第68話 目覚めた男
本日も2話更新します。
16時と19時になります。
――夜、王都フェルグレイ。
白布のかけられた寝台の上で、グランド胸が微かに上下した。
その顔は蒼白で、額にはうっすらと汗。
だが、その呼吸は――確かに、生きていた。
セラフィーナ・ミレディスは窓から差し込む月明かりの下、静かに薬瓶を傾けていた。
彼の容態は相変わらず安定しない。
高熱は下がったが、身体の奥に残る呪いの痕が、まだ治癒の妨げになっている。
薬草の力と祈りの魔力を組み合わせてもすぐに完治というわけにはいかない。
「……それでも、生きてるな」
そう言いながら、セラは冷却布を新しいものに取り替えた。
その瞬間――ばさり、と音がして。
「……っ」
グランドの腕が、布をはじくように動いた。
ゆっくりと、重たげに――男の瞳が開く。
琥珀にも似た、炎の奥底のような瞳。
それはまっすぐに天井を見据え、次いで、傍らのセラフィーナを認めて……その奥に、戦場の光景を思い出した。
「……ここは……敵地か?」
低く、掠れた声。
セラフィーナは薬瓶を置き、微笑を浮かべる。
だが、その声色は静かに鋭い。
「いいえ。ここはフェルグレイ王都です。あなたを殺そうとする者はおりません……もう、戦は終わったんですよ?」
グランドは瞬きを一つだけして、眉をひそめた。
「……なら、なぜ俺を助けた?敵を……殺さず、なにになる」
「……まだそんな台詞を吐けるのか?」
声に棘が混じった。
「あなたは……昔と変わらない。「命を無駄にするな」と言いながら、自分の命だけは最初から捨てているな」
グランドは、わずかに首を動かし、彼女の顔を見た。
そこに映ったのは、以前戦場で一瞬だけ見た【聖女】の姿。
その姿を見て、グランドは思い出す。
声を出そうとするが、彼女が静かに話を続ける。
「誰かが生きるために、自分が死ぬ?そんなの、ただの逃避だ」
「……違う」
「違わない……あなたは、あの時も、誰かを庇って斬られた。敵兵だったな?それでもあなたは彼を助けたんだ」
グランドの眉がぴくりと動いた。
「……見ていたのか」
「後方で傷を癒していた時にな……あなたの【黒焔】は……あんな距離でもよく見えたた」
ふっと、室内の空気が一瞬静まる。
そんな二人のやり取りを見ていたのか、突然声が聞こえてきた。
「……あの人……こわい……」
医務室の扉の陰から、小さな声が漏れる。
獣人の少年ノアが、妹カルミアを庇うように身を縮めていた。
カルミアは兄の袖をぎゅっと掴んだまま、不安げな瞳をセラフィーナに向ける。
セラフィーナは振り返り、微笑んで答えた。
「大丈夫だカルミア……怖い人じゃない。ただ、傷が深いだけだ……体にも、心にもね」
その言葉に、グランドは何も言わなかった。
だが、その横顔にはどこか聞き慣れない痛みの影が滲んでいた。
「――もう部屋に戻って。今夜はもう遅いから」
「わかった……行こうカルミア」
「う、うん……」
セラフィーナが優しく告げると、ノアとカルミアはこくんと頷き小さな足音を立てて廊下に消えていった。
その背を見送った後、セラフィーナはグランドの脇に冷えた布を置き、静かに立ち上がる。
「ゆっくり休んでくれ。命を拾った以上――今度は、きちんと生きてもらわないと困るから」
その言葉に、グランドは再び目を閉じる。
セラフィーナはそれを確認すると、そっと部屋を後にした。
扉が閉まる音だけが、夜の静寂に混じって消えていく。
▽
一人残された寝台の上。
天井の木目を見つめながら、グランドはぽつりと呟いた。
「……あの瞳……あの時と、同じだ」
思い出すのは、かつて戦場で一瞬だけ交差した視線。
敵も味方も、血に塗れていたあの瞬間――自分を見つめていた、ただ一つ澄んだ祈りの瞳。
「……敵を前にして、あんな目が……できるはずが……」
意味もなく、言葉が途切れる。
それでも、胸の奥に残ったのは剣でも盾でもないものに触れた感触だった。
あの時と、今と――何が違っていて、何が同じなのか。
それはまだ、彼自身にも分からない。
ただひとつ分かるのは――この命は、あの瞳に拾われたのだ、という事だけだった。
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