第四節 大切、なのか?
俺と珠優の関係を考えるとわかり易い。
子供の頃、俺は珠優を屈服させていた。
何度も虐めたりもした。
その関係はずっと続いたわけじゃない。
俺や珠優が成長する過程で、珠優は何でも言うことを聞く下僕から、俺を慕ってくれる可愛い妹になった。
だから、俺は珠優に優しくなり、珠優はそんな俺をやっぱり慕ってくれるようになった。
もし、俺と祐奈があのままの関係を続けていたとしたら、祐奈は俺を慕ってくれ、俺はそんな可愛い祐奈に優しくしていたんじゃないだろうか?
そうだ、今の祐奈は、珠優と同じ、あのまま成長した時の祐奈だ。
俺は、それに応える必要があるんじゃないのか?
暴君ではない、次の段階へと成長すべきなんじゃないのか?
そんなことを考えている間に、授業が終わり、デート当日の放課後になってしまった。
俺がぼーっと片付けをしてる間に、祐奈が鞄を持って、俺のそばに寄ってきた。
「…………」
俺を見上げたり、うつむいたりを繰り返しながら、俺の言葉を待っている。
「じゃ、行こうか」
俺が言うと、祐奈はこくん、とうなずいた。
正直、俺はデートなんかしたことがない。
だから、どこに行けばいいのかさっぱり分からない。
とりあえず、学校を出て、駅前にでも行くか。
俺が靴を履き替えると、祐奈も履き替えるが、何かから身を隠すように、当たりをキョロキョロしている。
ああ、こいつ、クラブサボリだったっけ。
こんなことまでさせてるんだよな、俺。
結局主導権を握ったら、ただの暴君に戻るんだよな。
俺なんて、酷い目に遭えばいいのにな。
もう一回祐奈と勝負して、今度はこっぴどく負けて、ひどい罰ゲームを受ければいいんだ。
そんな自虐的なことを考えながら、俺は、祐奈を駅前通りに連れてきた。
来たはいいが、やることがない。
何すればいいんだ?
デートって何するんだろう、映画見たり、ショッピングしたり、喫茶店で話でもするのか?
だが、観たい映画なんてないっていうか、何やってるかも知らないし、買いたいものもない。
喫茶店で話をするのはいいけど、そんな事を、わざわざ部活サボらせてやらなくても、話す機会なんて部活終わってからでもいくらでもあったんじゃないか?
わざわざここまで来た意味がある事って何だろう。
辺りをキョロキョロしていると、俺は、近くのゲーセンで目が止まった。
ゲーセンか。
まあ、ゲームの側はどうでもいいとして、クレーンとか写真機の方はデートに向いてるのかも知れないな。
そのゲーセンは、半地下部分の奥にゲームが置いてあり、手前に写真シールの機械が並んでいる。
で、半二階の方は全部クレーンゲームらしい。
俺は、二階の方へと向かう。
祐奈は黙ってついてきた。
そこはクレーンの専門だけあって、様々なクレーンゲームがあった。
小型のストラップが沢山入ったものから、馬鹿でかいクッションが入っていたり、カメラが入っているのがあったり、とにかく様々なクレーンがあった。
ここはデートだし、祐奈の欲しいものでも取ってやるか。
「祐奈は何が欲しい?」
「え?」
俺にそう聞かれることが意外だったのか、祐奈は俺を見上げる。
そして、慌ててクレーンをいろいろ眺める。
「……これ」
祐奈の指さしたのは、野菜や果物に手足の生えたような小さなストラップが大量に入ったクレーンだ。
あー、見たことあるな、確かうぉめろって名前のスイカがメインのキャラクターだったっけ。
「よーし、じゃ、やってみるか」
俺は財布から百円玉を取り出し、入れる。
クレーンゲームなんてやるのは何年ぶりだろう。
俺がコインを入れると、クレーンがゆっくりと降りてきて、まずは左右のボタンが点滅する。
よし、あの取れそうなきゅうり戦士キューカンバーを狙おう。
俺は左右ボタンを押し、まずは縦を合わせる。
そして、前後ボタンを押し、横を慎重に合わせる。
「ここだ!」
俺がボタンを離すと、クレーンが降りていき、キューカンバーめがけて降りていく。
だが、若干ずれた方向へと降りていき、クレーンは何もつかめずに上がってくる。
そして、嫌味ったらしく、何も持っていないのに、取り口の前でクレーンが開く。
振り返ると、祐奈は苦笑いしていた。
クレーンなんて、慣れてもないのにそう簡単に取れるわけがない。
俺もそれくらい知ってるし、祐奈だってそうだろう。
「……もう一回」
だから、俺はもう一度やることにした。
「あんまりやらないほうがいいんじゃない……?」
祐奈が俺の財布を心配して言う。
だが、俺はそれを無視してコインを投入。
さっき分かった事は、この機械の反応は俺が思っていたよりもいくらか鈍い。
だからその分位置がずれる。
さらに言えば、クレーンの降りてくる位置も、俺の想定よりずれていた。
それを補正出来れば、取れる。
俺は慎重にずれを考慮した上で、クレーンを左に移動させる。
よし、いい位置だ。
更に、前後移動、立体でわかりにくいけど、もう少し先だ。
よし、ここ!
俺はボタンから絶妙のタイミングで手を離す。
クレーンは、俺の想定した位置に降りていき、そこにあったキューカンバーの紐の部分をその弱々しい手で引っ掛け、持ち上げた。
「あ……!」
祐奈の驚いた表情。
キューカンバーはそのままクレーンにつかまれて移動し、取り口の中へと落ちていった。
取り口の下から、クレーンはキューカンバーのストラップを吐き出した。
俺はそれを取り、祐奈に差し出した。
「ほら」
祐奈は、戸惑いながらもそれを受け取り、そして、その小さなストラップをじっと見つめ、俺を見上げた。
「ありがとう……!」
俺は、その笑顔に、笑顔で返した。
俺が本当にやりたいのは、こんな取ってつけたような優しさじゃないだろう。
だけど、こんなもんで喜んでくれる祐奈に、嬉しかった。
▼
「今日はさ、なんで付き合ってくれたんだ?」
デートの行き場がなくなって入ったファストフードのテーブルで、俺は祐奈に聞いてみた。
祐奈がデートに来る義理なんて全くない。
この前のテストで負けた時の約束は「何でも言うことを聞け」じゃない、「お前のパンツの所有権をよこせ」だ。
だけど、祐奈はあの日以来、俺に対しての態度が変わった。
それ以前は、言ったことはないけど、デートに誘っても来てくれるようには思えなかった。
祐奈は俺の問いに、なんて答えようか悩むようにうつむいた。
そりゃ俺の問いは、言ってみれば「デートに来るなんてお前、俺のこと好きなのか?」って、聞いているようにも思える。
だから答えにくいのは仕方がないだろうな。
さすがに直球過ぎたか。
「えーっと、じゃあ──」
「……があるから……」
俺が質問を変えようと口を開いたと同時に、祐奈がぼそり、と答えた。
「え? ごめん、聞こえなかった」
その声は、あまりにも小さかったので俺には聞き取れなかった。
「……あたしのパンツの所有権を、康太が持ってるから」
今度ははっきりと聞こえた。
俺が祐奈のパンツの所有権を持っているからだ、と。
つまり、俺が機嫌を悪くして、パンツを全部回収されると困るから、機嫌を損なわないように、俺に従っていた、というのか。
そうなのか。
ああ、そうなのかよ!
俺は、なぜか腹が立った。
祐奈にもそうだ、でもそれより、何かを期待していた自分に、何より腹が立った。
そうだ、俺はこいつにとって権力者なんだ。暴君なんだ。
だから、こいつは俺に従って当然。
俺はそれを祐奈が俺を見直して好きになったからじゃないかって、心のどこかで期待していた。
そうか、そうだよ。
俺はこいつを好きに出来てしまう立場だったんだ。
俺は、拳を握り締め、それをテーブルに振り落とそうかと思ったが、止め、だが、軽くテーブルを叩いた。
祐奈がびくん、と電流にでも打たれたように跳ねる。
「俺はさ、お前を脅すような奴じゃない。幼馴染やっててそんなことも分からないのか?」
俺はなるべく穏やかに言ったつもりだった。
だけど、俺の心から湧いてくるこの怒りを隠せるほど、俺は達観した仙人じゃない。
だから、祐奈は泣きそうな顔でうつむいた。
「知ってる。……ごめんなさい」
祐奈は、反省したようにうつむく。
「照れくさかったから、つい、嘘をついたけど、分かってる。康太はそんなことをしないってこと」
うつむいた祐奈。
照れ隠しで言った、なんて弁明する。
その言葉を、俺はどう捉えればいいんだろうか?
素直に取られることもできる。
だけど、俺の機嫌を直すために、つまりパンツのために言った嘘ということも考えられる。
人間、一度疑ってしまうと、もう何も信用できない。
祐奈の言葉を、俺は信用していいのか?
たとえどっちだとしても、俺が、俺だけが悪いのは何も変わらないのに、俺はどうしてもその猜疑心にこだわっていた。
悪いのは全て俺だけど、俺は祐奈を責めようとして、祐奈も罪悪感を感じている。
結局俺は、何がしたいんだろう?
どうなれば満足なんだろう?
そんな曖昧な気持ちのまま、俺たちの初デートは終わった。
▼
「ねえ、デート、どうだった?」
帰るなり、珠優にそう聞かれた。
あ、そういえばこいつの前でデート誘ったんだっけ。
珠優は好奇心旺盛の中学生だし、受験ってことでなんだかんだ退屈だから、俺のデートなんてどうでもいいものにでも食いついてくる。
「あー、いや、デートってのは大げさで、一緒に遊んだだけだからさ」
俺は一応思い起こしたが、どう考えても、それ以上何も出てこなかった。
あれをデートと呼ぶなら、俺はこれまでも結構祐奈とデートしてるよな。
「デートっていうのは、ある日ある時間に約束して、待ち合わせることに意義があるんだよ? だからお兄ちゃんたちは立派にデートしたんだよ!」
珠優がにこにこと笑いながら言う。
まあ、デートって英語の日付だし、間違っちゃいないと思うけどさ。
でも、俺たち待ち合わせてないしな。
あれがデートであろうがなかろうが、俺はどっちでもいい。
俺の気分は今、かなり沈んでいた。
俺にとって一番大切なものが失われたような気分だからな。
祐奈は、俺の、権力者の俺の「命令」で、デートに来た。
わざわざ得意で好きな部活をサボってまで来た。
しょうがない、命令だからだ。
ここ最近の従順さも、全部俺が権力者だからだ。
胸を揉ませるのも、権力者相手だから仕方がない。
あいつは俺に逆らえない。だから、何でも言うことを聞く。
……クソっ!
「どうしたの、お兄ちゃん?」
珠優が不思議そうに俺を見上げていた。
ああ、そう言えばこいつと喋ってたんだよな。
「いや、何でもないけどさ……実は俺、優奈を脅してデートしてたんだよ。だから今日のは俺にとってもあいつにとってもデートじゃない」
俺は、何となく珠優に本心を喋っていた。
同部屋だからなのかもしれないが、俺と珠優は結構こういう話をする。
主に珠優からされることが多いが、俺だって、時々話をすることもある。
まあ、祐奈のパンツを見てることは秘密にしているが、その部分を除いて、こういうことを言って、意見を求めたり求められたりすることも多い。
年頃の最も近い男女だから、結構意見は参考になったりする。
珠優はじっと俺を見て少し首を曲げる。
「へー、何かゲームでもしたの?」
「いや、そういうんじゃなくて、脅したんだよ。約束を盾にな」
パンツのことは言えないから黙っていた。
「お兄ちゃんがそんなことするわけないよ。どういう事?」
珠優は俺に対して何故だか絶対の信頼を置いている。
「あいつと賭けをしたんだ」
「ほら、やっぱりゲームだね」
「いや、あいつの大切なものを俺は貰ったんだ。で、あいつは返して欲しいから、俺に従うしかない。だからあの時あいつをデートに誘って、あいつはそれを断れなかったんだよ」
俺は俺を慕う妹に、兄貴の汚いところを教えてやった。
ま、こいつもそろそろ兄貴愛を卒業する時だろう。
「うーん……」
珠優は腕を組んで眉を寄せ、少し考える。
「でも、お兄ちゃんってもしそうなっても、相手をそんなに追い込まないんじゃないの? それに、お兄ちゃんから聞く限り祐奈ちゃんも嫌な時は嫌って言うし、本当に嫌なら約束事なかったことにするんじゃないの?」
珠優の中には二人の祐奈が存在する。
一人は、昔一緒に遊んでいた祐奈。
もう一人は、俺がよく愚痴る時の祐奈。
こいつは今の祐奈を全く知らないわけじゃない。
もちろんこいつなりに自分の主観に置き換えるから正確とは言い難いが、だが、全くの別人というわけでもない。
その珠優が分析する祐奈、それは確かに近いかも知れない。
俺に負けたあと、パンツをよこせと言っても、そんなこと出来るか! と言って拒否することも出来た。
いやまあ、あいつはああ見えて義理堅いところがあるから約束は守ったかもしれない。
だけど、何か気に入らないことが出てきたら、それを理由にもうやめだって言いかねないし、そもそもが馬鹿馬鹿しい約束だから、それで返しても構わないだろう。
他人から見て、「お前のパンツの所有権をよこせ」ってこと自体守る必要のない約束だし、それを守ったとして、「パンツを取り上げられたくないなら何でも言うことを聞け」なんて言ったら、俺に味方なんていないだろう。
それくらいの事、あいつなら分かるはずだ。
ん? そう言えばそうだよな?
そう考えると色々と違って来ないか?
俺がさっきショックを受けた、あいつの言葉。
あいつはそれを口実にやめるどころか、むしろ、それを口実に従ってるとも取れる言い方をしていた。
となると、やっぱりあいつはMなのか?
まあ、スポーツ選手はMが多いって言うしな。
あいつも、昔はあんなんだったから、素質があったのかも知れないな。
「なあ、あいつってMなのかな?」
俺が言うと、珠優は少しだけ驚いたが、んー、と右手の人差し指を口に持っていって上を向きながら何か考えていた。
「そうかもしれないね。私もそうだから、昔のお兄ちゃんの方が……じゃなくって! Mっていうよりも、お兄ちゃんに従いたいだけじゃないの?」
「何だよそれ?」
「んー、女の子って、自分が尊敬できて格好いいと思う男の子には引っ張ってって欲しいって思うものだよ。だから、尊敬できて格好いいお兄ちゃんに従いたいって思ってるんじゃないの?」
珠優が無邪気に言うが、それはちょっと現状に当てはまってないな。
お前の兄貴はお前の思ってるような人間じゃない。
俺は祐奈みたいな万能女に尊敬されるような人間じゃない。
あいつはずっと俺を馬鹿にしてきたし、俺も悔しいがあいつに勝てなかった。
そんな俺が祐奈に尊敬されるなんてこと、ありえないと思うけどな。
俺があいつに勝ったのは一回だけ、この前の中間テストだけだ。
確かにあいつが変わったのはあれからで、妥当に思えなくもないけど、あの、たった一回で変わるものかな?
「祐奈ちゃんとは最近あんまり会ってないけど、私が知ってる昔の祐奈ちゃんはそんな子だったと思うよ? だから、ひどいこと言われてもずっとお兄ちゃんについて来んだし」
それは、分からなくもない。
俺は祐奈に無茶なことを言ったし、いじめに近いような事もやっていた。
それでも祐奈は俺についてきた。
今でもさんざん俺のことを馬鹿にしながらも、友達の多いあいつは、それでも俺と一緒に学校行ったり帰ったりしてる。
珠優の言うことはあまりにも俺に都合良すぎるが、それにしてもそう考えると、そこに何かあるんじゃないかと考えてしまう。
うーん、わからない。
あいつは、俺のことどう思ってるんだ?
それが気になって仕方がなくなった時、珠優がふふふと笑う。
「お兄ちゃんは、本当に祐奈ちゃんが好きなんだね」
珠優の言葉は、穏やかに俺の身体を貫いていった。
俺が祐奈を好き?
それは、分かってる。
だけど、珠優の言う「好き」は、俺が自分に認めている「好き」とは違うものだろう。
「祐奈ちゃんを大切に思ってるから、傷つけたくないからいろいろ考えてるんだよね。自分も祐奈ちゃんを好きだけど、祐奈ちゃんもお兄ちゃんの事を好きじゃないと手を出そうってしないんだよね?」
珠優の言葉に、俺はどんな反論をしようかと色々と考えた。
言えることは山ほどあったが、寝食を共にしている珠優にはとても通用するもんじゃない。
そうだよ、認めるよ、俺は祐奈が好きだ。
抱きしめたいし、身体に触りたいし、裸を見たいし、いつも一緒にいたいさ。
いつからかはさっぱり分からない、昔から好きだったのかも知れないし、最近なのかも知れない。
とにかく、俺は今、祐奈が好きで、だからデートなんかしたくなって、あいつがパンツのせいでデートに付き合った、なんて言ったから、ショックを受けたんだ。
だけど、俺はやっぱり臆病で、全く強引さもない。
あいつの気持ちなんて後からどうにかするから、強引に誘ったり、なんてことが出来ない。
ついてきた理由なんてともかく、俺とデートすればあいつに俺を惚れさせる、なんて自信が全くなかった。
だから、「あいつが既に俺を好き」という状態でなければならなかった。
「……そうだな」
俺は惨めさを感じながら、珠優にそう返事をした。
俺は結局、どうしたいんだろう。
それは、いつまでも分からないままだった。