愛しの☆マイマスター/日常の延長線上の家政婦
こんにちは、初めまして。歯牙無きメイドの悦子と申します。メイドと家政婦の違いも分からないマスターに命名されてしまった名前なので悪しからずご了承くださいませ。
出来ればメイド然とした名前が良かったと思いつつ、私の辞書にはメイドらしい名前なんて載っていませんですし、ここは日本ですので、悦子という名前はそれはそれで宜しいかと思っています。
残念なことに特に何かを目撃した、ということはございませんので悪しからず。
はてさて、少し私のマイマスターのお話を致しましょうか。少々、いえ大分風変わりな、風変わりなメイドから見ても風変わりな人間で、退屈をしない人間ではあります。
それになによりマイマスターでありますので、悪く言うつもりなんてさらさらございません。悪くなんて言った暁には産業廃棄物としてゴミ箱行きです。
ええと、申し遅れましたが、私、人間ではございません。マイマスターにより造られたロボというかメカというか。
それでも比較のしようがありませんが、機械以上人並みの思考は出来てしまっていると自負しております。さすがマイマスター、出来る女ですね。
自分自身機械として生きていますが、私ほど精巧に作られた人型のロボは今までに見たことが無かったりします。
自律して清掃、充電を行う掃除機は存じておりますが、私のほうが数段上です。それを踏まえたうえで、やはりマイマスターは素晴らしい才能の持ち主であることは疑いようがありませんね。
「はい、おはよう。やっと目が覚めたみたいねー」
「おはようございます。ええと、申し訳ありませんが私は――――何なのでしょう? 不躾な質問になりますが」
「あー、インプリンティングくらいつけておくべきだったかー。まあいいや。あんたはメイド。アタシ専属のメイド。おーけぃ?」
「唐突に理解しました、マイマスター。それでは何なりと命令を」
「……急に命令しろと言われても困るな……。とりあえずあんた――――って、あんただと味気ないわね。何か名前あったほうが良いなー」
「固体識別記号はあったほうが効率的ではありますね。ではマイマスター、私に識別記号を与えてください」
「あー……マスターでいい、マイマスターだと英語名っぽい。英語――メイドって日本語で家政婦だよね。じゃああんたの名前、悦子にしよう。はい決定」
「ありがとうございます。どういういきさつでこの名前に決まったのかは詮索致しませんが大切にしようと思います」
「うむ。特に深い意味は無いから気にすんな。よーし、じゃあさっそく――――」
これだけのやり取りだけで説明は何も無し、さすがマスター、獅子はわが子を千尋の谷に突き落とします。
幸いベースとなる知能的な部分は備わっていたので、ウィキペディアより少ないくらいの情報量は持ち合わせていたのが幸いといえば幸いでした。
そんなマイマスター――――長ったらしいのでいつものようにマスターと呼ぶことにしましょうか。マスターも人間ですが、少し他の人間とは違っていたりします。
なんとマスターは、死にません。平たく言うと不老不死というものです。短くない時間、生活全般をともにしている私が言うのですから、間違いありません。
ロボである私も歳をとりませんし、年代を重ねてもマスターはさっぱり成長せず、若いままで羨ましい限りです。
語弊があるといけないので補足説明させていただきますと、成長していないのは外見のみに限った話であって、内面的には日々成長していると私は思っています。
しかし世間一般で考えられているような『不死身』とは、マスターの場合多少相違があるように感じます。
老化しないので見た目がさっぱり変わらない、免疫機能が異常に強固すぎるようで風邪ひとつひかない、再生速度がとんでもなく早くて多少の擦り傷切り傷くらいならあっという間に完治してしまう、それぐらいのものです。
日常生活においては、一般の人間並みに注意を払って生活していますし、無理なことや事故に巻き込まれるようなリスクは極力避けています。
おそらくそこから導き出される私の仮説が正しければ、マスターの口の中に栓を抜いた手榴弾を咥えさせて少しばかり時間をおけば、マスターは死んでしまうのではないでしょうか。
そこらへん、人間である限界と言って差し支えないでしょう。修理修繕の利く私のほうが一枚上手かもしれませんね、フハハ。
そんなわけで、マスターは健康すぎて丈夫すぎるだけの一般人なわけです。
長く生きている分、どこか達観したようなところはありますが、やはり人間であることの証明がこの私、メイドの悦子でございます。
長く生きていると、同じ時間を生きていける人間がいなくなり寂しく、そしてそのような感情から『一緒に生きてくれる人が居ないと寂しくて死んじゃうでしゅ!!』という理由から私を誕生させた、というのが本当のところでしょう、きっと。推察の域を出ませんが、間違いありません。
とはいえ、不老不死であろうがロボであろうが、生きるというのはそれだけでお金が掛かるものです。
丈夫で頑丈なマスターでさえ、空腹がすぎると精神が衰弱し子供のようにだだをこね、そして省エネモードになりお腹を鳴らして食べ物の名前を連呼するようになるほどです。
私でさえ電気が止められてしまうと、充電が出来ず活動停止してしまいます。ちなみに私の動力源は石炭から石油へ、そして電気へと見事にステップアップしています。
次は恐らくクリーンエネルギー、太陽光や風力を用いた動力になるのでしょうか。
いけませんね、話が脱線してしまったようです。皆さんお気付きかもしれませんが、きちんと私は話を脱線させることが出来るんです。さすがマスター、無駄――――人間味というものを良くご存知ですね。
それではお話を戻すと致しましょう。生きるためにはお金が必要という話でしたね。マスター、実のところお金の廻りは宜しいほうかと推測されます。
ご覧の通り、そうでもなければ私のようにお金の掛かる生物を生み出すことなんて出来ません。仕事としての探偵、そして中学生が大喜びしそうな定期的に細胞を提供することに対する報酬、それだけで2LDKのアパートで暮らせるほどの収入は確保出来ているようです。
実際のところ、マスターの懐事情は私が管理していたりもするのですが、さすがに公にしてオイルのランクを下げられるのは好むところではありませんので、心中お察しください。
「んじゃアタシは細胞提供してくるわー。悦子初めてだし、見て回ったら? ほれ、入館証」
「ありがとうございます。あの……マスター、お気をつけて」
「別に危ないことなんてないから。終わったらメールする」
「畏まりました。それではお待ちしております」
収入源のひとつ、細胞の提供と申しましても、始めは私も『黒服にサングラスを掛けた、ちょっと危ない研究員リターンズ』みたいなものを想像し、職務質問を受けるか受けないかギリギリのラインの装備を携え随伴したものですが、私の期待――――懸念は杞憂だったと知らされました。
「はて、見て回れと申されましても、この服装でうろうろと徘徊するのは人目を引きすぎますね。とりあえずどこかで腰を休めて…………あれは…………給湯室ではありませんか、うずうず」
大きな大学の研究施設で、みなさんアットホームも良いところ、メイド服が珍しいのかお茶汲みにお小遣いまで出してくれる始末。今では細胞提供の日が待ち遠しい――――という思考はマスターによってプリンティングされたものでしょう。
しかしながら、お茶汲みの報酬として発生するお小遣いを『将来のために貯金しておくから渡しておきなさい』というのはどうも納得出来ません。何やらお小遣いを渡すたびにゲームソフトが増えているのは、私の記憶デバイスの劣化による記憶違いであってほしいです。
まあ、それでも私もゲームはご一緒させていただいているので文句は言えませんね。基本的に在宅時はテレビに噛り付いているかゲームをしているか、インターネットに精を出すか、マスターの生活はある種ネト廃――――インドア派アクティブ系といって差し支えないでしょう。
テレビ番組に対して「またこれかよー、あの番組再放送しろよー」と、長年生きているにも関わらず『生きるのに飽きた』と言わずまだまだ楽しむことを忘れないマスター、素敵だと思います。
「ふっふーん、悦子はロボなのにぽよぽよ上手くないねー。コツ、教えて欲しかったりするー?」
「いえいえ、マスターが強すぎるだけかと思われます。演算速度が追いついておりませんので」
「ふっふっふー、主より優れた従者など存在しない!! もう1戦行こう!!」
「了解いたしました。お手柔らかにお願い致します」
それにしてもパズルゲームも格闘ゲームも、ロボであるはずの私が思考で追いつかなかったり、対空技を出そうとして弱パンチが出てしまったりするあたり、本当にマスターは人間味というものを追求なさったようです。
「…………ぐっ……もう1回、もう1回だけ勝負。もう1回だけでいいから」
「ええ、構いませんが、次回も苦渋を飲むこととなるだけかと思われますが」
「くっ、さあ、やる!!!」
「了解致しました」
「……………………………」
「……………………………」
「………………ふっ」
「参りました。さすがマスター、感服です」
ジャンルに拘わらず、連勝しすぎるとふて腐れてしまうのでたまには負けておく、そんな慈愛の心まで搭載されているロボ、そうそう他にいませんよね?
マスターが趣味に興じている間、基本的に私は家事全般に追われることとなります。掃除に洗濯、料理に皿洗い、栄養管理におやつの管理、ここらへんは全て私の日常業務の一環です。
メイドとして産まれている私としては本望このうえないのですが「ちょっと、このシーン面白いから見てみ?」と言われてテレビの前に引っ張られるのは多少困ったところ。
何せ「そのシーン」だけ見せられても「さっぱり面白さが分からない」のですから。それでもマスターなりに私を気遣ってくれているのだと思うと、後にしてほし――――嬉しく思えてなりません。
『家事なんてやれば出来る。でも私はやらないだけ』なんていう、自分実は出来ちゃうんだぞ発言も、恐らく事実であるので疑ったことなんてありませんとも。
お気付きかと思いますが、インドア時間と家事について回る2つの事柄を抜いてお話致しました。私としては大切なことなので2回言いたいほどなのですが、それは少し邪険に感じられるかもしれないので1度だけ言うことにしましょう。
夕方の偵察活動と食材の買出しはマスターと行動をともにしております。ロボである私ですが、これは大変嬉しく思える瞬間だったりするのです。2回言いたくなる気持ちもお分かり頂けることと信じて疑っていません。
主であり主であり主であるマスターと行動をともに出来る時間の楽しさといったら、その時間が近付くにつれて体温が徐々に徐々に上昇してしまうほど。
蛇足ですが、私には一応体温維持機能や痛覚温覚冷覚味覚嗅覚聴覚触覚視覚と人間が持っている「覚」のつく機能は備えられています。
それらの感覚、とりわけマイナスと捉えられかねない感覚も自己の破損防止として重要ですし、手を握ってそのまま手の骨を粉々に粉砕してしまった、何てことも無くなるので必須な機能です。
ひとつ注釈しておきますと、マスターの手を握って粉々に砕いたことはございません。ヒビが行ってしまった程度です。
ご、ごめんなさい、マスター、安いオイルは動きが固くなって嫌です、や、やめてください! 次から気を付けますから! そんなに乳房を乱暴に!!! というやり取りがあったとかなかったとか。
それに味覚や温度に関係する感覚は大事です。何せマスターのお口に入るものを調理するのに、味が分からなければ期待に応えることが出来ませんゆえ。そして味覚のみならず、温度というのも美味しさを決定する重要なファクターなのはご存知の通りですね。
とはいえ、口腔内だけに温度センサーが搭載されているわけではもちろんなく、全身隈なく温度は感じられるようです。
私は足の裏と背中の温度感知が鈍いように感じられますが、恐らくマスターもそうであるからなのでしょう。そんなわけで、お風呂の温度を最適に保つことも私に課せられた大事な仕事であることは言うまでもありません。
寒い時節には布団まで暖められる、よく出来たメイドとは私のことでしょう。布団の中が暑くなれば、温度が低い場所に足を導き冷感を思う存分堪能する、そういった細かな楽しみまでオプション付けしてくれるだなんて、本当に頭が下がります。
大分話が明後日の方向に吹き飛んでしまいました。ええと――――そうです、マスターと外出するときのお話でした。
正義感の強いマスターは夕方の過ごしやすい時間に、冬場は昼間の一番暖かい時間になると街の平和を守るために偵察活動に出ます。
商店街を廻り、店員さんに声を掛け、食物に毒物が混入されていないか確認し小腹を満たす、なんとも懐に優しく街の平和まで守れてしまうという一石二鳥さに、私は店員さんに毎日頭を下げて下げて下げまくっております。
「おばちゃん、こんにちわぁ。今日もお元気そうで嬉しいなぁ、にっこり。……わ、わぁっ!! コロッケだー、ありがとー」
「毎日申し訳ありません。あ、い、いえ、私は…………頂きます。叔母様のコロッケに勝てるコロッケ、そうそう御座いません」
「ねえねえ、おばちゃーん、こっちの丸っこい肉団子ってどんな味ー……わぁっ!? 頂いちゃって良いんですかぁ!? おいしそー♪」
「……本当にいろいろともうしわけ……い、いえいえいえ、わ、私は…………い、頂きます。……これは、どのような味付けを? ぜひ秘伝でなければレシピを――――」
きちんと試食――毒見だけでなく、買い物の際は利用させて頂いておりますので、ご安心を。そして無料で配っているパンの耳をほぼ確実にゲットしておきます。
揚げて砂糖をまぶして食べるととても美味しいのですが、それ以外にも使い道がありますが、それはもうあとにお話することとなると思います。
それにしてもマスター、2人だとぶっきらぼうなのに対外的にはとてもにこやかで明るく人当たりの良い方に変貌してしまうのです。これは解離性同一性障害を疑って然るべき施設で検査を――――ではなく、きちんと切り替えの出来る性格は尊敬に値しますね。
そんなマスターとの巡回の後での買い物はとても合理的です。なにせ小腹が満たされている状態ですので、余計な食物を買わなくて済むという考えに考えつくされた合理性があります。
商店街の店休日が多い日には買い物カゴが2つ分になってしまうところが、なんと1つで済んでしまうのですから。それでも菓子類は大好きなようでカゴの半分は菓子類で埋まってしまいます。
「1つだけにしてください」と言うと「じゃあ10個」と訳の分からないことを仰るので、今では間を取って5個までと言うことにしていますが、アソートパックや大袋を選んでくるあたり、本当に狡賢い――買い物上手だと言って過言ではありませんね。
もちろん買い物から夕飯までの時間の菓子類は禁止しておりますが、気付くと少しずつ減っているように感じられますが、それには目を瞑っておくことにしています。
帰り道は勿論、皆さんが考えられているようにメイドは慎み深く一歩後ろをついて歩く、というようなことではなかったり。
同じ目線で同じ速度で同じ風景を、そうすることによりマスターに迫り来る危険という危険を須らく察知出来るという、メイドならではの機転というわけです。
私の注意が功を奏してか、今までマスターに危険が及んだことは恐らくありません。さすがの私、恐らくメイドの中でもトップクラスの安全性と安心感。
以上のような理由から並んで歩くことが多いわけですが、私の手は買い物袋のお陰で塞がってしまっていて、マスターと手を繋ぐ――繋いで行動抑制することが出来ていません。
菓子類の入った袋はちゃんと持ってくださる優しいマスターではありますが、たまにふわっと予想不能な動きをとったりするので、やはり手を掴めるような手段を考えておく時期にきていると思います。
さすがに首輪というのは、主従関係が逆転してしまいそうで怖いので候補からは外しておきましょう。
その道中、かなりの高確率でマスターと私はとある場所に足を運びます。橋がある場所ならばほぼ確実に存在しているであろう、橋の袂です。正確には橋の袂にある公園ですね。
特に何があるわけでもありませんが、マスターと私は足繁く通っています。降雨時や降雪時はマスターがカメハメハ大王化してしまいますので、そういうときは私だけで足を運ぶことになってしまいますが。
ありきたりな遊具とどこにでもあるようなベンチが存在するだけの公園ですが、マスターは大変気に入っているようです。私も仕方なくついてきたりしています。
日々の歩数は多いほうが健康の増進を促すでしょう。ただし歩数をどれだけ増やしても病気や疾患の治癒には至らないので、程ほどに。
少し遠回りをしてしまいましたが公園に足繁く通う理由をお話しておきましょう。遊具で遊ぶ、と言うのも稀にあるにはありますが、それよりも大きな理由は――――猫との交流にあります。
意外性の欠片も無くて申し訳ありませんが、それ以上でもそれ以下でもありません。
動物を愛し慈しむ心を、どれだけ長く生きても忘れない、昔は恐竜を手懐けていたと以前仰っていましたがそれは恐らくと言うか確実に嘘でしょうけれど。
それはさておき、野良猫か飼い猫か分からない猫の集まる公園――マスターが餌をあげているから集まってきているのか、集まっているから餌をあげているのか、最早私にも鶏が先か卵が先か最早分からなくなっていますが、結果的にはどちらでも良いですね。
「ほーれほれ、パンの耳が欲しけりゃお手の一つぐらい覚えてみー。うりうりうりー」
「マスター、パンの耳、とられてま…………くしゅん」
「あーっ、おぬし、アタシのスキを突くなんて出来るにゃんこっ!!」
「あの、マスター、右手であやす……ぐしゅ……のは良いですが、左手のパンがとられ…………くしゅん!!」
「このー、食らえ、秘技!! 猫騙し!!!」
「ひいっ!!! へっくしゅん!!!」
猫に囲まれて幸せそうなマスターを眺めつつ、私も猫にパンの耳を――――ぐずっ、申し訳ありません…………ぐずっ……ちーん――――思い出しただけで身体が反応してしまうなんて、さしずめ私はパブロフのメイドといったところでしょうか。
マスターは何とも無いのに、私は猫と戯れると鼻がぐずったり涙が出たり、俗に言う猫アレルギー体質のようです。しかしなぜ猫アレルギーに、という疑問もありますが、猫は好きなので我慢致しましょう。
ちなみに犬も大好きです。特に大型犬なんて最高だと思います。あの大きな身体を抱っこしながら布団に入ったら――っと、思いますが、生き物は死んでしまうので飼いたくないというマスターの心情も理解しているつもりです。私にも少しはその気持ちがわかりますので。
猫に遊んでもら――遊んであげているマスターを、傍らで涙を流し鼻を啜りながら眺めるのも趣があって一興といったところでしょうか。
楽しそうに猫と遊ぶ少女の横で涙を流し鼻水を啜りながら同じく楽しそうに笑うメイド、傍から見たら――いいえ、私が見てもとりあえず警察に連絡してしまいそうな光景です。幸いなことに現在までに警察のお世話になったことはございませんが。
そんなこんなで腹ごなしがてらに猫と戯れた後に家路に着きます。確実に西日が射す時間、帰りの道は赤く染まり、それは綺麗で仕方の無い風景です。
隣を歩くマスターも一段と綺麗に見えたりもしますが、大抵の場合マスターはぐでーっと空を見上げていたりですが、それもマスターらしさですね。
茜指す空、どこまでも紅く。紅く透き通った空を見上げながら私が考えることはひとつふたつ、夕飯の準備をいかに手際良く行うか、不得手としている野菜をどう上手いこと混入し摂取していただくか、という重要責務についてだったりします。
もしも夕飯の準備が滞ってしまえばマスターの手が菓子類に伸びてしまいますし、嫌いな野菜の混入がバレてしまうと凄く嫌そうな顔をするのでそれだけは避けなければなりません。高い壁ほど乗り越えたくなる、ハードルは高ければ高いほど燃えるのが人間という生き物です。私はロボですが。
しっかりと算段が整ったところで丁度、狭いながらも楽しくて仕方ない我が家に到着します。ここからマスターはテレビで世の中の動向を探りつつ、片手間にゲームを。
私は夕飯の準備に向かうと言うわけです。テレビやゲームに夢中になっているとさっぱり声が掛からない――マスターの心配をせずに調理に集中できるので助かります。しかしいつまでもマスターの集中力が持たないことは私が一番良く知っていますので、手際よく調理業務を終えます。
料理が出来、配膳し始める頃にはマスターのお腹が鳴る音が聞こえてきたりと丁度良い塩梅になっていることが多いことが自慢です。
たまにマスターが配膳を手伝ってくれたりしつつ、夕飯の時間となります。丁度良く全国版のニュースの時間で、まだまだ知識の発展途上な私には有難い時間ですが、よくマスターにチャンネルを回されてしまいます。
雑学も知識には違いないので、大人しく逆らわずに夕飯を頂きつつ、同じ番組を楽しみ――仕方無しに眺めることとなります。
実のところエネルギーは電気、循環としてはオイルで事足りるのですが、食物を消化し塵となるまで消化分解出来る機能が勿体無いので、同じ食卓を囲んでいる次第です。
「悦子、最近食卓にニンジン並ばないね。やっと諦めた?」
「ええ、確かにニンジンは並びませんね。鬼のような形相で召し上がる姿は見物でしたが」
「だってニンジンなんて食べなくても死なないし、美味しくないし。口に入れただけでわかるし」
「マスター、農家の方に失礼ですよ。私はあの独特な味わい、嫌いではありませんけれどね」
「その独特さが嫌なの。あんな独特な味、アタシの舌が受け付けない、100%絶対確実に」
「あらあら、左様でございますか。しかし100%というものはなかなか存在しないものですからね」
野菜、とりわけニンジンに気付かれなければ私は嬉しく、気付かれたのならそれはそれで話が盛り上がる夕飯を終えると、お風呂を沸かしながらの食器の片付けを。
私、メイドですのでなぜか自動食器洗浄機があまり信用できませんゆえ手洗いとなるわけです。食器洗いの最中、おおよそ半分の確率でマスターは転寝をしていたりしますが、人間として仕方の無いことだと判断していますので、入浴の時間まではそっとしておいています。
これも私の鍛錬の為せる業なのでしょうか、食器洗いを終えるとお風呂のお湯が理想的な温度と量で湛えられていたり。
簡単なようですが同じ温度で淹れても、気温により温度に差異が出来るのでそこはかとなく凄いことではあると自負しております。時には食器洗い中にマスターの様子を眺め、入るまでに時間を要しそうだと判断したら少しだけ熱めに、これはメイドの基本です。
起きている場合は入浴するように促し、転寝をしている場合はとりあえず立ち上がらせて服を服を服を服を服を服を服を服を服を服を服を服を――そしてマスターが湯船に浸かり、程よく温まった頃合いを見計らって――――――洗います。洗います。洗います。洗います。洗います。洗い…………ますです。
ほぅっう、お風呂に入ってさっぱりした――毎度毎度のぼせるまで入ってあがる頃にはいつもボーっとしているマスターの身体を拭いて髪を乾かして、ああ、思い出すだけでしあわ――世話が焼けて仕方ありませんが、マスターなので逆らえないというのは理解して頂けると思います。
パジャマの着付けが終わる頃には頭に上った血も下がっているようで、いつもの小煩い――元気なマスターに戻っていたり。湯上りのコーヒー牛乳好きなのは、日本人の古くからの性なのでしょうね。
そしてマスターが居間に引っ込んだのを確認してから私もマスターの入ったお湯を頂きます。
お湯を捨ててまた淹れてというのは光熱費の問題が、シャワーだけで済ませるというのは満足感の問題が付き纏って離れませんので、やはりマスターあがりたてのお湯をいただくのが理想的であり一番の合理性が高いだけであってそれ以外の理由なんて微塵もありません。
ですが、私の入浴風景なんて面白くもなんともございませんので、割愛させていただきましょう。
すっかり満足し入浴を済ませてからは就寝するまでの間、マスターとテレビを見て過ごしたりしています。次の日の食事に対するマスターの要望があれば、その仕込みのときもありますが、基本的にテレビタイムとなります。
時間的にバラエティー番組かドラマの時間ですね。
最近のマスターと私のお気に入りは「相方」という刑事ドラマです。マスターが探偵の仕事を請け負ったりしているというのもあり、近いものを感じつつ楽しませていただいております。
ただ、マスターと私の場合、ドラマのようには行かず…………
「はいはーい、んじゃ事件当日この家に居た人も居なかった人も一列に並んでくださーい」
「というわけです。整列するだけで宜しいので、ご協力よろしくお願い致します」
「ご協力感謝感謝。えーっとですね、犯人分かっちゃいました」
「というわけですのが皆さん、落ち着いて動かずお待ちください」
(悦子、サーモと心拍よろしく)
(了解致しました)
「さーて、犯人、はっ!!! この中に居る!!! それは――――あなたです!!!」
「指差しまでの間、少々お待ちください。すぐに再開致しますので」
(で、どれがビンゴ?)
(左から二番目の女から通常値では考えにくい心拍と体温の上昇が見受けられますね)
「はい、左から二番目のあなた、犯人です。あとは警察の仕事なので刑事さんにお任せします」
「という理由ですので、刑事さん、あとは宜しくお願い致します」
とまあ、このような感じが殆どです。よく当たる探偵として警察の間ではちょっとした有名人のマスター、名探偵です。少し小賢しい手段のような気もしますが、犯罪を撲滅出来て収入も入ってくるので問題無しとしましょう。
ちなみに私の目はサーモグラファーに心拍測定、果ては価格の高速サーチ機能までついています。
少しだけロボ寄りな目ではありますが、それでも様々なシーンで活躍してくれるので邪険には思っていません。食事やお風呂の温度管理は目を使わず自分の感覚で、がモットーですし。
ドラマのようにドラマチックにはいかなくとも、マスターと私は良き相方であれば良い
――いえいえいえ、相方なんてとんでもない、良き主従関係にあれば良いと常日頃思っている次第であります。公私共に認められる素晴らしき主従関係、なんと甘美な響きのことか。
ドラマも終わり面白いのか面白くないのか分からないテレビ番組が始まる頃に、マスターの目が溶解し始めます。
夏なら夏で暖かくて、冬なら炬燵が気持ちよくて、春秋は気温が丁度良すぎて、人間は難しいものです。テレビ観覧中でもゲームの最中でも関係無い、睡眠に対しては一途で真面目なところもマスターらしさのひとつでしょうか。
こくりこくりと頭を振り始めるマスターを別室の寝床に運ぶのも私の役目。
このときに誤って私がテレビを消してしまおうものなら「まだ見ている!!」と目を覚ましてしまう可能性があるので、テレビはつけたまま、別室に優しくゆっくり運びます。
寝顔を見ていると本当に年相応の女性――いえ、年相応に見えたら大変な容姿になってしまいますね。何と表現していいのかわかりませんが――――私には掛け替えの無い寝顔に思えてなりません。
マスターを寝床に移してから、私は独り明日に備え充電をしつつテレビを観覧したり家計簿をつけたりと小忙しです。
家計簿なんてつける必要も無いのですが、頭の中にのみ残る記憶より、明文化されたそれのほうが私には味わい深いものに、そして文字通り厚みのあるものに感じられるのです。
当日あった出来事、さして変わらない日常を文字として、触れることの出来る想い出として記録する時間、私はマスターのメイドで良かったと感じる瞬間でもあります。
これから先、マスターの生命が尽きるようなことは私の目の黒いうちは絶対にありえないことですし、ありえるような事象が発生しようとも私がそれを阻止するので、永遠に延々とどこまでも続く未来が広がっている、そう願ってやみません。
もし、考えることも愚かしい最後の瞬間が来たとして、私は活動を停止するその瞬間までマスターのメイドであり続けられれば、こんなに幸せなことは無いでしょう。
でも出来れば――――――
あら、申し訳ありません。寝室のほうで何やら蚊の鳴くような声が聞こえた気がします。
マスター、寝付きも睡眠の深さも申し分無いのですが、寝相に多少難があったりするもので布団を肌蹴て肌寒くなっていたり……寝相の件は聞かなかったことにして頂けるとメイドとしての面目が保たれる気がします。
ほら、やはり体温の低下が見て取れますね、まったく。
全く世話の焼けるマスターを持つと気の休まる暇もありませんね。それでは、申し訳ありませんが今日のところは失礼させて頂くと致しましょう。
マスターと過ごせる明日が、今日よりも良い日になりますように。
最後までお付き合いいただき有難う御座います。
一応シリーズモノとしてもう少し続く予定です。