第50話 王都に迫る影
王都外縁部の静かだった村々に、不穏な風が吹き始めたのは数日前のことだった。
「……魔獣が、群れを成している?」
フェルグレイに届いた急報に、軍議室が緊張に包まれる。
王都近郊に位置する村々で、次々と魔獣の目撃が相次ぎ、しかもその数は常軌を逸していた。
報告によれば夜になると地鳴りとともに獣の遠吠えが響き、作物や家畜が襲われているという。
村人たちは避難を始めていたが、王都の兵の動きは遅く対応が追いついていない。
「ただの群れではありません……まるで、何かに導かれているかのような動きだと、斥候が言っていました」
報告を読み上げた将校の言葉に、周囲がどよめく。
その時、参謀の一人が震える声で呟いた。
「……フェンリル……」
「なんだと?」
「魔獣の群れの先頭に、一体……銀灰の巨獣が確認されたそうです。牙は剣、瞳は蒼き月――伝承にある《森の王》フェンリルの特徴に一致すると」
その名を聞いた瞬間、セラフィーナの身体がぴくりと小さく震えた。
「……」
その様子に、隣を歩くライグが眉をひそめる。
「……どうした、セラ?」
「いえ……ただ、少し……思い当たることがあるような、ないような……」
曖昧な返事をしながら、セラはそっと視線を落とす。
けれどその指先は、かすかに震えていた。
「フェンリルと聞いて……まさかとは思います。でも、もし本当に……あの『彼女』なら……」
「『彼女』?」
「ええ……幼い頃、森で出会ったんです。銀色の髪で、獣のような目をした少女に」
セラフィーナの声は、どこか遠くを見るように揺れていた。
「……名前も、何もわからなかったけれど、どこか人ではないような、不思議な存在で……だから、まさかとは思いますが――」
ゆっくりと顔を上げ、セラはぽつりと呟いた。
「……彼女、なのかもしれません」
思わず漏れた声に、周囲がセラフィーナを見る。
だがセラフィーナの瞳は、遠い何かを見つめていた。
脳裏に浮かぶのは、幼い日の記憶――森でひとり、祈るように泣いていた自分の前に現れた、大きな銀色の『狼』。
──彼女は名乗った、「我が名はフェンリル」と。
そして、言ったのだ。
――お前はよく笑うな……だから、嫌いじゃない。ときどき、見に来てやろう。
あれは、夢ではなかった。
彼女は、今も生きている。
そして、怒っている。
人間たちがセラフィーナを追放し、踏みつけたことに。
そう、まるで――自分の代わりに、怒ってくれているかのように。
「……私、行かせてください」
沈黙を破るように発せられたその言葉に、ライグがわずかに目を細める。
「……あの森へ、か?」
セラフィーナは静かにうなずいた。
「もし本当にそのフェンリルが彼女なら……止められるかもしれません。誰よりも怒っている彼女の心を少しでも……和らげられるなら、私は――」
言いかけたところで、ライグが歩み寄り、セラフィーナの肩に手を置いた。
「……セラ、お前は覚えているか。王都の者たちが、お前に何をしたかを」
その声には、静かに押し殺された怒りが滲んでいた。
「追放され、罪人として囚われ、見捨てられた……お前が癒したその手で、石を投げつけられたんだぞ。そんな奴らのために命を賭けようなんて――それでも、お前は行くのか?」
セラフィーナは、そっと目を伏せる。
「……あの人たちには、罪があるのかもしれません。でも、それは誰かを信じたかったという、弱さから来たことなんです……私だったら同じ事をやると思います。そして、忘れることもできません。でも……あの時、私を信じてくれた子どもや、祈ってくれた人がいた。その人たちまで、裁く理由にはなりません」
言葉のひとつひとつが、心の奥から絞り出されている。
それは、怒りでも悲しみでもない――『覚悟』だった。
ライグはしばらく黙っていたが、やがて静かに息を吐き、言った。
「……わかった。だが、一人では行かせない」
「陛下……いえ、ライグ」
「お前はこの国の王妃で、俺の……大切な女だ。守ることも隣に立つことも、俺の役目だろう?」
その言葉に、セラフィーナの瞳が微かに潤んだ。
「……ありがとう。私……あなたがいてくれるからきっと怖くないと思います」
その瞬間、夜風が静かに吹き抜ける。
窓の外には、戦の終わりを告げるように、静かな森が月明かりに照らされていた。
そして、二人は共に、戦場とは違う祈りの地へと向かう覚悟を固めたのだった。
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