第7話 メイド長の洗礼(という名のサーキット・トレーニング)
公爵との「プロテイン協定」が結ばれた翌日。
私は、アイゼンラッド公爵邸の裏方を取り仕切る人物に呼び出されました。
「ルシナ様。公爵閣下がお認めになっても、私は認めませんよ」
廊下の真ん中で仁王立ちしているのは、この屋敷に30年勤めているというメイド長、ヒルダさんです。
銀縁眼鏡の奥の目は厳しく、その背筋は定規が入っているかのようにピンと伸びています。
いわゆるお局様というやつですね。
「聖女だか何だか知りませんが、貴族の娘にこの極寒の辺境暮らしが務まるとは思えません。ましてや、閣下の『専属契約』だなんて……身の回りの世話もできない人間に、任せられるはずがありません」
「ごもっともです」
私は深く頷きました。
確かに、トレーナーたるもの、まずはクライアントの生活環境を整える「家事力」も必須スキル。
ヒルダさんは、私の基礎スペックをテストしようとしているのですね。
「では、実力を見せていただきましょうか」
ヒルダさんは冷ややかな笑みを浮かべ、長い廊下を指差しました。
「この屋敷の『大広間の窓』、全て磨いていただきます。全部で50枚ありますが……昼食までに終わらなければ、昼抜きですからね」
周囲の若いメイドたちが「ひっ」と息を呑みました。
大広間の窓は天井近くまである巨大なもの。
50枚なんて、熟練のメイドが3人がかりで一日かけてやる仕事量です。
それを一人で、たった2時間でやれと言う。
明らかに「いじめ」です。
しかし、私の目は輝きました。
(50枚……! つまり、50セットの反復運動ができるということ!?)
これはただの雑巾掛けではありません。
高いところを拭くための「爪先立ち」。
低いところを拭くための「スクワット」。
そして、左右に腕を大きく振る「広背筋のストレッチ」。
それらをノンストップで行う、極上の有酸素運動です!
「ありがとうございます、ヒルダさん! 最高のメニューです!」
「は……?」
「では、行きます!」
私はバケツと雑巾をひったくり、大広間へダッシュしました。
◇
10分後。
様子を見に来たヒルダさんは、入り口でその眼鏡をずり落とすことになりました。
「シュッシュッシュッ! シュババババババッ!!」
常人には視認できない速度で、何かが窓枠の中を高速移動していました。
私です。
「ふンッ!(スクワット!) はッ!(カーフレイズ!) セイッ!(サイドランジ!)」
私は呼吸を整えながら、雑巾をプレス機のような圧力でガラスに押し当て、上下左右にスライドさせていました。
摩擦熱で雑巾から湯気が出ています。
「な、な……っ!?」
ヒルダさんが絶句している間に、私は一枚、また一枚と窓をクリアしていきます。
通常の窓拭きではありません。
ガラスの表面にこびりついた汚れを、洗剤ではなく圧力で剥ぎ取っているのです。
「ラストォォォッ!!」
最後の一枚。
私は全身のバネを使い、雑巾を右手に、窓枠の上端を一気に拭き上げました。
ギャリイイイイッ!!
凄まじい音が響き、窓がピカピカに輝きました。
私は着地し、額の汗を拭います。
「ふぅ……。いい運動でした。タイムは?」
私が爽やかに振り返ると、ヒルダさんは腰を抜かしてへたり込んでいました。
時計を見ると、まだ30分しか経っていません。
「ば、化け物……」
「いえ、聖女です」
私はニッコリと笑い、仕上がりを確認してもらおうと窓を指差しました。
「見てください、この透明度。汚れ一つありませんよ」
「あ、ああ……確かに綺麗だけど……」
ヒルダさんが震える指で窓枠に触れました。
そして、青ざめます。
「……鉄の窓枠が、少し歪んでないかい?」
おや。
どうやら、拭く時に力を込めすぎて、フレームごと一緒に曲げてしまったようです。
まあ、誤差の範囲でしょう。
「換気が良くなったとお考えください」
「隙間風が入ってくるだろうが!!」
ヒルダさんは叫びましたが、その目には先ほどまでの侮蔑の色はありませんでした。
代わりにあったのは、圧倒的な「暴力」への恐怖と、仕事の早さへの屈服。
「……分かった。認めるよ」
彼女はよろよろと立ち上がり、深く頭を下げました。
「あんたは只者じゃない。閣下の世話係、任せるよ……。ただし!」
「ただし?」
「屋敷の備品を壊すときは、事前に報告おし! 予算があるんだからね!」
こうして、私は屋敷の実質的な支配者であるメイド長にも認められ(?)、公爵邸での快適な筋肉ライフの基盤を築いたのでした。
読んでいただきありがとうございます!
メイド長も陥落しました。 掃除=トレーニング。これは真理ですね。 窓枠は犠牲になりましたが……。
「その発想はなかった」 「窓枠ドンマイ」
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次回、いよいよ公爵様のリハビリが始まります。 呪いの鎧を着てお散歩です。 明日もお楽しみに!




