第9話 初めてのスクワット(大臀筋への愛を込めて)
朝日が昇りきった公爵邸の裏庭。
そこで行われている光景は、側から見れば奇妙であり、当人たちにとっては命がけの儀式でした。
「ぐ、ぅぅ……! 重い……足が、鉛のようだ……!」
ジークフリート公爵は、肩幅に足を開き、空気椅子のような体勢でプルプルと震えていました。
彼が身につけているのは、総重量50キロはある『重圧のフルプレートメイル』。
呪いの重力が彼を地面へと引きずり込もうとします。
これまで、彼は自力で立ち上がることすら稀でした。
移動は車椅子か、魔法による補助。
自分の足で大地を踏みしめ、重力に逆らうという行為は、彼にとって十年ぶりの「挑戦」なのです。
「膝が内側に入っていますよ、ジーク様! つま先と膝の向きを揃えて!」
横から飛んでくるルシナの指導は容赦ありません。
「呼吸を止めないで! 下ろす時に吸って、上げる時に吐く! 重力に負けないでください、重力は友達です!」
「と、友達……!? この、私を押し潰そうとする力がか……!?」
「はい! 負荷がいなければ、筋肉は成長しませんから!」
ルシナの理屈は全く理解できませんでしたが、彼女の声には不思議な強制力がありました。
ジークフリートは歯を食いしばります。
太ももが悲鳴を上げている。
腰が砕けそうだ。
もう無理だ。
膝をついて楽になりたい。
その時、ルシナが彼の正面に回り込み、その顔を覗き込みました。
「見ていますよ」
彼女の紫色の瞳が、ジークフリートを射抜きます。
「貴方の筋肉は、まだ死んでいません。ほら、震えているのは『生きたい』と叫んでいる証拠です。立ち上がってください。貴方なら、できます」
その瞳に宿る、揺るぎない確信。
彼女は信じているのだ。
この無様な私が、自力で立てると。
(……ああ、そうか。私は今まで、呪いのせいにして諦めていただけなのかもしれない)
ジークフリートの奥底で、何かが燃え上がりました。
彼は咆哮しました。
「おおおおおおおおおおおおっ!!」
全身の血管が浮き上がり、眠っていた筋肉繊維が強引に叩き起こされます。
カシャン……!
鎧の関節が鳴り、沈み込んでいた体が、ゆっくりと、しかし確実に上昇を始めました。
1センチ。5センチ。10センチ。
重力という神の鎖を、人間の意志(と若干の火事場の馬鹿力)が断ち切っていく。
そして――。
ガシャンッ!!
ジークフリートは、完全に膝を伸ばしきり、直立しました。
誰の助けも借りず、自分の足だけで、この大地に立ったのです。
「はぁ……はぁ……、た、立ったぞ……! ルシナ、私は、立ったぞ……!」
涙が溢れました。
感動で視界が滲みます。
彼は震える声で、目の前の少女に感謝を伝えようと顔を上げました。
「君のおかげだ……君が私を見ていてくれ――」
しかし。
ルシナは、彼の顔を見ていませんでした。
彼女の視線は、彼の腰のあたり――正確には、鎧越しに盛り上がったお尻と太ももに釘付けになっていたのです。
「……美しい」
ルシナは恍惚とした表情で呟きました。
「なんて綺麗なフォーム……。おしりの収縮が、裏ももと完璧に連動しています……! 生まれたての小鹿のような震えも、限界まで追い込まれた筋肉の痙攣として芸術的ですわ……!」
彼女の目には、公爵の涙など映っていません。
そこにあるのは、解剖学的な称賛のみ。
ですが、感動で脳内麻薬が出ているジークフリートには、その言葉はこう変換されました。
(美しい……? こ、この汗まみれの私を、美しいと言ってくれたのか……?)
彼の心臓が、スクワットとは別の理由で高鳴りました。
彼女は私の肉体を、魂の在り方を、ここまで愛してくれているのか。
「ルシナ……」
「はい、最高でした!」
ルシナはバッと顔を上げ、満面の笑みで親指を立てました。
「今のフォームを忘れないうちに、あと99回やりましょう! さあ、休憩は終わりです!」
「……え?」
感動の余韻は一瞬で吹き飛びました。
ジークフリートの顔色が青ざめます。
「きゅ、99回……?」
「当然です。筋トレは1セットで終わりではありません。限界を超えてからが本番です!」
鬼だ。
ここに鬼がいる。
けれど、ジークフリートは逃げ出しませんでした。
なぜなら、彼女が期待に満ちた目で「次」を待っているからです。
「……望むところだッ!!」
その日、アイゼンラッド公爵領の空に、公爵の男泣きと、聖女の熱い掛け声が夕方まで響き渡ったのでした。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
クララが立った! 並みの感動回でしたが、ルシナが見ていたのはお尻の筋肉でした。 それでも「愛されている」と勘違いできる公爵様、メンタルも鍛えられていますね。
「スクワットしたくなった」 「公爵様、逃げて(逃げないで)」
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次回、この異様な光景がついに領民たちに見つかります。 「噂の真相」。 明日も更新します!




