、たまに休みがあってもしょうがない。
とりあえず、だから俺は今日、普段なら自分とは関係のない、パンの争奪戦に加わらなければならなくなった。
パンは業者が昼休みに持ってきてくれるもので、詳しくは知らないが、遅いといいパンは売り切れているらしい。
基本的に人と争って何かを勝ち取ることが好きじゃない俺は、後から行って不人気のパンでも食べようと考えているんだが、遅すぎるとそれすら売り切れるらしいから困る。
さすがに五分十分で売り切れることはないかも知れないが、慣れてない俺は状況がわからないので、少し早めに行っておこうと、席を立った。
「……康太」
俺が教室を出ていこうとすると、祐奈が声をかけてきた。
弁当の入っているであろう手提げを持って、少し恥ずかしそうに俺を見上げている。
多分一緒に弁当を食べようという事なんだろう。
祐奈は決まった誰かと食べるってことはなく、その日によって混ざるグループが変わるという自由人っぷりを発揮していた。
もちろん、俺がいる男グループにも平然と入ってくる。
まあ、祐奈は男女問わず好かれてるから、誰かに嫌がられることってのはあまりない。
だから、別に俺のグループに入るのは構わないんだが、俺は今、それどころじゃない。
「悪い、後にしてくれないか、俺今日は弁当ないからパン買いに行かなきゃならないんだ」
「うん、知ってる」
「なんで知ってるんだよ」
「珠優ちゃんにメールで聞いたから」
いつのまに連絡取り合うようになってんだよ。
「だから……その……」
恥ずかしそうに何かを言い淀んでいる祐奈。
こいつのこういう表情は可愛くて仕方がない。
俺は好きを意識してから、逆にこういう時どうすればいいかわからなくなる。
「…………っ!」
つい、と祐奈は真っ赤な顔で、手提げから出した弁当箱を、俺に突き出した。
その意味が分からない程、俺は鈍感じゃなかった。
これを、食べろって事か?
おいおい、あまりの出来事にクラスがどよめいてるじゃないか。
俺と祐奈の関係の微妙さは、クラスメートなら誰もが知ってることだ。
だからこそ、明るくて可愛くて人気者の祐奈に誰も手を出してないんだからな。
で、だからこんな生ぬるい祝福ムードになってしまうわけだが。
「じゃ、じゃあ……っ!」
祐奈はそのまま立ち去ろうとしていたので、その腕をつかんだ。
こんなところに一人残されてたまるか。
「な、何……?」
祐奈が困惑しながら聞く。
「いや、一緒に食べればいいだろ? っていうか、一緒に食べよう」
こんなことまでしてもらったら食べないわけにはいかないが、ここに取り残されても、困る。
とりあえず、こいつにも付き合ってもらって気恥しさを共有しよう。
「……うん」
祐奈は赤い顔でうつむいたまま、そううなずいた。
周囲がざわざわしているが、まあ、ほっとこう。
なんだか、いつも俺と一緒に食べてる奴らですら、もう寄って来ようとしない。
おそらく、俺たちの雰囲気が割り込みにくかったんだろう。
ま、それもいい。
逆にこの雰囲気で、いつもの昼食なんて取れるわけがないから、この方がいいかも知れない。
俺が自分の席に座ると、祐奈は前の席に座る。
俺が自分の、というかさっき祐奈から受け取った弁当を机に置くと、祐奈も自分の弁当箱を机に置く。
何ていうか、お互い同時に開けるのが照れくさくて、何となく相手を伺う。
相手が開けないと思って、二人で同時に開けた。
派手に、照れくさい。
クラスメートは見ていないふりをしているが、明らかにこっちを気にしている。
なんでこんなことになったんだよ。
っていうか、なんで俺の弁当作って来てるんだよ、祐奈は。
いや、嬉しいんだけどさ、好きな相手の手料理とかさ!
祐奈は昔から料理もうまかったんだよ、この完璧超人はさ。
祐奈の手料理を食べながら祐奈と二人っきりで食事なんて、天にも昇れそうなくらいの気分だ。
だけど、それ以上に気恥しさが勝るんだよな。
クラスメートの前だし、そもそも祐奈自身も含めてだ。
こんな状況で食べても味なんてするかよ。
俺は祐奈の弁当を見ながらそんなことを思っていた。
弁当は特に変わったものじゃなく、半分がご飯で、もう半分がおかずだ。
おかずは典型的なもので、卵焼きや唐揚げなどが小さく切って並んでいる。
祐奈の前にある弁当もそれと同じで、こっちより少しだけ小さかった。
こっちを一秒に三回位の速度でちら見しつつ、自分の弁当を食べ始める祐奈。
ま、俺も食べるか。
俺は箸を持ち直し、卵焼きを口に入れる。
「!」
口に入れた瞬間、俺は驚きを隠せなかった。
それは、うまかった。
こんな味の分からない状況でもやっぱりうまかった。
俺の知ってる祐奈の味より、飛躍的に進化を遂げていた。
ただ、卵に調味料を混ぜて焼くだけの料理に、これだけの差が出るもんなんだろうかと思うくらいうまかった。
「うまい……」
卵を飲み込んだ俺の口からは、素直な感想が漏れた。
それを聞いた瞬間、祐奈の顔が壊れた。
いや、なんと表現していいかわからないんだが、とにかく、壊れた。
多分、嬉しいんだと思うが、あの、いつもどっちかというと引き締まった顔をしていた祐奈が、あらゆる顔の筋肉を緩めてしまった。
よだれでも出てきそうな勢いだが、さすがにそこまではないようだ。
祐奈は俺の視線に気づくと、はっと我に返り、顔を引き締める。
「あ、ありがとう……」
だがすぐに緩んでしまう口元で、なんとかそう言い切った。
他のおかずもいちいちうまかった。
「お前は本当に料理がうまいな。冷めててこれだけうまいんだから、温かいのはどれだけうまいんだろうなあ」
俺がそういうと、祐奈はうつむいて何かを言いたそうだった。
何となく言いたいことは分かるが、それを言われると俺の方も困る、主に反応に困る。
だから、別の話題に変えようかと思ったが、口の中の唐揚げがそれを邪魔した。
「あ、あの……また今度、家でごちそうするから……」
祐奈は真っ赤になって、俺の言って欲しくなかった言葉を口にした。
いや、何度も言うけど、嬉しいさ、そりゃ!
だかど、今ここで、こんな関係の状態で言われると困るんだよ。
何が困るってさ、それはひとつの疑問に集約されるんだよな。
祐奈、お前は俺が好きなのか?
もしそうなら、俺は周りの事なんて気にしないで全力でお前を受け入れて、お前に期待する。
だけど、そうじゃなかったら期待して後で俺は落ち込むし、祐奈をどこかで傷つけるかもしれない。
ただ、それが怖かった。
普通に考えて、ここまでやってくれるなら好意を持っていると考えてもいいだろう。
だけど、その好意がどういうものなのかは分からない。
幼馴染に向けての友達としての好意かもしれない。
祐奈は面倒見がいいし義理堅いからな。
それに、もう一つ言えば、俺たちは賭けをしている。
前と違って祐奈は俺に対して確実に勝てるという油断はしていないだろう。
そして、万が一負けた時のために、俺の機嫌を取っておこうとしているのかも知れない。
いや、そこまでは考えすぎか。
まあ、とにかく俺は、祐奈の好意を素直には受け取れないでいた。
「まあ、また今度な」
だから俺は曖昧な言葉を返す。
とにかく、祐奈が変わったままでその意味するところが分からない以上、俺は作戦を続けることにした。
俺と祐奈の関係が動き出した以上、もう元に戻ることは出来ない、と思った。