流れ星とや・・
流れ星とや・・とか言う事であるよ。伝聞の不確実な内容と云う事になります。人から聞いた内容や噂の真偽を疑ったり、問いかけたりする際に用いられます。と云う事です。そこで・・以前から気になって居た、流れ星の中の、〇○○星の運命を調べて見たいと思いました。操作されない、私の本当の運命は如何なって居たんでしょうか。何の為の操作でしたか。この世に生まれて来た使命を知りたいと思いました。人生最終章ですから、世の中に役に立つ何かを、見つけたいと思いました。この頃はAIで簡単に調べる事が出来ます。さわりだけ、興味のある処を書き留めました。詳しくは調べてみて下さい。ローマ・鎌倉と聞いただけなんですが・・カエサルと頼朝と・・勝手にこじつけました。星回りの関係らしいです。100年に一度出るか出ないか・・1千年に一度かも知れん。と、聞いた事があるんです。世紀末に現れて、新しい世の中を創るという星・・。しかしながら、私には苦難ばかりが圧し掛かりました。
①
流れ星とや・・『とや』は主に・・〇疑問・不信:「~というのか」「~とかいう」と訳し、人から聞いた内容や噂の真偽を疑ったり、問いかけたりする際に用いられます。〇伝聞・噂(文末):「~とかいうことだ」「~ということであるよ」と、間接的に聞いた話を伝える際に使用されることがあります。〇「とや言う(とやいう)」の省略:物語や説話の末尾で、「とや」だけで「~という話だ」という意味を表すことがあります。と古語辞典にあります。「流れ星とや・・」は、流れ星とかいう・・。(伝聞の不確実な内容)ということになります。
お話が飛びますが・・超飛びますが・・。源頼朝の生涯は、幸せでしたか?世紀末に現れて、新しい国を作るという運命の星。そう言えば、貴族が支配して居た世の末期から・・武士が統治する時代を創って居る。どの様にしてその大業を成し得たのか・・その流れ星の運命を調べて見たいと思いました。何で?そんな事迄しますか?誰もがそお思われますよね。実は私も、ある占いで聞いた事があるんです。直接ではありません。母から聞きました。「・・これより深く聞きたいなら、鑑定料が上がりますよ」と云われたそうです。「凄く高くなるんですね。そんなに払えないから、いいです」と、深く聞かなかったそうです。姉の縁談の事で、母が占って貰った隣町の占い師さんです。よく当たるという、その占い師さんは「ついでに妹さんのも見て上げましょう」と云う事でした。「昭和〇〇年〇月・・日です」「何時ごろでしたか?」「・・頃です・・」「ふむふむ・・あったぁ!!○○〇星は女性でしたか!」〇○○星とは、流れ星の中の大きな星らしいけれども、母は聞き取れなかった・・・。占い師さんは、ほうほうと目を輝かせて喜びの声を上げて居たそうです。「○○〇星は日本に落ちて居ると推察して居ました。戦後の日本の経済成長は、しかり・・です。うんうん」「でも、これ以上は払えませんから・・」「そうですね。・・可愛がって上げなさい。親の縁の薄い子です。貴女も、3年2ケ月後に死ぬ事になって居ますから・・少し延命しましょう。この星が出ると、家に災いが起こります。悪魔とも天使とも言い・・家が倒産するんです。倒産したでしょう・・」「はい!瑞枝ちゃんが10歳の時に・・」「倒産した家は、この子が興しますから。大きな家に出る星です。苦難は全部・・周りの人が受けますよ」「私の生家も倒産しています」「2代に渡って居るんでしょう。この星は・・100年に一度出るか出ないか・・いや~1千年かも知れん・・。ローマ時代に出て居ます。1千年後の日本に・・ローマ・鎌倉・のように栄えます。その後、しばらくして衰退します。この星は仲間を集めて、頂点に立ちます。でも若くして死にますよ。身内の裏切り・・ですね」「そうなんですか・・」「何とかして、長生き出来る様にいたしましょう。お母さんから頼まれた事にしますよ。苦難に耐えて貰って下さい。いいですね。噂にも耐えられますかね。孤独にも耐えられますかね・・。公立高校に入るぐらいですから、勉強も出来るんでしょう・・何が得意ですか。勉強をさせて上げて下さい。今日聞いた話は、全部、残らず瑞枝さんに話すんですよ。また何かで知らせますから・・。この人の顔が見たいですよの~家に何時ごろ帰りますか?」と云う事でした。その夜・・9時の二ュ―スでは、今後の日本の経済展望とかが流れて居ました。世界第2位の、経済大国になるでしょうと・・。母はいつもの様に、針仕事をして居ました。夜なべはいつも炬燵に小さい裁縫台を付けて、着物の小さい部分を縫う事にして居ました。例えば、袖とかでしたかね。私は、炬燵で勉強です。「佳枝姉ちゃんは国立大学に入れるほど学力があったんよ。家庭の事情で諦めて貰った!だから、瑞枝ちゃんも・・」「で・でも~5年も6年も経ってるのに!時代が違うのに・・」私は学力以前の事で、悩んで居ました。学力があれば、周囲の反対は如何にでもなるんよ!あの頃の瑞枝に教えて上げたいです。そう云えば、このニュースを聞く前に・・先程の占い師さんの話を聞いた処でしたね。「今日ね、お姉ちゃんの縁談の事で占って貰ったんよ。縁談は、西の方から舞い込みます。安心して下さい・・。ついでに瑞枝ちゃんのも見て下さってね・・」と話し始めました。「そうそう夕方、家の前で人に会った!ロマンスグレーと云うのかな?白髪交じりで、背が高くて渋い感じ・・いきなり、何が得意ですかと聞かれて・・。まぁ~文系です」瑞枝はちょっと肩を上げて、恥ずかしそうに答えていました。成績は落ちて居たからです。「その占い師さんじゃろうか?」占い師さんが、わざわざここ迄くるかね?人相判定は合格したのかな?とも思いました。その後〇○○星の噂は、少しずつ広まったのでしょう。周囲の様子で、そんな気がしました。本人、家族の知らないままです・・。事を直接深く聞いた話ではありません。調べようがないからそのままです。私、16歳の高校2年生でしたかね。それからずっと忘れて居たんです。何かに挑戦しながら・・。倒産した家を興す事が出来る、何か出来る筈と思いながら、一生懸命に生きて居ました。母はその占いより、2年長く生きる事が出来ました。やはり私は、親の縁の薄い子でした。母が居ないから、父の仕事の手助けもしました。姉の事、今度は夫の事、息子の事に手を取られて、私の事は何も出来なかった!苦難ばっかりで、何も実る事は無かったです。でも、もう人生最終章になります。気になります。断片的に思い出しては・・何で?どうして?こうなるんじゃろう?何処で間違って居るんじゃろうか??苦難だけは、人一倍ありましたよ!(苦難は周りの人が受けて呉れます)の筈でしたが。守って貰ったのは、母だけでしたね。父の心配もありましたが、姉が入ると・・2倍になって、苦難が返って来ました。酷い運命でしたよ。長く生きる事が、目的なんでしょうか。私は、その使命を見つけなければなりません。占いは、生まれた時間とかも、大いに左右すると云いますから・・そこですかね?
操作されない私の人生は、何をして何を成し遂げたんでしょうね・・いまだに未練があります。
②
ローマ・鎌倉・・占い師さんはローマ・鎌倉と言っただけでした。なのにカエサル・源頼朝の名を挙げるのは如何なものでしょうか。飛躍し過ぎますか?
カエサルは・・本名:ガイウス・ユリウス・カエサル・・Caesar(前100~前44年)は英語読みでシーザー。後に皇帝を意味する言葉となります。紀元前1世紀のローマ共和政末期の軍人、政治家。平民派として登場し、元老院を抑えるために前60年にポンペイウス、クラッススとの第1回三頭政治を成立させた後、フランス周辺にあたる・ガリアに遠征(前58~前51年)で大勝利を収めた。独裁を恐れたローマの元老院はポンペイウスと結び、カエサルの排除を図ったのです。前49年、ルビコン川を渡ってローマに進軍、翌年ポンペイウス軍を破り、内戦に勝利・・独裁権を確立し、ローマ帝国の基礎を築きました。その途次にエジプトに渡り、プトレマイオス朝、エジプト最後の女王・クレオパトラ7世と結婚しています(4度目の結婚)その出会いのシーンは、映画クレオパトラで・・。クレオパトラは、カエサルと同盟を結ぶ事で(プトレマイオス朝の存続を賭けた壮大な政治的同盟)支配権を握る事になりました。また、カエサルは軍事・政治の才能だけでなく、優れた文筆家『ガリア戦記』ガリア戦争の記録を自ら書き残しています。古典ラテン語の模範とされる歴史的・文学的傑作とあります。また・・終身独裁官として居ます。暦の制定(ユリウス暦・グレゴリオ暦になる迄使われる)や元老院の改革を行って居ます。
カエサルとは、ユリウス・カエサルの個人名・家族名に由来し、実質的な皇帝として権力を確立した事から、後にローマ皇帝の称号となり、ドイツ語の「カイザー(Kaiser)ロシア語の「ツァーリ(Tsar)で皇帝を意味する言葉の語源となる。AIによる。
暗殺・・共和政維持の立場をとる、元老院勢力のブルートゥスらによって前44年3月15日、元老院議場で暗殺される(ポンペイウスの劇場という説も)55歳。「ブルータスお前もか!」信頼していた部下に命を取られる時に発した言葉。(シェクスピァのジュリアスシーザーの台本)
腹心の部下アントニウスは、カエサルの後継者に遺言されると確信を持って居ましたが、実は指名されたのは、養子のオクタウィアヌスでありました。元老院の支持がオクタウィアヌスであるのを見て、妥協し・・同じ部将のレピドウスを仲介にして、第二回三頭政治を成立させます。三人はカエサルの部下や系列です。元老院を抑えるための、有力者間の妥協でした。この三者で勢力圏を分割した際、アントニウスは東方属州を与えられたため、エジプトの支配権を得たのです。アントニウスはオクタウィアヌスの姉のオクタウィアと結婚し、両者は手を結ぶことになりました。
アントニウスは東方遠征を行ない、小アジアからシリアに転戦、さらにパルティアと戦います。苦戦が続くなか、プトレマイオス朝エジプトの支援を得ようとして、女王クレオパトラ(7世)を小アジアキリキアに呼び出し会見します。その会見で、クレオパトラの虜になったアントニウスはエジプトに向かい、そのままアレキサンドリアにとどまってしまう。クレオパトラとアントニウスの間に、男女の双子と次男・・3人の子をもうけて居ます。後に、オクタウィアヌスとの抗争に負けたアントニウスは自殺。クレオパトラも毒蛇を放って自殺。(熟睡している人のように、死ぬことが出来る事を発見していたという)
女の子・クレオパトラ8世もしくは、セレネ2世は・・離婚させられた元妻(オクタウィアヌスの姉)オクタウィアに育てられて、北アフリカのマウレタニア王ユバ2世と結婚して、その地の女王となりました。プトレマイオス朝の血筋は、エジプトの外で受け継がれていると云う事です。
男の子は、幼くして病死又は処刑か?不明です。
アントニウスとクレオパトラ二人の棺は、オクタウィアヌスの計らいにより、アレクサンドリアに埋葬された事になって居ますが、未だ見つかって居ません。
カエサルが後継者として指名したのは、姉の孫・養子オクタウィアヌス(後のアウグストス)です。オクタウィアヌスは初代皇帝となって、ローマ帝国を成立させました。
カエサルの娘・・ユリア・カエサリスは最初の妻コルネリアとの娘。政略結婚か?ポンペイウスの妻となりました。産褥から、カエサルより早くに亡くなりました。その頃からポンペイウスとの関係も悪化したようです。 よって、カエサルの血筋は絶えているのでしょう。
生前クレオパトラは、カエサルとの子カエサリオンを、神々にエジプトの王と認めて貰おうとして、テーベの近郊デンデラにハトホル神殿を建て、その壁面に自らとカエサリオンの姿をレリーフに描かせていました。今も残るデンデラの神殿には、息子をエジプトの王に、自らを国母になりたかった!・・儚く消えたクレオパトラの夢が描かれているそうです。母39歳没後、カエサリオンは、オクタウィアヌス軍に処刑されています。17歳であったという。
その頃、遥か遠く日本は・・弥生時代でありましょう。地中海を舞台にした(壮大なロマンを秘めたというのかなぁ?)権力を賭けた戦い・・青い海と空・・その風景の中の宮殿・・宮殿の中の権力抗争・・絶える事のない骨肉の争い。何もかも想像も付かないです・・。
③
鎌倉・・源頼朝は、生誕1147年5月9日~1199年2月9日(享年53歳)満51歳で死去しています。平安時代末期・貴族中心の政治から、武士が統治する「武家政権」へと歴史を転換させました。守護・地頭を置いて全国の治安と軍事を支配した、鎌倉幕府初代征夷大将軍です(鎌倉殿)。清和源氏の流れを汲む河内源氏出身の父・源義朝の三男として誕生。母は由良御前(熱田神宮の大宮司の娘)当時、熱田大宮司家は、男子は後に後白河院の北面武士となる者が多く、女子は後白河院母の待賢門院や姉の統子内親王(上西門院)に仕える女房がいたため、待賢門院や後白河院、上西門院に近い立場にあったと思われます。由良御前自身も上西門院の女房であった可能性が示唆されています。源頼朝は嫡子(正室、由良御前の長男・跡継ぎ)ですから、教育や官職も優遇されています。保元3年(1158年)統子内親王の立后にあたり、皇后に仕える。翌保元4年(1159年)2月統子内親王が女院号宣下されると、頼朝はその蔵人に任命されています。(12歳か?)同年3月1日・・母、由良御前は死亡・・。平治の乱の9ケ月前の事でありました。
此処でちょっと・・先の保元の乱(1156年)の概要は、後白河天皇と崇徳上皇との皇位継承に関して不満を持つ、藤原氏や源平の武士団が分裂して介入した戦い。対立関係は・・。
天皇側:後白河天皇、藤原忠通、平清盛、源義朝
上皇側:崇徳上皇、藤原頼長、源為義、平忠正 結果天皇側が勝利し、武士(平清盛・源義朝)の地位が向上します。これ以降、政治紛争は武力で解決される時代へ移行しました。3年後・・。
平治の乱・・(1159年)平安時代末期の平治元年12月9日、院近臣らの対立により発生した政変です(平清盛と源義朝の対立)平氏一門が中央政界に権勢をふるう結果となりました。
乱の経緯(1159年)源義朝が藤原信頼らと結び、平清盛の留守を狙って挙兵するも、帰京した清盛に敗北。
当時14歳の源頼朝は、父・源義朝と共に平清盛と戦うも敗北・・一族は壊滅する中、頼朝は捕えられて、伊豆国(現在の蛭ケ島)に流罪となりました。20年の流人生活を過ごす。
池禅尼(平忠盛の正室。後に崇徳天皇の皇子・重仁親王の乳母となる)平清盛の継母の助命嘆願が考慮され、死罪を免れて伊豆へ流罪・・。禅尼の、幼くして亡くなった息子に、頼朝がよく似ていた。また、美男子であった、とも聞いた事があります。
やはり・・強い運命の持ち主でありましょう。先に亡くなった母・由良御前のお守りかも知れません。また・・この世になすべき仕事がある!と云う事ですかね。
④
源頼朝・・鎌倉幕府を開き、朝廷中心の統治から武士が主役となる「武家政権」を確立しました。平家を倒す軍事力だけでなく、守護・地頭の設置により、全国的な統治機構の構築や御家人との信頼関係(本領安堵など)を築く政治的手腕が、ずば抜けて居たとあります。
「守護」警察・軍事の組織です。
「地頭」税の徴収・土地管理を行う。幕府の権力は全国に及びました。
「御家人」との信頼関係(組織づくりの天才)
「御恩と奉公」本領安堵(もともとの領地を認める。敵から没収した土地を分け与える)など武士の利害に寄り添った政策で、強力な主従関係(御恩と奉公)を築きました。
「冷静な戦略と判断力」伊豆に流された後は、チャンスを逃さず挙兵、政治的儀式を重要視し、鎌倉を政治的中心地として整備するなど、冷静に戦略を練る能力に長けていたとあります。後に・・北条氏・足利氏・江戸幕府へと受け継がれ「武士の世」の土台となりました。
「征夷大将軍」に就任(1192年)後白河法皇死去後、正式に征夷大将軍となり、名実ともに武家政権のリーダーとなりました。
北条政子・1157年~1225年7月11日・・(享年69歳)満68歳で死去。体調悪化か。
父・北条時政は、伊豆の国に流罪となった頼朝の監視役でした。父の留守中に駆け落ちして、周囲の反対を押し切って、結婚して居ます。
頼朝の死後「尼将軍」として政治に関与し、幕府の安定を図りました。強さと優しさを併せ持つ政子・強い意志とリーダーシップは鎌倉幕府の政治を支える重要な役目でした。
弟・2代執権・義時との強い信頼関係を築き、一族の安定に貢献しました。3代執権・泰時らを中心とした合議制へと引き継がれていきました。名将泰時は御成敗式目制定・・武家による初の体系的な基本法典(全51条)「道理(公平な裁判基準)」に基づいて解決することを目的とする。室町時代まで実用的な法律として機能しています。
政子は朝廷との良好な関係を構築し、武家政治の実権を握りました。
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夫・子供達を次々に失う悲運・・。
〇 源頼家・・頼朝・政子の嫡男として誕生。1182年9月11日~1204年7月18日死去。(享年23歳)満21歳。頼朝は政子の懐妊に際し、鶴岡八幡宮の参道(若宮大路)を整備し安産祈願したと云う。源平の争乱の真っただ中に生まれ、父・頼朝にとっては待望の男子誕生でした。頼朝は比企尼の娘を乳母にし、比企一族に頼家の教育を任せたのです。私見ですが・・頼朝はこの頃から、北条氏の勢力を抑える試みをしていると思います。1199年正月13日、頼朝が亡くなる。朝廷に遺領継承が認められ、左近衛中将、そして鎌倉幕府2代将軍へ。さらに翌年には従三位左衛門督になりました。1199年4月、「13人の合議制」と呼ばれる体制が成立しました。思い通りにいかない2代目の不満。頼家はこの13人の合議制に反発するようになり、比企一族らの近侍を重用しました。
〇 源実朝・・嫡出の次男として誕生。1192年9月17日~1219年2月13日・鶴岡八幡宮、大銀杏の陰に隠れていた甥の公暁に、「親の仇はかく討つぞ」と叫んで襲撃され、その場で首を打ち落とされたのです。若くして悲劇的な最期になりました。三代将軍実朝は、将軍にして天性の歌人。百人一首にも採られています。実朝の歌集は「金槐和歌集」です。公暁の背後には黒幕が居る?説も流布しています。公暁は叔父実朝を、父の仇と信じて暗殺し、後に討たれました。源家将軍が3代で途絶え、鎌倉幕府の主導権が北条氏へ完全に移る転換点となりました。
〇 長女・大姫・・大姫というのは長女を意味する通称であり、本名は一幡とする説もありますが不明。
6歳の時に、頼朝と対立した木曽義仲との和睦のため、義仲の嫡男・義高と婚約するが、義仲敗北に伴い、義高が処刑されたことに衝撃を受け心を病む。後の縁談も拒み通し・・後鳥羽天皇への入内の話も持ち上がりましたが、実現する事無く20歳で早世・・。
〇 次女・三幡は字で、通称は乙姫。頼朝は長女・大姫を後鳥羽天皇にと、入内工作を進めていましたが・・大姫が死去すると、次なる候補に三幡を擬するようになりました。「尊卑分脈」によると・・三幡は鎌倉にいたまま女御の宣旨を与えられ、正式の入内を待つばかりとなる。頼朝は三幡を伴って上洛し、朝廷の政治についての意見を具申する予定でありました。それを待たずに頼朝死去・・。その後も三幡の入内工作は続けられましたが・・同年春、高熱を出し病となる。(後鳥羽天皇は、18歳で天皇を退き上皇に)後鳥羽上皇は院宣を出して、京より名医を鎌倉に派遣し、治療にあたらせたほどでした。頼朝の死去から、わずか5ケ月半後のことでした。三幡享年14歳・・。
いつの世にもあるように・頼朝もご多分に洩れず・天皇の外祖父になりたかった!ですね。天皇を補佐する、強大な権力を持ちたかった。三幡の入内も決まって居ましたのに、頼朝死去・・落馬の後の脳卒中か?いえいえ私見ですが・・軽い脳卒中を起こして落馬・・その後、2度目3度目の脳卒中が原因ではないでしょうか?他には酷い歯槽膿漏があったとか。これは直接の死因ではないですね。
三幡は毒殺されたのか・・という噂もあるようです。朝廷内の権力抗争による跡目争いがありました。三幡の入内が整えば、都合が悪い立場の人が居る訳ですね。頼朝が生きて居て、三幡が正式に入内して居たなら、朝廷と幕府の融和もあったかも知れない。そうなれば、後鳥羽上皇の生涯も違って居たでしょう。
承久の乱・・1221年に貴族政権を率いる後鳥羽上皇が鎌倉幕府・執権北条義時に対して起こした、対立抗争。義時追討の院宣を発布し挙兵しましたが、幕府軍に敗北し・・上皇は隠岐の島に配流されました。以後・・鎌倉幕府は、朝廷の権力を制限し、京都に朝廷を監視する六波羅探題を置き、皇位継承にも影響力を持つようになりました。
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〇 北条義時 鎌倉幕府2代執権。姉の政子との強い信頼関係に基づき、鎌倉幕府の基礎を築き、源氏将軍が断絶した後は、幕府の実質的な指導者となりました。誕生1163年~1224年6月13日死去、62歳。承久の乱の3年後の事です。
・鎌倉幕府の実権を掌握:父・時政を追放し、幕府の支配者となる。・「承久の乱」の鎮圧:朝廷の力を削いで幕府の優位を不動のものに。・執権政治の確率:侍所と政所の長官を兼任し、後の北条氏による世襲体制の基盤を作る。・「13人の合議制」への参加。
義時の最期・・吾妻鏡(鎌倉幕府が編纂した歴史書)によると、暑気あたり(夏バテ)と脚気(ビタミン不足。重度になると、末梢神経障害や心不全の症状が出るようです)で長らくの体調不良により、死に至ったと記されています。
・・明月記(藤原定家・18歳から74歳迄の日記)義時は妻(伊賀の方)が飲ませた薬で殺された。(毒殺)息子政村を執権に付かせようと画策したが失敗して流罪に(伊賀の変)
・・保暦間記(南北朝時代に書かれた)義時は近習に殺害された。
「トリカブトを使った隔物灸」とは、灸をする部位の上にニンニク、ショウガ、塩などを置き、その上にモグサを載せることで、温熱効果によって介在物の薬効成分を身体に浸透させる方法。脚気の灸療法では、特に附子による湧泉穴(足の裏)への灸に効果があるとされていた。附子というのは猛毒のトリカブトの事で、弱毒化して漢方の生薬として使われる事も多い。
「本草綱目」16世紀末の中国の薬学書によると、附子には大毒があるが、その効能として、体温上昇や関節痛の除去があり、暑気あたりや下痢などにも効くとあります。
〇 北条時政 初代執権。政子、義時、他の父です。誕生1138年~1215年2月6日78歳で死去。伊豆国の豪族で、源頼朝の監視役でしたが・・頼朝と政子が結婚した事で舅となり、平氏討伐や鎌倉幕府設立に尽力しました。頼朝死後は、有力御家人を次々と粛清して、北条氏の専制体制を確立しました。初代執権として政所別当に就任して、幕府の実権を握りました。
政争(ライバルの粛清)・梶原景時の乱(1200年)・比企能員の乱(1203年)畠山重忠の乱(1205年)有力なライバルを倒し、幕府内部の敵を排しました。共に戦って平氏を倒し、鎌倉幕府創設に尽力した仲間でありました。なのに政争になるんですね。頼朝死去は1199年2月ですから・・1年後に梶原景時の乱です。
最期は牧氏事件で失脚して伊豆へ隠居、10年後に死去しています。死因は病死・腫れ物(皮膚の炎症や膿瘍など)牧氏事件とは(1205年)・・時政と後妻の牧の方が、3代将軍・源実朝を廃して平賀朝雅を擁立しようとしたクーデター未遂事件で、政子、義時姉弟によって計画は阻止され、時政は失脚・追放されました。平賀朝雅とは・・鎌倉幕府の御家人、源氏門葉として源頼朝に重用された平賀義信の四男。母は頼朝の乳母比企尼の三女。妻は北条時政と牧の方の娘。
それから約14年後になりますか・・(1219年2月13日)成長した曾孫公暁(頼家の子)に孫(実朝)が襲撃されたのです。「親の仇はかく討つぞ!」と叫んで暗殺されました。後に公暁も討たれます。源家将軍は3代で途絶える事になりました。公暁の背後には黒幕が居る説もあります。けしかけられたのでしょう?親の仇と、そそのかされたのでしょう?その黒幕も・・また、身内なんでしょうか?
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なんだか怖くなりました。権力を得るには、戦わなくてはならない。権力を得たとしても、またすぐにその仲間と戦うのですから。骨肉の戦いは続きます。終わりが無い程続きます。人を殺すのも、平気なんでしょう。その世界では、仲間の為にそうしなければならないのでしょうか。嫌です、出来ませんと言えないのでしょうか。子や孫が殺されるなんて・・私は御免被ります。そんな世界、まっぴらごめん!ご遠慮申し上げます。〇〇〇星の運命として、仲間を集めて頂点に立てるとしても、私、性質が向きませんから、御免被ります。母上様・・お母さんが指し示して下さった、この人生が良かったです。御礼を申し上げます。私の使命は、長く生きる事。悲しみの果てにあるという、一筋の光・・穏やかな香りの中・・。この世にもう一つあるという世界・宇宙・を、皆様にお知らせする事ですか。
15年位前の事です・・施設の屋上ガーデンで、ハーブと花を植えるボランティアをした事があります。その時の人の行為は、未だに訳の分からない事でした。長くなりますから、要点だけお話します。
その施設でボランティアを始めて、かれこれ1年になろうとして居る頃です。週1回か2回・・時間が出来た時に2時間程度、屋上の花の世話をして帰りました。とにかく忙しく、さっさと花の世話をして帰りました。隣の花壇(入り口)を担当する、Sボランティアさんとは、会った時軽く挨拶をする位でした。病室に、一輪挿しの花を活けるボランティアグループさんもありました。(最初に施設の担当者からの紹介は無し。花もハーブも自分持ちです)そんなある日の事・・屋上ガーデンに入った時、Sさんの姿を遠くに見ましたが、すぐに帰られたようです。私の担当する花壇は奥にあります。あれ!あれあれ!いつもSさん担当の花壇にある、子豚のマスコットが私の担当する花壇の端に来て居るんです。どうして?と思いながら、いつもの処に返しました。それからいつもの様に、花に水を上げて、古い花柄を取って帰ります。帰ろうとした、その時です。マスコットが来ていた、その下にダンゴ虫がうじゃうじゃ!もう少しで広がる処でした。ダンゴ虫をスコップで救って、ビニール袋に入れて持ち帰りました。次にSさんに会った時、怒って差し上げたんです。「患者さんが教えて下さったよ!マスコットを置いてね。あなた、ダンゴ虫をこの花壇に入れたでしょ!プンプン!」罰にとは言わないけれど「向こうの花壇の後ろの草を抜いたらいいのに、私はこっちの草を抜いて居るんです。ほらね・・。花の鉢など置いて楽しめますよ」でも・・いつまで経っても、草は抜かれる様子はありません。私、今頃気が付きましたよ。マスコットは、Sさん本人が置いたんです。Sさんグループの挑発だったんですね。引っ掛けです。そのダンゴ虫を救って、隣の花壇に入れたなら・・現場を押さえられて、私はSさんの手下にされる処でした。その後、水を撒くだけのボランティアさんYさんが現れて・・。植えたばかりの、パンジーの花を切る。根切り虫に噛まれたように見せかけて。虫は全部の茎を切らないから分かります。(Yさんは元、中学校の先生だそうです。学級運営の指導方法の一つなんでしょうか?でもちょっと私は、嫌!子供達可哀そう)ホームセンター迄買いに行って、パンジーを何度も植えました。次は除草剤を撒くんです。除草剤の効果が無くなる迄・・春迄は鉢植えのパンジーを置きました。次に夜盗虫が入りだしました。1年に240匹位(1回30~40匹を12月まで)240×5年間=1200匹。私、よく捕りました!Yさんも夜盗虫をよく育てました!意味が分からないですね。もしも花の種・苗を育てて下さる人でしたら・・どんなにか、状況が違って居たでしょう。やはり、手下にしたかった。負けたくないグループの人でしょうか。夜盗虫を入れて来たビニール袋迄、土に入れて居た事が1回ありました。大きなグループだから、これ見よがしに行動をするんですね。私はYさんのお嫁さんも、家も知って居るけれど・・お姑さんの行動を言いませんでした。年末には、毎年白いティッシュペーパーが撒いてありました。何かの暗号でしょうか?説明も一言も無く、詫びの言葉の一言も無く・・。夜盗虫など証拠が無いから、詫びなどは言わない!その風習良くないと思います。それに暗号で使われたくないんです・・責任は実行した人になります。ですから私は暗号グループとは、遠ざかります。施設に訴えても、警察に訴えても・・止めては貰えなかった!長い物には巻かれよ!と云う事なんでしょうか。それとも、もしかして、もう一つ訳があるとしたら・・それは〇○○星の仕事ですよ。貴女のもっと大きな力で止めて下さい・・。と云う事でしょうかね。でもね、私・・魔法の呪文を教えて貰って居ないんです。
お伝えしたいのは此処からです。60代中頃でしたか・・。60坪程度の畑にハーブを植えてグッツを作り、ボランティア活動をしていました。それに、施設の屋上ガーデンの作業です。体力ありましたね・・日焼けもしていました。そして、夜盗虫の捕獲ですから、大変でしたね。
「何故に辞めなかった?ボランティアだから、いつ辞めてもいいのに!私だったら、すぐに止めているよ・・」親切心で、お友達もそう言ってくれました。
でもね・・花達が頑張るんです。夜盗虫が残って居た花壇、秋に枯れたパンジーの花・・。早春に、鬼の面のディスプレイを外した頃の事です。花壇の奥、ヤブランに隠れるように・・小さな小さなパンジーの苗を見ました。可愛い!すごく可愛い!1㎝にも満たないんですよ。すでにパンジーの姿です。ありがとうと、何度も言いました。そして、見て見て下さい、此処で生まれたパンジーの苗ですよ・・!叫びたいと思いました。誰かに伝えたいと思いました。キョロキョロしましたが、誰も居ません・・一人ニッコリして居ました。
他にも・桜草(プリムラ・マラコイデス・西洋桜草)も花が終わって、涼しい日陰に置いて置くだけでした。土の表面が乾いて居たら、水遣りしました。患者さんに教えて貰いました。
・サフィニア・オフホワイトに、薄く緑がかった色合いです。高級感ありました。夏が終わり、トレーを重ねる為に、土を捨てました。その土の中に、秋には沢山の芽が出て居るんです。とても嬉しかったです。そのままにして・・大きくなった順に、鉢に植えました。・ポーチュラカは、茎を折って土に差すだけです・・次の日には、花を咲かせて居ますよ。このように、花達の頑張りを見ることが出来ました。夜盗虫を入れる人が居るけれど・・花が無いから!と、困る事は無かったんです。私は、この夜盗虫事件で一つ学習しました。花達は、こぼれ種から花を咲かせて、色合いのアレンジ迄して居るんです。ちょっと手助けしていますが、なるべく自然にをモットーにしています。花達の魔法と云うのでしょうか・・。
自然界にも魔法がありますね・・。その日はお昼過ぎに、屋上ガーデンで水撒きをして居ました。いつもの様に花柄を取って肥料をあげて、最後に水撒きをして帰ります。患者さんや家族さんの人影はなくて、穏やかな昼下がりでしたね・・。水撒きホースを長く伸ばして、屋上の植栽にも水を上げました。担当の花壇には、ハーブとハーブの間に、パンジーを植えて居ます。ミントやタイム、マジョラム、ラベンダーだけでは、彩が欲しいでしょう。
ボロローン~・・オルゴール??なんだか、メロディーを聞いたような気がしました。ボロローン~・、
ワォ!凄い!えっ!花壇の奥の植栽に、沢山のCDが掛かって居るんです!虹・・小さな虹なんです。CDかと思う程に、小さくてキラキラ光って居ました。虹のシャワーを上げました。ハーブに・・パンジーに・・植栽にも私の手にも・・ありがとうございます。ありがとうございます。振り返ると・・昼下がりの西の空、穏やかな太陽がありました。花達、蝶々、小鳥達・・そよ風、雲、空、お日様・・響き合う世界?響き合う宇宙?・・ただ中に居ました。抱かれて居ました。見守られて居ました・・。大自然に抱かれて居る事に気が付きました。お陰様です、ありがとうございます。ありがとうございます。
⑧
そお云えば・・私、52歳の時、首になりました。単純に計算して、カエサルは55歳の時に暗殺されました。頼朝は(享年53歳)満51歳の時、脳溢血でしたかね・・。私?えぇ・・勤めていた会社を首になりました。理由は分かりません。営業成績は毎月上位でした。可愛らしくないから・・らしいです。私の成績がいつの間にか、如何いう訳か?上司の成績になって居ました。それを言うから・・現場事務所で退職願を書かされる羽目になりました。はい!プイ!と辞めました。その部長の目論見は「頭を下げて働かせて下さい。と言うであろう。家のローンを抱えているからのー。泣き顔が見れるかの・・」悪口を囁いた事でしょう。そのまた1年前には、私のお客様が事件に巻き込まれて、成約ならず。別の上司の面目を保つ為?でしたか・・。と云う事もありました。面目とは何なんでしょうね。(世間に対する体面、立場)本当の面目を考えて見て下さい。仕事は誤魔化しではありません。どんなにか機転を利かせて居るか!です。営業は渦巻を興すんです。朝からサボっていて(よく見かけます)仕事をしたような、芝居をして居るんでは、その人の営業成績は上がりません。いつか弱体は現れます。世の中には、訳の分からない事をする人が沢山居るんですんね。
当時我が家は、私の収入を当てにして、家のローンを組んで居ました。新築5年目でしたね。しかも2軒です。父が元の家に、一人住むと言い張りますから。売らないで、その家のローンを組みました。(抵当にして)そして我が家の新築のローンです。「父さんと姉さんとで、家賃を入れて貰えるんですか?」返事はいいけど・・そのままでした。可愛らしくないから!家賃と云うのが気に入らないらしいです。なんとかかんとか言いながら・・父はそのまま住みました。元気で住みましたから、お慰みです。娘の学費・・最後の学費を払った後でしたね。夫が会社を早期退職をして、コンサルタントの資格を取り、自営すると言い出しました。その後でしたかね。自営業は主人には向きませんでした。真面目だけでは、優しい人だけでも向きません。1年位コンサルタントの自営業をして居ましたが・・資格を持って会社に勤めて呉れました。その間2回くらい、カードで借りて家のローンを払いましたか。厚生年金の支払いも遅れがちでした。ヒューヒューと唸って揺れる、危ない吊り橋を渡っている!我が家の家計でしたね。私も、不動産の仕事は向きませんでした。洋裁店のパートの仕事をして、やり繰りして過ごしました。どんな風にやり繰りしたのか、思い出せません・・無我夢中と云う事です。その内に年金が入るようになり、なんとか救われました。ふぅ~・深呼吸です・・。
首になった会社のあの部署・・関わった人達は、皆~定年退職されたでしょう。また新しい社員さんの仕事場になって居るんでしょう。可愛らしくない!と言われても・・人の言いなりになってはいけません。それこそ、人生に汚点が付きます。世間の良い悪いを見極めて下さい。
⑨
姉・佳枝は・・断捨離をしているそうです。立派な和風様式の家に建て替えて、30年になるのかな・・。我が娘に、買わないかと言って来ました。娘は東京に住んでいるし、言いません。帰りませんか!と云う風に取るかも知れない。物事は考えて言う事にして居ますよ。それだけで終わりました・・。主な用件は、秋に義兄の17回忌の法事をしますから、お参りくださいと言う事でした。もう17回忌なんですか・・。月日の経つのは早いものです。
それにしても・・家を建て替えて、家族で何年住んだ事になりますか?・・3年位ですかね。お金が有るのも考え物ですね。堅物の義兄に女の人が出来て、10年位・・隣町に住んで居たと言います。姉も子供達も、それぞれマンションを買って、市内に住んでいます。今は人生の店仕舞い、断捨離をして居ると云う事です。家も売って、会社の株も売ってしまいたい。そして母の元に行くのだと言いました。姉も苦労をしたんです。私のお金の苦労とは違う苦労をしたんですね。
(お姉さん・・その最初の家を買う時、頭金を作る為に、お父さん名義の家を私達が買いましたよ。建てて5年でその当時、不動産は倍の値段になって居たそうですね。父が交渉をしましたが・・不動産屋の査定額通りで買いました。値引きも無く、不動産屋に払う礼金さえも引いて呉れる事も無く・・。しかも差額の、半分・・父の取り分も貰って居ないようです。身内だから誤魔化すんですね。父は二人の娘に家を持たせる事が出来たと、名義を主人にして呉れました(銀行が指導)そして食費と言う形で、援助して貰いました。私達が転勤する迄、8年間一緒に住みました。その後ずっと88歳迄(圧迫骨折で入院する迄)父は一人でこの家に住みました。この家に、中立に住む事で、姉と私・・二人の娘の幸せを願って居たのでしょう)
(でもね・・お父さんは偉いですよ。晩年、圧迫骨折で入院の後・・我が家に住む事になった父を、姉さんが間に入って機嫌を取るから、父は騙された振りをして・・姉さんの管轄になりました。96歳で没。「佳枝姉さんは、途中で投げ出す人だからね。もう迎えには行かないよ。送って来て貰いんさい。私達は思い通りになる、手下だと思って居るから。昔から、何回もそうなんじゃから!此処に居たら、入院代とか葬式代を貯金出来ますよ」「瑞枝ちゃんは、もおええ・・ありがとう!皆によろしゅう言うてくれえの~」我が家を出る時、父が言った言葉です。親は、何もかも見据えて居るんです。仏様になるんですから・・。まだら呆けになりながら・・物欲、金欲の娘を、気付かせたかったのだと思います。その後、貰って居ないお金が有るからと、交渉したのかどうか?姉として妹には、頭は下げたくないし・・。施設に入れて貰えました。でも・・見舞いに行く事はあまりなかったようです)
⑩
(お母さんも偉い人でした・・。享年49歳・満48歳でした。くも膜下出血で倒れ、入院した病室で言うんです。「佳枝姉ちゃんには、色無地の着物を上げてね・・。浅葱色で地模様のある着物よ」「知って居るよ。この間・・半年くらい前か、縫って居たよね。何処も治す事も無く、すいすいと上手く縫えたんよ。見て見て!と言ったよ。まだ着ていないでしょう・・」「ウフフ・・不思議に上手く縫えたんよ。この年になる迄、完璧に縫えたと云う事は無かったけれど・・。瑞枝ちゃんには小さな花柄の小紋の着物を上げるからね・・」「ウゥ~ん?あったかいね~知らないよ」「あるんよ・・ウフフ」その後2度目、3度目のくも膜下出血で倒れて・・母は帰らぬ人になりました。
母が亡くなって、1回忌は、新築の家で執り行いました。郊外の不便な団地に、二家族が力を合わせて家を建てる事が出来ました。「瑞枝ちゃんがお嫁に行く時・・お父さんは如何されるんですか?と、言われるよ」姉夫婦が提案して呉れました。私達は殊の外、家に執着があります。田舎の家を借金の形に差し出して居るからです。と云う訳で・・父と私と姉家族と貯金を全部出して頭金を作り、新築の家に一緒に住む事になりました。長くなりますから・・以後、要点だけを書きますね。
でも・・仲良く、楽しく、住めたのは2日間だけでしょうか・・。姉・佳枝の出産がありました。産後のお手伝いは、普通は2週間位を想定して居ました。母が居ないから、私の役目だと覚悟はして居ました。でも・・2ケ月位和裁学校を休むと、お友達が心配して電話をして来ますよね。「友達に電話をさせて迄、学校に行きたそうな格好をする!ガミガミガミガミ・・」別の日に義兄は「我が家の経済状態では、学校を辞めて働くべきである・・」「折角会社を辞めて、手に職を付ける事を志したのに!」姉夫婦の都合で、志を辞める訳には行きません。姉は何かに付けて自分の時と比較しては、じくじく言うんですよね。そんな日も・・母の形見の着物を羽織っては、慰みにして居ました。母に抱かれて居るように、穏やかな気持ちになりました。人様の着物の仕立物をしながら・・家のお手伝いをしながら・・二人の姪の子守をしながら・・姉家族の着物を縫い、洋服を縫い、編み物をして居ました。機械編みの姪の毛糸のワンピースは、編み込み模様が可愛くて、気に入って呉れました。そんなある日の事・・「あの着物、貰ったけぇー!」佳枝は、部屋の引き戸を顔分だけ開けて言うんです。「えぇっ!どうして!お母さんの遺言よ!返してよ・・」急いで着物ダンスを確かめましたが・・あの着物は消えて居ました。代わりに、派手になった、姉の羽織が入って居ました。こんな羽織いらない!どうしてそんな事が出来るん?遺言の着物・形見の着物を抜き取るなんて!父に言っても、義兄に言っても、抗議は聞き入れて貰えませんでした。(早くお嫁に行かせるための策略かも知れません)
泣きましたよ・・姉夫婦と住んだ為に、何もかも無くなりました。(と思いました)OL時代にコツコツ貯めた貯金は、家の為に全部差し出しました。嫁に出ようにも、いい人も居ませんでした。それからは姉夫婦とは心の距離を置いて、事なく住むようにしました。「悲しい事があったら、お母さんの墓にお参りして見んさい。心配して居て下さるから・・」以前、母の友人から聞いて居た事を思い出しました。和裁学校を午後から休む事にしょう、荷物は少なめにして家を出ました。夕飯に間に合うように帰れば、姉は気付きません。田舎のバス停を降りて、墓迄の小道を、年頃の娘が泣きながら歩いて居ました。村の入り口に来た時の事・・高い木の枝から、ボロロん~とメロディーと共に・・2頭のモンシロチョウが舞い降りて来て、羽でおいでおいでをして居るんです。・・2頭のモンシロチョウは、上になり、下になり、私の目の少し上を、必死に、おいでおいでをして居るんです。年頃のいい娘なのに・・「お母ちゃ~ん」涙が溢れて止まりませんでした。入り口の高い木から、1㎞あると思います。山道に入る処で、夕焼けの空に、吸い込まれるように消えて行きました。お日様は西に傾き黄昏時です、頭を垂れた稲穂も黄金色に輝いている風景の中に・・私はただ佇んで居ました。
2~3日後の事です。いつもの様に部屋で裁縫をして居ました。何枚も縫えば、上手くなれると思いながら縫って居たものです。と・・ふと気が付きました。母の形見がもう一つあるのでした。あった!あった!ありましたよ。母の手に似た・・指輪など絶対に似合わない、働き者の手がありました。この手で縫えばいいんです。な~んだ見やすい事でした。ありがたいことでした。フフフ・・。
その後、お見合いをして、トントン拍子に話が進みました。嫁入り支度は、不思議な事に一通りの支度が揃いました。嫁入りダンス一式、電化製品一式揃いました。着物は、母が前から揃えて居ました。そして教材に私が縫った着物で、箪笥はいっぱいになりました。洋服は、OL時代に自分で縫ったもので充分でした。新婚旅行のスーツを1着新調しました。お金無いのに・・みんなみんなありがたい事でした。姉・佳枝の口癖は・・「内のよりええ!瑞枝ちゃんばっかり、ええねぇ・・」これでは一緒に買い物も頼めませんでした。少し病的でした。若かった私は、母の立場になって、姉を慰める事は出来ませんでした。
それから・・30年位過ぎた頃の事です。瑞枝・52~3歳頃です。あの会社を首になった後です。失業保険を貰って、体もちょっとゆっくりして居ました。姉・佳枝とは、家が離れて居る関係で、ご無沙汰ばかりでした。姉はいつ頃からか?人様に古着を譲るのを趣味として居るようでした。私にも、姉の古着(新品同様)を送って来るんです。少し大きいし、デザインも好きくないんです。それで、とうとう言ってしまいました。「お姉さん・・同じ古着でも、お母さんのあの着物を返してからにして下さい!!」「瑞枝ちゃんはしつこいね!」怒って送って来ました。ごめんねの一言もありませんでした。ごめんねを言って貰えたらそれで良かったのに・・姉の立場では、言えないのでしょうか。
それから・・洋服に仕立てる事にしました。柄が小さな花の小紋で、可愛いから・・洋服にも向いて居ました。丁寧に縫いました。怨念の着物ですからね。ベストとタイトスカートとゆったりとした上着が出来ました!漸く本当の持ち主の物になりました。でもね・・ウオークインクローゼットに掛けていたんです。そろそろ秋・・デパートに着て行こうかなと思いました。まっ!何と!ど・どうしょう・・カーテンから漏れる北の窓の採光・・袖山に一筋の棒です。日焼けして居るんです。あれ~。
(お母さんも偉い人でした)・・仏様になる人ですから、その後の事も見えて居たんですね。その着物は、染め替えでしたよ。価値としては半減でしょうか。(物欲の)姉には・・抜き取るほど、価値ある着物ではない。幸せは物・金ではないんよ。本当の幸せ、見つけるんよ!(行為にこだわる)私には・・泣くほどの事ではないんよ。と言って下さって居るんでしょう。やっぱり・・お母さん・母上様は、今も尚、私達を育てて居て下さいます。ありがたい事です。
⑪
〇○○星と云うのに・・小さな家のごたごたした事に構って居て、いいんでしょうか?人生最終章になり、時間がありません!この世に生まれ落ちた、私の使命は何なんでしょう。大きな事が出来る筈なんです。世紀末に現れて、新しい世の中を創ると言う運命の星なんですよね。でも、妄想なんですかね。ローマ・鎌倉と聞いただけですから。カエサル・頼朝・星回りが近いらしいから、勝手にこじつけただけなんです。でも、もしも役目が少しあるとしたら・・悲しみのその先に見た風景を、響き合う宇宙を、皆様にお知らせする事ですか。自然に・・不思議に・・争い事から、離れたくなりますよ。
私・時々思うんです・・。スタジアムに行って、サッカー・野球・他の観戦をして居ると・・。ふと、ローマのコロッセウム(西暦80年頃完成した巨大な楕円形闘技場)に居るような気持ちになるんです。
美術館やデパート、ホテル、病院、に入ると・・玄関は自動扉で迎えられて・・目に入るのは、大理石の円柱の大きな柱・大理石の床・高い天井・絵画やレリーフのある壁・エスカレーター・エレベーター・・古代の王様・女王様も・貴族の方々・人々も驚く事でしょう・・。(私達よりいい!立派ですね。凄いです)
お城・庭園・・入場料を払うと・・誰でも、お殿様・奥方様の気持ちになれますね。そして殿様・奥方様・家来達が見た、同じ風景を見る事が出来ます。しかも手入れも良くされて、綺麗です。ご婦人の洋服はと言うと・・普段着でも、襟とか袖口に小さなフリルを付けた、白いブラウス等、可愛いです。素材の生地も素敵ですね。昔の人々が見たのなら・・羨ましいかも知れません。
もう既に、地上は楽園になって居る様な気がしています。私達は、気付かないだけでしょう。空と風と太陽と小鳥達と花達・・一体となって響き合う・・宇宙を確かめて見て下さい。
終わり
妄想と云う事になるんでしょうか・・。でも、少しでもその魔力があるというのなら・・言って見ようと思うんです。(建物など)器は整いました。誰でも皆入れるんです。これから少しずつ皆、良くなりますよ。黄昏の中のあの光景を見たのなら・・争って迄、物・金・権力・欲しいとは思わなくなるんです。これからは、やっぱり・・人を育てる事・・人を思う事とか・・。新しい世の中になるんですね。




