第08話 王都フェルグレイ
馬車の揺れは穏やかだった。
外を走る風の音と、木々のざわめきがまるで遠くから届く子守唄のように感じられる。
ノアは、セラフィーナのマントに半分くるまりながら、じっとその顔を見上げていた。
目の奥には、眠気と、ほんの少しの不安の色。
「……セラ……」
「……なんだ?」
ノアの問いかけに応えると、ためらいがちに口を開いた。
「ここから……どこに行くの?」
その問いに、セラフィーナは一度だけ窓の外へ視線を向けてから、微笑んだ。
「『フェルグレイ』っていう、ノア達のの王様がいる街に行くんだ。森を越えた先にあって、とても美しいところだって……聞いた事がある。行った事ないが……」
「王様……って、こわい?」
ノアの声はまるで霧の中にいるように、かすかで頼りなかった。
カルミアの手を握ったまま、そっとセラフィーナの腕に身を寄せてくる。
セラフィーナはその小さな体温を感じながら、ゆっくりと首を振った。
「会ったことがないから、正直に言えば……わからないぞ、でも──」
そこまで言って、彼女はそっとノアの頬に手を添えた。
「この国が、二人をちゃんと守ってくれる場所なら……きっと大丈夫だ。私はそう信じたい」
ノアは大きな金の瞳を瞬かせて、しばらくセラフィーナの顔を見つめていた。
それから、小さくうなずく。
けれどその動きにはまだわずかな迷いがにじんでいる。
「……でも……人間って、僕たちを怖がるし、嫌ったりもするよ」
「……そうだな……私も、そういう人たちを知ってる」
セラフィーナは目を伏せる。
王都で投げられた視線や、耳に残る罵声の数々が胸の奥をかすめていく。
けれど、それでも彼女はノアを見て、静かに微笑んだ。
「でも、怖がるばかりじゃなくて、ちゃんと向き合おうとする人もいる。例えば、そう、私……そうなりたいと、願ってる人もいるんだぞ?」
ノアは、何かを考えるように少し黙ってから、そっとセラフィーナのマントを握った。
「……セラは、あったかい。祈ると、胸のここ──ぽかぽかするんだ」
彼は小さな拳で、自分の胸をとんとんと叩いた。
セラフィーナはそのしぐさに、優しく笑った。
「ありがとう……ノアがそう言ってくれるだけで、私の祈りはきっと間違ってないって思えるよ」
その言葉に安心したのか、ノアはようやく身を預けるようにセラフィーナの肩に頭を乗せた。
寝息はまだ聞こえない。
けれど、彼の体からは、少しずつ力が抜けていくのがわかった。
その体温を感じながら、セラフィーナは小さく息を吐いた。
──もう、誰にもこの子たちを傷つけさせたくない。
そんな祈りが心の奥にゆっくりと灯っていくのを感じながら、セラフィーナは遠くに霞む塔の影を見つめ続けていた。
馬車の対面には、黒狼騎士団の一人が座っていた。
長身の男で、口元を覆う布を外さず、常に目を細めたままセラフィーナを観察している。
「……ずいぶんな懐かれようだな」
低い声が、静けさを破る。
「そうかもしれません。でも、それだけです」
「信じさせようとする演技には見えん……だが、お前の『力』は、本当に我らに効くのか?」
セラフィーナはその視線をまっすぐに受け止め、言った。
「効くかどうかじゃない。私は、届くと信じてこの力を使い、そして神に祈るのです」
その言葉に、騎士は何かを言いかけて口をつぐんだ。
外の騎馬兵たちの足音が、規則正しく続いている。
黒い鎧が日の光にちらりと反射し、馬車の窓に影が揺れた。
木々の間に、少しずつ開けた風景が見えてきていた。
──遠くに、高くそびえる城の尖塔。
馬車が森を抜けたとき、最初に目に入ったのは、広がる草原だった。
その先に立つ城壁は高く、けれど圧迫感はない。
自然石を積み上げたような、落ち着いた色合いの壁。
そして──その城壁の向こうに、街があった。
「……あれが、フェルグレイ……」
セラは思わず息をのんだ。
王都フェルグレイ。
それは人間の都市に見られるような直線的で効率を重んじた作りではない。
建物は緩やかな曲線で区画され、道は石畳というより自然の土の風合いを残している。
木々の間に建物が生えるように点在し、草の屋根や藤棚のある家が並ぶ光景は──まるで森と共に呼吸するような都市だった。
「……きれいだ」
セラフィーナの口から、無意識にそんな言葉がこぼれた。
騎士団の男がちらりと彼女を見て、小さく頷く。
「……俺たちの国は、自然と生きる。山や森を敵とせず共にある。人間が多く忘れた生き方だ」
「……あなたたちの国には……人間もいるんですね」
その一言に、騎士は一瞬、表情を動かした。
「……そうだ。あまり多くはないが、共に暮らしている者もいる。フェルグレイは血より意志を重んじる……王の方針だ」
その時、馬車の外から号令が飛んだ。
馬の足音が止まり馬車もゆっくりと減速する。
門が開かれ、近衛たちが先に入り、セラフィーナたちの乗る馬車がゆっくりと城内へ入っていく。
門の中では、獣人たちが商いをしていた。
耳や尻尾のある子どもたちが走り回り、彼らを追う母親が笑う。
そして──人間の女性が、薬草を仕分けしている姿が見えた。
セラフィーナは目を見開いた。
「……本当に、一緒に暮らしているんですね……」
騎士は静かに言った。
「だが……すべての者が、それを受け入れているわけではない」
その言葉は、静かな風のように、彼女の胸に残った。
フェルグレイ──この街が、希望だけで成り立っているわけではないこと。
そして、彼女の存在が、ここでどんな波紋を呼ぶのか。
それを知るには、まだ時間が必要だった。
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