第8話 呪いの鎧はトレーニング器具です
まだ太陽も昇りきらない、薄暗い早朝。
アイゼンラッド公爵邸の裏庭に、鉄を引きずるような重苦しい音が響いていました。
「……はぁ、はぁ、ぐっ……!」
ジークフリート公爵は、一歩を踏み出すたびに、寿命が縮むような思いをしていました。
彼が身につけているのは、公爵家の宝物庫の奥深くに封印されていた『重圧のフルプレートメイル』。
装着した者の体重を魔法的に十倍にするという、本来は拷問や処刑に使われる呪いのアイテムです。
しかし、今の彼にとって、それは「最新鋭のトレーニング器具」でした。
「いいですよ、ジーク様! その調子です! 大腿四頭筋に意識を集中させて!」
隣を並走しているルシナが、爽やかな笑顔で声をかけます。
彼女の手には、万が一ジークフリートが倒れた時に備えて、巨大なログ(丸太)が握られています。
「ル、ルシナ嬢……。これは、散歩……なのか?」
「はい! 有酸素運動です!」
ルシナは即答しました。
「ジーク様の筋肉は、長年の寝たきり生活で眠っています。まずはこの『パワーアンクル(全身版)』で、筋肉たちに『朝だよ、起きなさい!』と呼びかける必要があるのです」
(呼びかける……。物理的な重圧で叩き起こすの間違いではないか?)
ジークフリートは脂汗を流しながら思いました。
全身の骨が軋んでいます。
肺が焼けつくように熱い。
普通なら、数歩で心が折れているでしょう。
ですが、彼は止まりませんでした。
なぜなら――。
「あと50メートル! ラストです! 頑張って!」
隣で励ますルシナの瞳が、あまりにも真剣だからです。
彼女は、ジークフリートの苦悶の表情を見ていません。
彼が踏み出す足の筋肉の動きだけを、熱っぽい視線で見つめているのです。
(……なんて熱い視線だ)
ジークフリートの脳内で、都合の良い解釈回路が火を吹きます。
(彼女は、私のこの無様な姿から目を逸らさない。汗にまみれ、無様に這いつくばる私を、こんなにも愛おしそうに見つめてくれている……!)
これまでの人生で、周囲の人間は彼を「可哀想な病弱公爵」として、腫れ物に触るように扱ってきました。
けれど、この少女は違う。
彼女だけは、私に「立て」と言う。
私に「強くなれる」と信じて、過酷な試練を与えてくれる。
それは、究極の信頼ではないでしょうか。
「……う、おおおおおおっ!!」
ジークフリートの喉から、獣のような咆哮が漏れました。
限界を超えた脚が、意志の力だけで前に進みます。
筋肉繊維が悲鳴を上げ、ブチブチと切れる音が聞こえる気がします。
「そうです! その『オールアウト(全力を出し切る)』の顔、最高に素敵です!」
ルシナが黄色い声を上げました。
彼女にとって、限界まで追い込まれて歪んだ男の顔は、最も美しい芸術品に見えるのです。
ズシンッ!
ついに、ジークフリートはゴール地点である噴水の前までたどり着き、膝をつきました。
地面が少し陥没します。
「はぁ……はぁ……やり遂げた……」
「お疲れ様です!」
ルシナがタオルと、特製ドリンク(魔獣の生き血と果汁を混ぜたもの)を差し出します。
ジークフリートは震える手でそれを受け取り、一気に飲み干しました。
不味い。
けれど、五臓六腑に力がみなぎる味がします。
「素晴らしい根性でした。これなら、予定より早く次のステップに進めそうです」
「つ、次……?」
「はい」
ルシナは満面の笑みで、悪魔の宣告をしました。
「今のウォーミングアップで体が温まったと思いますので、次はスクワット500回行きますね! さあ、もうワンセット!」
ジークフリートは絶句しました。
今のが、ウォーミングアップ……?
死の行軍ではなく?
しかし、目の前の少女は、一点の曇りもない瞳で彼を信じています。
「貴方ならできる」と、無言の圧力を放っています。
ああ、逃げられない。
この愛からは、もう逃げられない。
ジークフリートは、引きつった笑みを浮かべ、ガクガク震える足で再び立ち上がりました。
「……望むところだ。君が望むなら、地獄の底まで付き合おう」
「天国ですよ、ジーク様!」
こうして、公爵邸の朝は、今日も二人の悲鳴と掛け声によって爽やかに始まるのでした。
領民たちの間では、「公爵様が毎朝、聖女様に愛の告白を叫んでいる」という噂が流れ始めるまで、あと三日。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます!
ジーク様の目には、ルシナのスパルタ指導が「愛」に見えているようです。 幸せならOKですね!
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次回、「初めてのスクワット(感動巨編)」。 明日も更新します!




