第53話 王子の妄執
戦の終わった王都の広場には、ただ静かな風が吹いていた。
魔獣の群れは退けられ、フェンリルは森へと戻った。
兵士たちは撤収の準備を進め、避難していた民たちも徐々に戻ってきていた。
血と土の匂いがまだ残る石畳の中央に、セラフィーナは立っていた。
その傍にはライグーー重厚な黒衣を纏いながら王の威厳をその身に宿しながら、静かに彼女を見守っていた。
ふと、声が聞こえた。
「……やはり、ここにいたか」
忌まわしいほどに滑らかな声が、空気を裂いた。
広場の端から白馬に乗った男が現れる。
金糸を織り込んだ白銀の軍服、誇示するように掲げられた王家の紋章――王太子ジルヴァン
彼はあの拘束されていた時のように、優雅な微笑を浮かべていた。
だがその眼はどこか焦燥と執着に濁っている。
「まったく……どうして私から逃げるんだ、セラフィーナ」
ジルヴァンは馬を降り、堂々とした足取りで彼女の前に歩み寄る。
その目に宿るのは一片の迷いもない欲望――自信に満ちた勘違いした男のそれだった。
「お前ほどの女は他にいない。戦場で奇跡を起こし神にも愛されたその力……やはり、私の妃にふさわしい」
その瞬間、広場の空気が一気に凍りつく――兵士たちも避難していた民たちも、誰もが言葉を失った。
だが、ジルヴァンだけは満足げに、当然のように続ける。
「この私の隣に立て。民の前で、再び『聖女』として君臨するのだ。もう、お前を追放などしないし許してやろう全てなかったことにしてやる」
「…………ぁ?」
静かに、けれど確かに――雷が落ちた。
ライグの顔が、瞬間的に引きつり目に怒気が宿る。
一歩踏み出すと、剣の柄に無意識に手がかかっていた。
「――なに言ってんだ、このクソ野郎が……バカなのか?なぁ、バカなんだよな?」
怒鳴りはしなかった。だが、声に込められた殺気は爆発寸前。
その場にいた獣人の兵士たちが、青ざめて慌てて動いた。
「へ、陛下っ!? ご乱心なさらないでください!」
「そ、そうです!俺も結構ムカついてますけど、今はまだダメですって! 今じゃないです!」
数人がライグの腕をそっと引っ張るようにして、なんとか鎮めようとする。
だが、ライグの目はジルヴァンを捉えたまま微動だにしない。
「…………はぁ……」
その場の空気が張り詰める中、セラフィーナがため息を吐いて、静かに前に出た。
「……少し落ち着いて。ね、ライグ」
その一言に、ライグの肩がぴくりと動く。
彼は目を伏せ、一度深く息を吐いた。
「……あぁ。すまん、セラ。つい手が出そうだった」
セラは小さく微笑み、彼の袖をそっと握る。
その目は、ライグにだけ向けられる、やわらかなものだった。
「お、王妃さまぁ……」
「あ、ありがとうございますぅ……」
涙を流しながらお礼をする兵士たちの姿に、ちょっとだけ同情してしまうのだった。
そして、彼女は再びジルヴァンの前に立つ。
「……あなたが何を許そうと、私の過去は消えません……私はあなたによって、信じていたものを失い、居場所を追われ、そして命を狙われました……そして、今さら「妃にふさわしい」などと……よく、そんな事が言えますね」
ジルヴァンの表情がわずかに歪む。
「……セラフィーナ、お前は誤解している。私はただ、お前を……!」
「黙れよ」
その瞬間――セラフィーナの拳が、音もなく、唸りを上げた。
鋭く踏み込み、振りかぶることもせず、正面からだった。
ゴンッ!!
豪快な音が響き渡る。
ジルヴァンの顔面に、拳が突き刺さった。
宙を舞い、王太子は地面に派手に転がる。
シーンと静まり返った広場。
次の瞬間、どこからともなくドスのような言葉が響く。
「――一昨日来やがれ、クソ野郎」
セラフィーナのぼそりとした一言が、場に落ちる──それは、あまりにも痛快で、あまりにも人間らしい一言だった。
数秒の沈黙ののち、笑い声が聞こえた。
「っ……ぷ……っくくく……っははははは!!」
「いいぞ王妃様!」
「聖女より強ぇぞ!あの拳!!」
「流石、『戦場の聖女』様だぁ!」
拍手と笑いが、広場を包み込んだ。
王都の民たち――嘗てセラフィーナを信じきれずに追い出した民たちの口から、初めて称賛の声が漏れた。
ジルヴァンは鼻を押さえて地面に転がりながら、なおも何かを言おうとしたが、誰も彼に耳を貸す者はいなかった。
そして――その姿が、哀れな道化として広場に刻まれた瞬間、セラフィーナはそっと振り返り、ライグのもとへ歩き出した。
その背中を、誰もが見ていた。
もう“聖女”としてではなく――“王妃”として、誇り高く在る女の姿として。
人々の視線がそっと彼女を見送り、広場に柔らかな余韻が残る中。
セラは、ふぅと小さく息を吐き、控えめに微笑んだ。
「……ふふ、少し本性が出てしまいましたわ。いけない、いけない……」
後ろから近づいたライグが、それを聞いてくすっと喉を鳴らす。
「俺の前では別に隠さなくていいぞ?そのままの姿も好きだ」
セラフィーナはぴたりと足を止め、横目で彼を見た。
「そ、それは……ちょっと……その、男みたいになるから嫌なんだ……あ、嫌なんです!」
慌てて言い直すその様子に、ライグはわざとらしく目を細める。
「クク……本当、可愛らしいな、お前は」
「なっ……!」
セラフィーナの頬が、見る見るうちに赤く染まっていく。
「そ、そんな、そんな事を、突然言わないでください……っ!」
顔を真っ赤にして手で頬を隠す彼女に、ライグはどこか嬉しそうに微笑んだ。
それは王としての顔ではなく――ただ一人の『男』の顔だった。
「……お前がどんな姿でも俺はお前を好きになるんだ。何度でも、な」
「~~っ!!」
セラフィーナはますます顔を伏せて、しばらく口を開かなかった。
だが、彼女の耳は真っ赤で、隠しきれない感情がにじみ出ている。
戦場の静寂のあとに訪れた、穏やかな時間――それは、王と王妃にだけ許された、束の間の幸福だった。
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