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優しい榊さんの話

善意

作者: リコリス
掲載日:2026/05/11

 榊透は、人の話を聞くのが好きだった。


 悩みを打ち明けられると、少し嬉しい。相手が何を苦しいと思い、何を求めているのか分かる瞬間が好きだった。


「……榊さん、少しいいですか」


 声をかけてきたのは、新人の牧田だった。


 入社して半年ほどの、真面目で大人しい青年だ。


 榊はパソコンから目を上げ、柔らかく笑った。


「どうしました?」


 牧田は周囲を気にするように視線を泳がせ、小さく笑う。


「いや、大したことじゃないんですけど……」


 そう言いながらも、かなり疲れた顔をしていた。


 目の下には薄い隈がある。


「最近ちょっと、仕事が立て込んでて」


「忙しそうですもんね」


「皆忙しいから仕方ないんですけど……。なんか、自分ばっかり頼まれてる気がして」


 牧田は困ったように笑った。


「断るの苦手なんですよね」


 榊は静かに頷く。


「頼みやすいんでしょうね」


「え?」


「安心感ある人っていますから」


 牧田は少し驚いた顔をしたあと、照れたように笑った。


「そんな風に言われたの初めてです」


 それから牧田は、時々榊のところへ来るようになった。


 急な資料修正を押し付けられた話。

 先輩のミスをフォローした話。

 休日に電話対応した話。


 周囲は皆、「断った方がいい」と言った。


 でも榊だけは違った。


「牧田くんって、責任感強いですよね」


「でも、最近ちょっとしんどくて……」


「期待されてるんでしょうね」


 榊は穏やかに笑う。


「誰でもできることじゃないですよ」


 その言葉を聞くたび、牧田は少し安心した顔をした。


 数週間後。


 牧田は会社で有名になっていた。


「あいつに頼めば何とかしてくれる」

「夜でも返事くるし」


 皆、気軽に仕事を押し付ける。


 牧田も断らなかった。


 いや、断れなくなっていた。


 最近では、終電近くまで会社に残る姿が当たり前になっていた。


「牧田くん、今日も帰ってないの?」


 同僚が呆れたように言う。


 牧田は眠そうな目で笑った。


「でも、頼られるの嫌いじゃないんです」


 その言葉に、榊は静かに頷く。


「必要とされるのって、嬉しいですからね」


 牧田は少しだけ嬉しそうに笑った。


 それからさらに数日後。


 ミスが増え始めた。


 会議中にぼーっとする。

 コピー機の前で立ち尽くしている。

 話しかけられても反応が遅い。


「大丈夫?」


 心配されても、牧田は笑う。


「まだ頑張れます」


 その日の夜。


 残業を終えた榊のスマホが震えた。


 牧田からだった。


『俺、ちゃんとできてますかね』

『期待に応えられてますか』


 榊は少し考え、


『牧田くんは十分頑張ってると思います』


 と返した。


 数分後。


『榊さんみたいに、ちゃんと頼られる人になりたいです』


 榊は小さく微笑んだ。


『もう十分、頼られてますよ』


 翌日。


 昼休みの社内は妙に騒がしかった。


「え、屋上って……」

「救急車来てるって」


 ざわつく声。


 榊は席を立たず、静かにコーヒーを飲んでいた。


 誰かが青ざめた顔で言う。


「牧田くん、自殺未遂らしい……」


 空気が凍る。


 榊は小さく目を伏せた。


「頑張り屋でしたからね」


 数日後。


 榊は仕事帰りに病院へ向かった。


 病室のドアを開けると、牧田は青白い顔でベッドに横になっていた。


「あ……榊さん」


 弱々しい声。


 榊は穏やかに笑う。


「少し安心しました」


「すみません……。皆に迷惑かけちゃって」


 牧田は申し訳なさそうに目を伏せる。


「頑張りすぎちゃいましたね」


 責めるでもなく、叱るでもなく。


 榊は静かな声でそう言った。


 牧田の目に、うっすら涙が浮かぶ。


「俺、もっとちゃんとしなきゃって思って……」


「応えようとしてたんですよね」


 榊は椅子に座り、優しく続けた。


「誰かの期待に応えたいって思えるの、僕は立派だと思います」


 牧田は泣きながら何度も頷いた。


 榊はその姿を穏やかに見つめる。


 窓の外では、夕方のニュースが流れていた。


 “働き方改革”という言葉だけが、静かな病室に響いていた。

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