善意
榊透は、人の話を聞くのが好きだった。
悩みを打ち明けられると、少し嬉しい。相手が何を苦しいと思い、何を求めているのか分かる瞬間が好きだった。
「……榊さん、少しいいですか」
声をかけてきたのは、新人の牧田だった。
入社して半年ほどの、真面目で大人しい青年だ。
榊はパソコンから目を上げ、柔らかく笑った。
「どうしました?」
牧田は周囲を気にするように視線を泳がせ、小さく笑う。
「いや、大したことじゃないんですけど……」
そう言いながらも、かなり疲れた顔をしていた。
目の下には薄い隈がある。
「最近ちょっと、仕事が立て込んでて」
「忙しそうですもんね」
「皆忙しいから仕方ないんですけど……。なんか、自分ばっかり頼まれてる気がして」
牧田は困ったように笑った。
「断るの苦手なんですよね」
榊は静かに頷く。
「頼みやすいんでしょうね」
「え?」
「安心感ある人っていますから」
牧田は少し驚いた顔をしたあと、照れたように笑った。
「そんな風に言われたの初めてです」
それから牧田は、時々榊のところへ来るようになった。
急な資料修正を押し付けられた話。
先輩のミスをフォローした話。
休日に電話対応した話。
周囲は皆、「断った方がいい」と言った。
でも榊だけは違った。
「牧田くんって、責任感強いですよね」
「でも、最近ちょっとしんどくて……」
「期待されてるんでしょうね」
榊は穏やかに笑う。
「誰でもできることじゃないですよ」
その言葉を聞くたび、牧田は少し安心した顔をした。
数週間後。
牧田は会社で有名になっていた。
「あいつに頼めば何とかしてくれる」
「夜でも返事くるし」
皆、気軽に仕事を押し付ける。
牧田も断らなかった。
いや、断れなくなっていた。
最近では、終電近くまで会社に残る姿が当たり前になっていた。
「牧田くん、今日も帰ってないの?」
同僚が呆れたように言う。
牧田は眠そうな目で笑った。
「でも、頼られるの嫌いじゃないんです」
その言葉に、榊は静かに頷く。
「必要とされるのって、嬉しいですからね」
牧田は少しだけ嬉しそうに笑った。
それからさらに数日後。
ミスが増え始めた。
会議中にぼーっとする。
コピー機の前で立ち尽くしている。
話しかけられても反応が遅い。
「大丈夫?」
心配されても、牧田は笑う。
「まだ頑張れます」
その日の夜。
残業を終えた榊のスマホが震えた。
牧田からだった。
『俺、ちゃんとできてますかね』
『期待に応えられてますか』
榊は少し考え、
『牧田くんは十分頑張ってると思います』
と返した。
数分後。
『榊さんみたいに、ちゃんと頼られる人になりたいです』
榊は小さく微笑んだ。
『もう十分、頼られてますよ』
翌日。
昼休みの社内は妙に騒がしかった。
「え、屋上って……」
「救急車来てるって」
ざわつく声。
榊は席を立たず、静かにコーヒーを飲んでいた。
誰かが青ざめた顔で言う。
「牧田くん、自殺未遂らしい……」
空気が凍る。
榊は小さく目を伏せた。
「頑張り屋でしたからね」
数日後。
榊は仕事帰りに病院へ向かった。
病室のドアを開けると、牧田は青白い顔でベッドに横になっていた。
「あ……榊さん」
弱々しい声。
榊は穏やかに笑う。
「少し安心しました」
「すみません……。皆に迷惑かけちゃって」
牧田は申し訳なさそうに目を伏せる。
「頑張りすぎちゃいましたね」
責めるでもなく、叱るでもなく。
榊は静かな声でそう言った。
牧田の目に、うっすら涙が浮かぶ。
「俺、もっとちゃんとしなきゃって思って……」
「応えようとしてたんですよね」
榊は椅子に座り、優しく続けた。
「誰かの期待に応えたいって思えるの、僕は立派だと思います」
牧田は泣きながら何度も頷いた。
榊はその姿を穏やかに見つめる。
窓の外では、夕方のニュースが流れていた。
“働き方改革”という言葉だけが、静かな病室に響いていた。




