第58話 そして、ふたりは夫婦になった
狂から第2部開始になります。
本日2話更新させていただきます。
毎日更新、頑張ります。
フェルグレイ王国──王都に春の陽光が差し込む頃、王城の朝は平穏そのものであった。
窓から差し込む柔らかな光が、金の装飾が施された長い食卓を照らしている。
その中央に並ぶのは、温かいスープにふわふわの白パン、焼き立ての魚と甘く熟した果物たち。
そして、その食卓の端で、二人の夫婦が向かい合っていた。
いや、寧ろ一方的だったのかもしれない。
「……その、あの、だな、ライグ……あまり見つめられると、食べにくいんだが……や、やめてくれないだろうか?」
俯きがちに小さくスプーンを動かしながらそう呟くのは、髪をふわりと揺らした王妃・セラフィーナ・ミレディス。
嘗て王都レガリアで聖女として戦場を駆け抜けた『聖女』だったが、『穢れた聖女』と言われ国外追放された後、この国に生き延び、今はこの国の【王妃】として、ようやく穏やかな日々を手にした女性だった。
「ん?だが俺としては、お前のその顔を眺めていた方が食事よりずっと良いんだが?」
「あああ、悪びれもなく言いやがったぁ……」
拳を握りしめながら、セラフィーナは唇を噛みしめる。
対して、悪びれもなくそう返すのは漆黒の髪と鋭い眼差しを持つ現国王ライグ・ヴァルナーク。
その顔には、堂々とした王の風格よりもどこか悪戯好きな男の色が浮かんでいる。
「っ、か、顔が近い!!というか、朝からそんな……!……やめっ……!」
身を引こうとしたセラフィーナだが、ライグはその細い手首を軽く取ってまるで自分の愛馬を撫でるかのように親指でなぞる。
「手も冷たいな……暖めるか?」
「だ、だめだ!い、いい加減仕事に、い、行ってくれ、ライグっ!!」
ぷしゅう、と耳から湯気が出そうなほど顔を真っ赤にしてうろたえるセラフィーナに、周囲の侍女や護衛たちがそわそわと視線を交わす。
「出た、朝から攻めすぎ陛下だ!」
「はい! 止めまーす!!セラ様の理性が飛ぶ前に撤退ー!」
「はっ、警護隊、陛下の手をそっと剥がせ!繰り返す、そっとだぞ!強引に引っ張ると逆に甘える可能性がある!」
朝の王城に響き渡る、実に優雅(?)な騒動。
この騒動も、何カ月も続いているので定番になってしまっている。
最近は【セラフィーナを守る隊】のようなものが組織されるのではないだろうかと噂になるぐらいだ。
しかし、誰一人として眉をひそめる者はいなかった。
それは、フェルグレイにとってこの光景こそが「日常」であり、「平和」の象徴となっていたからだ。
ただ一人、不満顔をしながら周りを睨みつける王様がいた。
「…………お前ら、良い度胸だな。俺とセラの逢瀬を邪魔するとはいい度胸だな。今日と言う今日は――」
「て、撤退!!撤退だー!」
「わー陛下が怒った!!」
「逃げると!退却、退却ー!!」
獣のような瞳を見せながら侍女たちや護衛たちがまるで虫のように散る姿を、セラフィーナは渇き笑いをしながら見つめているのであった。
▽
回廊を歩くセラは、先ほどの出来事を思い出して顔を覆った。
(ああ……本当に……どうしてあんなに距離が近いんだ……な、慣れない。全然慣れない!!)
頬を手のひらで隠しながらうなだれる姿は、王妃というより恋に悩む年頃の娘のようだった。
だが、その唇に浮かんだ微かな笑みには、確かに幸福の色が滲んでいる。
隣を歩くクラウディアが、くすりと笑いながら口を開いた。
「ふふっ……セラ様、その顔とても愛らしくてですわよ。顔が赤くなると、まるで湯気が出ているみたい」
「うぅ……クラウディア様、見ないでくれ……恥ずかしくて、死ぬかもしれない」
「まあまあ。王妃の羞恥は国家の宝ですわ」
「何ですかそれっ!?」
思わず声を上げるセラフィーナに、クラウディアは肩を揺らして笑う。
いつものように気品に満ちた微笑みだったが、その笑みはどこか優しく、対等だった。
「……でも本当に、変わりましたわね。あの頃のセラフィーナ様は人に甘えるのがとても下手でした」
「それは……今も、甘えるって、なんだかよく分からなくて……」
俯きがちに呟いたセラフィーナの声に、ふと陰が差す。
その胸の奥には、まだ癒えきっていない【記憶】が残っていた。
教会での扱い、信じた者に裏切られた日々、戦場でひとり祈り続けた時間……。
「……私は、誰かに頼ることを弱さだと思ってたから……でも、ライグ……陛下は、そうじゃないって、何度も何度も教えてくれました。それでもまだ……近づかれると、どうしていいか分からなくなるんです……そもそも戦場で生きてきた私に色恋沙汰と言うのはわからない……」
「そういうところも、きっと陛下は好きなのでしょうね……手のかかるお方ほど、愛されるものですわよ」
「な、なんですか、からかわないでください……っ」
「うふふ。冗談はさておき……」
クラウディアはふと足を止め、窓辺に立つ。
その視線の先には、よく晴れた春空が広がっていた。
「……平和とは、かくも尊く……けれど、かくも儚いものなのですわね」
その言葉に、セラフィーナも歩みを止める。
横に並んで、そっと空を見上げた。
「……はい。今は穏やかで、綺麗で、こんなにも心が安らぐのに……でも、あの日々を思い出すと平和が当然じゃないって、分かります」
「ええ、だからこそ──守る覚悟が要るのです」
クラウディアの瞳に、一瞬鋭い光が宿る。
だがそれもすぐに和らぎ、彼女はまた穏やかに微笑んだ。
「……だからこそ、あなたのような方が【王妃】でいてくれて、私は誇らしいのです」
「クラウディア様……」
「いえ、もう『様』はやめてくださいな。こうしてふたりで並んで空を見ているのですから……たまには、名前で呼んでくださいな」
「……じゃあ、その……クラウディアさん」
「ふふっ、それでよろしいのですわ、セラフィーナさん」
二人は、顔を見合わせて笑い合う──友として、心を通わせる笑顔だった。
セラフィーナは小さく深呼吸し、もう一度、目を細めて空を見上げる。
「……今は、これがあるから、きっと、大丈夫です」
癒しの手を携えた、元聖女にして現王妃。
その心には、まだ傷がある。
だが、支えてくれる人がいる、笑ってくれる友がいる。
何より──隣に、彼女を強く抱きしめる者がいる。
セラフィーナはもう、独りではないのだから。
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