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―――― 朝。
ガリカは一日の中で、この時間が最も好きだ。
大きな鏡の前に腰を下ろしたガリカは、くつろいだ様子で見慣れた自分の顔を見つめていた。見つめるふりをして、その背後に映るメイドの姿をそっと盗み見ていた。
(コーネリア)
心の中で、その名をひっそりと呼んでみる。ガリカの後ろに立ち、彼の長い金髪へ櫛を通す事に集中している彼女は、幸い自分に向けられている視線に気づいていない。窓から透ける朝日に照らされた、深夜の水面のように静謐としたその横顔。淡く透明な瞳はガリカを、正しくは彼の一部である髪を映している。
ガリカの腰を過ぎる程に長く伸びた髪はそれは、とても滑らかで指通りが良く、ただ一つにまとめるにしても非常に扱いにくい代物である。とは言え、そのまま背に流しておくには執務の妨げになるため、毎朝こうして女のように長い時間と手間をかけて結ばなくてはならない。というのが、表向きの口実だった。
周囲の誰もが褒め称える美しい髪も、ガリカにとっては特に思い入れのあるものではない。むしろ、短く切り落としてしまえればどんなに清々するだろうかと常々考えている。そうしないのは、コーネリアと過ごす朝のこのひとときを愛おしく思っているからに他ならない。
薔薇の庭での邂逅から暫くして、コーネリアはガリカ付きのメイドとなった。それまでガリカの身の回りの世話を勤めていた者が、急に体調を崩して辞めてしまったのである。初めて会った日からずっとコーネリアを気にかけていたガリカにとって、それは降ってわいた幸運だった。
それ以来、ガリカの髪を結ぶのはコーネリアの役目となった。彼女の小さな手が、自らガリカに触れるという数少ない貴重な時間。そのためだけに、ガリカは幼い頃から髪を伸ばし続けている。
さらり、さらり。コーネリアが櫛を動かすたび、ガリカの絹糸のような金髪が肩を滑って背に落ちる。それをまるで壊れ物を扱うような慎重な手つきですくい上げる細い指を、ガリカは視線だけで追いかける。けれど、時折額に触れる指先の感触が心地よくて、いつの間にか目を閉じてしまっていた。二人の間に言葉はない。それでも構わなかった。いつまでもこの時間が続けば良いと、心からそう願っていた。
「今日は何色になさいますか?」
眠っていると思われたのか、控えめに声をかけられて、ガリカは顔を上げた。鏡越しにコーネリアと目が合えば、起きながらにして夢を見ているような幸福な気分になる。
コーネリアは片手で器用にガリカの髪をまとめながら、もう一方の手で宝石箱を開いて見せた。中に収められているのは、色鮮やかな飾り紐や髪留めの数々。それらの多くは誕生日などに貰った贈り物ばかりで、特に拘りのないガリカは毎朝適当に目についたものを使用する。
(男の私よりも、コーネリアの方がよほど似合うだろうに………)
ガリカは内心苦笑し、ふと良い事を思いついた。
「お前の好きな色は何だ?」
「わたくしですか?」
予想外の問いかけに、コーネリアは子供のようにきょとんと瞬いた。
「そうですね………わたくしは、白が好きです」
「なるほど」
白。確かに、彼女の黒髪によく映える色だ。
「では、白を」
「まあ」
にこりと悪戯っぽく笑ってみせれば、コーネリアは少し困ったような顔をする。けれども、その口元にはいつもの微笑みを滲ませて、手早くガリカの髪に純白の飾り紐を結んだ。そんな彼女の些細な動作の一つひとつが愛らしく思えて仕方がない。
(触れたい。抱きしめたい。愛していると言いたい。言わせたい)
そのどれもが可能で、不可能だった。ガリカが主人として命じれば、コーネリアは恐らく逆らわない。だが、それでは駄目だ。それだけでは物足りない。欲しいのは、彼女の心そのもの。
(いつか必ず、彼女に白いリボンを贈ろう)
その日。コーネリアに結ってもらった髪に何度も触れながら、心の中で密かに決意したガリカであった。




