第31話 動かない恐怖(0レップの絶望)
古代の勇者が遺した伝説のジム、その最奥。
『聖なるシェイカー』から放たれる黄金の光が、『怠惰の悪魔』の放つ黒い霧に侵食され、今まさに消えようとしていました。
「させるかぁぁぁぁぁぁッ!!」
ジークフリート公爵が、四十倍の重力を物理的な意志で跳ね除け、悪魔へと肉薄します。
彼の右腕。
上腕二頭筋はピーク(頂点)を形成し、上腕三頭筋は馬の蹄鉄のように鋭く隆起。
皮下の血管は、高圧の血液を全身の筋細胞へ届けるべく、太い樹根のようにのたうち回っています。
放たれる拳。
それは、空気を圧縮し、一撃で城門をも粉砕するはずの、究極のストレート。
しかし。
拳が悪魔に触れる直前、世界から「音」が消えました。
『……無駄だと言っただろう。私の領域へようこそ』
悪魔が触手(ソファの脚のような何か)を優雅に組むと同時に、二人の全身に、これまでの「重力」とは全く質の異なる波動が叩きつけられました。
――ズゥゥゥゥ……。
「……ッ!? な、何だ……身体が、痺れる……?」
ジークフリートの動きが、不自然に止まりました。
重力で押し潰されているのではありません。
筋肉の収縮を司る神経伝達物質が、悪魔の魔力によって「強制シャットダウン」させられているのです。
「ジーク様、危ないっ!」
後方から援護しようとしたルシナもまた、その場で膝をつきました。
彼女の紫色の瞳に、かつてないほどの驚愕が走ります。
(……おかしい。脳からの司令が、大腿四頭筋に届かない? まるで、全身の運動単位が、一斉にボイコットを始めたかのような……!)
『ククク……これこそが私の真の権能。『絶対休息』。私の前に立つ者は、努力そのものを無意味と感じ、動くこと、鍛えること、そして生きることすらも“面倒”だと魂に刻まれるのだ』
悪魔の声は、耳ではなく脳の深部――やる気を司るドーパミン受容体を直接麻痺させます。
「……今日は、もういいか」
ジークフリートの口から、掠れた声が漏れました。
「明日やればいい。……いや、明日も、明後日も。……わざわざ、こんなに苦しい思いをして、重い物を持ち上げる必要なんて、どこにあるんだ……?」
黄金の瞳から、闘志の光が消えていきます。
筋肉を極限まで膨らませていた熱気が急速に冷め、パンプアップしていた肉体が、一回り小さく萎んでいく。
マッチョにとって、これは死よりも惨い精神的な「去勢」でした。
「ジーク、様……だめ、です。それは、悪魔の……誘惑……」
ルシナもまた、床を這い、必死に抗っていました。
しかし、彼女の脳内にも、抗い難い「心地よい死」のイメージが流し込まれます。
(……ああ。そうだわ。トレーニングなんて、辛いだけ。プロテインを振る音、あんなにうるさいのに、どうして私は愛していたのかしら。……このまま、ふかふかの絨毯で寝ていたい。筋肉痛のない人生、なんて平和なの……)
ルシナの指先が、力を失って床に転がりました。
彼女が大切に育ててきた鬼の顔が、眠りに落ちた赤子のように平坦になっていきます。
『さあ、そのまま永劫の眠りにつくがいい。私がこのプロテインを飲み干した時、世界は永遠の“二度寝”に包まれるのだ』
悪魔がシェイカーを掲げ、黄金の滴を吸い上げようとした、その時。
「……待て」
低い、低すぎる声が響きました。
震える手で、自らの大胸筋を鷲掴みにしている男がいました。
ジークフリート公爵です。
彼は白目を剥きながら、自分の指の爪を胸の肉に食い込ませ、その「激痛」で強制的に意識を繋ぎ止めていました。
「……ルシナ。君は、言ったはずだ……」
彼の目から、血の涙が零れ落ちます。
「『筋肉痛は、神からのラブレター』だと……! そして、『今日を諦める者は、未来の自分を殺す者だ』と……!!」
「ジーク……様……?」
ジークフリートの脳内では、悪魔の「静寂」が、ルシナとの「地獄の思い出」を逆に鮮明にフラッシュバックさせていました。
彼女の重圧。
彼女の正拳突き。
彼女の、筋肉だけを愛おしそうに見つめる、あの歪んだ(最高の)笑顔。
(……そうだ。彼女がいない世界で、安らかに寝ているだけの私に、何の価値がある!? 私は、彼女に『仕上がっている』と言ってもらうために、この地獄を這い上がってきたのだッ!!)
ジークフリートの魂が、脊髄を伝って筋肉へ直接叫びました。
「神経が死んでいるなら、意志で無理やり繋げばいいだけだ!! 動け! 動け、私の……僧帽筋ッ!!」
バキキキキィィィィッッ!!!!!
一瞬で萎みかけたジークフリートの身体が、再び爆発的な膨張を開始しました。
血管が、皮膚を突き破らんばかりに浮き上がり、彼の肉体は文字通り「赤熱」し始めます。
「ぐ、あああああああああああああああああああああッ!!!!」
彼は咆哮し、地面にめり込んでいた足を強引に引き抜きました。
その姿は、もはや人間ではありません。
ルシナという名の「女神」への盲目的な信仰が、悪魔の精神汚染を物理的に焼き払った、マッスル・アバター。
「ルシナ……! 君を、寝かせはしない!! 君が教えてくれた……トレーニングを……続けよう!!」
ジークフリートは、動けなくなっているルシナを、その分厚い背中に担ぎ上げました。
「な、……!? 私の呪いを……意志だけで踏み越えたというのか……!? 馬鹿な、そんな生物がいてたまるかッ!!」
戦慄する悪魔をよそに、ジークフリートはルシナを背負ったまま、深く腰を落としました。
「さあ、ルシナ。……ここからが、我々の『真の共同作業』だッ!!」
史上最悪の呪いと、史上最強の筋肉脳。
古代のジムを揺らす、最後の死闘が幕を開けたのです。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます!
ついにラスボス「怠惰の悪魔」との最終決戦本番です。
マッチョにとって一番怖いのは、「今日は筋トレいいや……」と脳が囁く瞬間。
あのルシナ様でさえ折れかけるほどの精神攻撃を、公爵様が「愛(という名の筋肉脳)」で突破しました!
「全レップ、ノーカウントww」 「ドーパミンまで操る悪魔、ガチで強敵すぎる」
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(皆様の★が、物語を完結へと押し進める最大出力になります! ありがとうございます!)
次回、絶体絶命の二人が放つ、究極の共同作業。 逃げ場のない高重力下で、二人は「あのポーズ」を決める!?
明日も更新します!




