第24話 逃した魚(ただし筋肉質)
奇跡の指圧により、レオン王子の腰痛は完治しました。
彼は謁見の間の真ん中で、信じられないという顔で腰を回し、前屈し、そして反り返っています。
「おお……動く。動くぞ! 油を差した歯車のように滑らかだ!」
10年来の悩みが消えた感動。
それは同時に、彼の心に新たな「欲」を芽生えさせました。
(……待てよ。この女、使えるのではないか?)
レオンは、ルシナをジロジロと見ました。
確かに筋肉質で、聖女らしくは美しくない。
だが、このゴッドハンド(物理)は惜しい。
王族である自分は、これから激務が続く。
そのたびに腰痛に悩まされるのは御免だ。
ならば、こいつを側において、専属のマッサージ師として飼い殺せばいいのではないか?
レオンはニヤリと笑い、ルシナに向き直りました。
「ルシナよ。褒めて遣わす」
彼は尊大な態度で腕を組みました。
「貴様のその腕力、多少は役に立つようだな。そこでだ。……特別に、貴様を王都へ連れ帰ることを許可してやろう」
「は?」
「聞こえなかったか? 『側室』にしてやると言っているのだ」
レオンは胸を張りました。
追放された罪人が、王太子の側室になれる。
これは破格の待遇であり、断る理由などないはずです。
「正妃のアリアには劣るが、衣食住は保証してやる。その代わり、毎晩私の腰を揉め。貴様のその剛腕は、私の体を癒やすためだけに使うのだ。どうだ、光栄だろう?」
シン……と、場が静まり返りました。
ルシナは、ポカンと口を開けています。
怒りでも喜びでもなく、純粋に「何を言っているんだこの人は?」という顔です。
(……側室? 王宮の狭い部屋に閉じ込められて、毎晩マッサージ? ジムは? 魔獣肉は? 何より……)
ルシナはチラリと隣を見ました。
そこには、彼女が手塩にかけて育てた、最高の作品がいます。
(この素晴らしい大胸筋を手放して、あんな貧弱な腰の世話係になる? ……トレーニング効率が悪すぎますわ)
ルシナが「お断りします」と言おうとした、その時。
ピキピキピキ……ッ!
不穏な音が響きました。
音源は、ジークフリートの全身の筋肉です。
血管が怒りで浮き上がり、服の縫い目が悲鳴を上げています。
「……レオン殿下」
地獄の底から響くような声。
ジークフリートが一歩、前に出ました。
「今、何と言った? ルシナを、側室にするだと?」
「ふん、そうだ。貴様のような田舎貴族には過ぎた女だ。私の腰のメンテナンス要員として……」
ドゴォォォォォンッ!!!!
爆音が、レオンの言葉を遮りました。
ジークフリートが、右の拳を何もない空間に突き出したのです。
彼とレオンの間には、10メートル以上の距離がありました。
しかし。
ヒュンッ!! バシュゥゥゥッ!!
拳から放たれた衝撃波(拳圧)が、鎌鼬のように空気を切り裂き、レオンの頬を掠め――その背後の「石壁」に激突しました。
ガラガラガラ……ッ!
レオンが恐る恐る振り返ると、そこには直径1メートルほどの風穴が開き、外の景色が見えていました。
魔法ではありません。
純粋な運動エネルギーの塊です。
「ひ、ひいぃっ!?」
「聞き捨てならんな」
ジークフリートは、ゆらりとレオンに近づきました。
その背後には、憤怒の形相をした不動明王が見えるようです。
「メンテナンス要員だと? 道具扱いか? ……ふざけるな」
ジークフリートは、ルシナの肩を抱き寄せ、自分の胸板に押し付けました。
所有権の主張。
そして、絶対的な守護の意思表示。
「彼女は、私の命だ」
熱い言葉が、謁見の間に響きます。
「私の肉体を作り変え、魂に火を灯してくれた、唯一無二の師。そして、私が生涯をかけて愛し抜くと決めた女性だ。……貴様のような『腰痛持ち』に、指一本触れさせるものか!!」
「ひ、ひいいいっ! わ、分かった! 冗談だ! ジョークだ!」
レオンは腰を抜かしました。
殺される。
この筋肉の化け物に、物理的にすり潰される。
王族の権威など、圧倒的な質量の前では紙切れ同然でした。
「帰れ!! 二度と我が領地に足を踏み入れるな!!」
ブワッ!!
ジークフリートが「フロント・ラット・スプレッド」で威嚇すると、その風圧でレオンとアリア、そしてドランは転がるように出口へと逃げ出しました。
「お、覚えてろぉぉぉ! この借りは必ず返すぞぉぉ!」
捨て台詞を残し、王都の馬車は砂煙を上げて去っていきました。
後に残されたのは、風穴の空いた壁と、熱く抱き合う二人だけ。
「……ジーク様」
「すまない、ルシナ。壁を壊してしまった」
ジークフリートは我に返り、シュンとしました。
しかし、ルシナは頬を染めて首を振りました。
「いいえ。……素晴らしい『正拳突き』でした。広背筋から前鋸筋への連動が完璧で……私、見惚れてしまいました」
「ルシナ……」
二人は見つめ合い、そして――。
「さあ! 興奮してアドレナリンが出ている今こそ、トレーニングのチャンスです! 壁の修復作業(レンガ積み)で、上腕二頭筋を追い込みましょう!」
「ああ、望むところだ!」
こうして、王都からの干渉を「物理」で跳ね除けた二人は、より一層の愛(と筋肉)を深めたのでした。
しかし、逃げ帰ったレオンたちの怨念が、最悪の形で実を結ぼうとしていることに、彼らはまだ気づいていませんでした。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
王子、逃した魚は大きかった(物理的に)。
「拳圧で壁に穴を開ける」というのは、範馬○刃やワンパンマンでお馴染みの高等技術ですが、公爵様もついにその域に達しました。
愛の力=破壊力です。
「王子、小っ物ー!」 「壁ドン(遠距離)」
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(皆様の★が、壁の修復費用になります!)
さて、次からは物語が大きく動きます。 逃げたアリアの逆恨みが、とんでもない事態を引き起こすことに。 王都動乱編、いよいよ佳境に差し掛かります!
明日も更新します!




