第5話 公爵邸に響く断末魔(マッサージ)
アイゼンラッド公爵邸の廊下は、お通夜のような静けさに包まれていた。
扉の前には、武装した騎士たちが並んでいる。
彼らは全員、悔しさに唇を噛み締め、中には男泣きをしている者さえいた。
――中から聞こえてくる「音」が、あまりにも凄惨だったからだ。
「ギャアアアアアアッ!!」
主君であるジークフリート公爵の絶叫。
それに続いて、生物の体から発せられるとは思えない破壊音が響く。
バキィッ!! ボグゥッ!! メキョッ!!
「閣下……! お許しください、我々が不甲斐ないばかりに……!」
「あの女、聖女の皮を被った悪魔だ……! あんな音、骨を一本ずつ折らなければ出ないぞ!」
騎士団長の男が、扉に拳を叩きつけた。
今すぐにでも突入したい。
だが、中に入ることは禁じられている。
主君は最期に言ったのだ。
「私の最期を見ないでくれ」と。
それが、公爵としての最後の矜持なのだろう。
ゴガァッ!!
「ひっ……!?」
「い、今のは首か!? 首をへし折られたのか!?」
中から聞こえる悲鳴が、一段と高く、そしてプツリと途切れた。
◇
一方、部屋の中。
「はい、息を吐いてくださーい。ふーっ」
ルシナは汗一つかかず、爽やかな笑顔でジークフリートの背中に乗っていた。
彼女の膝は、ジークフリートの肩甲骨の間に食い込んでいる。
「ぐ、あ、あ……あ……」
ジークフリートは白目を剥き、痙攣していた。
意識は朦朧としている。
走馬灯が見える。
幼い頃に飼っていた犬が、川の向こうで手を振っている気がする。
「素晴らしい! だいぶ『剥がれ』てきましたよ!」
ルシナは嬉々として言った。
彼女が行っているのは、筋肉と骨の間に癒着した筋膜を、物理的な力で引き剥がす「筋膜リリース(強制)」である。
ただし、彼女の指ヂカラが強すぎるため、その感覚は「焼けた鉄箸で背中を抉られている」のと同義だった。
「次は腰ですね。ここ、要なんですけど……うわぁ、コンクリートみたい」
ルシナがジークフリートの腰椎付近を押す。
指が入らない。
長年の姿勢不良と冷えで、筋肉が石化しているのだ。
「これでは魔法薬も効かないわけです。血管が圧迫されて、栄養が届いていませんから」
ルシナは一度ベッドから降りると、準備運動として腕を回した。
ブンッ、ブンッ、と空気が唸る。
「少し衝撃を与えますね。インパクト療法です」
「い、インパクト……?」
ジークフリートが虫の息で聞き返す。
ルシナは右手を固く握りしめ、美しいフォームで構えた。
「大丈夫です、骨は砕きません。骨の『隙間』に衝撃波を流し込むイメージです。はい、歯を食いしばって!」
「ま、待て! それは拳だ! 医療器具ではな――」
ドゴォォォォォンッ!!
ルシナの拳が、ジークフリートの腰に炸裂した。
瞬間、ジークフリートの視界が真っ白に弾けた。
痛みを超えた衝撃。
雷に打たれたような感覚が背骨を駆け上がり、脳天を突き抜ける。
「ガ……ッ!!」
声にならない叫びを残し、ジークフリートの意識は完全に闇へと落ちた。
◇
……静寂。
廊下の騎士たちは、扉の前で崩れ落ちていた。
「終わった……」
「閣下の気配が……消えた……」
もはやこれまで。
騎士たちが剣を抜き、復讐のために突入しようとした、その時だった。
ガチャリ。
扉が開いた。
現れたのは、袖をまくり上げ、額にうっすらと汗を浮かべたルシナだった。
彼女は騎士たちを見て、満面の笑みで親指を立てた。
「終わりました! 大成功です!」
「き、貴様ァァァッ!! よくも閣下を!!」
騎士団長が叫び、ルシナに斬りかかろうとする。
だが、その奥から聞こえてきた「声」に、全員が動きを止めた。
「……待て」
低く、しかし驚くほど張りのある声。
部屋の奥から歩いてきたのは、ジークフリート公爵だった。
しかし、何かがおかしい。
いつもなら杖をつき、背を丸めて歩く彼が、背筋をピンと伸ばし、大地を踏みしめて歩いているのだ。
その顔色は、病的な青白さが消え、運動後のような血色が差している。
何より、その瞳には数年ぶりに「生気」が宿っていた。
「か、閣下……? ご無事なのですか?」
「……ああ。自分でも信じられんが」
ジークフリートは自分の手を見つめ、軽く握りしめた。
関節が鳴る。
痛くない。
吸い込んだ空気が、肺の底まで届く。
体が羽のように軽い。
「殺されたと思った。三回ほど三途の川が見えた。だが……」
ジークフリートはルシナの方を向き、震える声で言った。
「痛みが、ない。……十年ぶりに、痛みのない朝を迎えたようだ」
その言葉に、騎士たちはどよめいた。
ルシナは「えっへん」と胸を張る。
「言ったでしょう? 少しほぐしただけです。ただ……」
ルシナはジークフリートの体をジロジロと眺め、真剣な顔で言った。
「基礎工事が終わっただけです。今のままでは筋肉量が足りなすぎて、すぐにまた歪んでしまいます。そう、例えるなら骨組みだけの家です」
「骨組みだけの家……」
「壁が必要です。強固な筋肉という壁が! ジークフリート様、契約していただけますね?」
ジークフリートは、目の前の少女を見た。
常識外れの怪力。
拷問のような治療。
だが、彼女は確かに奇跡を起こした。
魔法でも薬でも治せなかった呪いを、その拳一つで打ち砕いたのだ。
彼はルシナの前に跪き、その手を取った。
「……ああ。私の命は、君に救われた。この身は君のものだ。好きにしてくれ」
「はい! では早速ですが、報酬として『最高級の赤身肉』と『トレーニングルームの増設』を要求します!」
こうして、公爵邸の歴史に残る「地獄の夜」は明け、新たな「筋肉の朝」が始まったのである。
ご愛読ありがとうございます!
痛みがなくなってよかったですね、公爵様。
ちなみにルシナの施術は、現代の「ロルフィング(筋膜リリース)」を物理的に誇張したイメージです。痛いですが効きます。
「スッキリした!」 「いい音(破壊音)だった」
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次回、報酬のお話。 金貨? いえ、もっと大事なものがありますよね!?




