第04話 手紙と新たな聖女
王都の外門を抜けて、しばらく歩いた。
足元の石畳はやがて途切れ、ぬかるんだ土の道へと変わる。
森へと続く、細い街道。
ここを超えれば、もう王国の管理下ではない──いわば、外。
空は灰色。
風はなおも冷たく、セラフィーナの旅装をはためかせる。
それでも、彼女の足取りは、もうさほど迷いを見せていなかった。
「──セラフィーナ様!」
呼び止める声に、セラフィーナは振り返る。
そこにいたのは、見覚えのある騎士だった。
銀色の鎧に深緑のマント。整った顔立ちと真っ直ぐな瞳──ロラン・ベリエール。王都の近衛騎士団に所属し、かつて前線にも赴いた男。
「……ロラン。どうしてここにいる?」
「私もただの兵士です。あなたの味方だとは……堂々とは言えません!ですが……」
彼はそっと懐から小さな封筒を取り出し、セラへ差し出した。
「本当は、この手紙だけを渡してすぐ戻るつもりでした。けれど……あなたが、一人で門を出ていく姿を見ていられなかった」
セラフィーナは黙って、その手紙を受け取る。
封筒は古びた羊皮紙でできていて、表には『セラフィーナ様へ』と丁寧な文字が綴られていた。
「──これは、前線であなたに命を救われた兵たちの言葉を、まとめたものです」
「……え?」
「祈りに救われた、あなたの歌声に泣いたあなたの手の温もりを忘れない。皆、感謝しています……けれど、王都ではそれを声に出すことすら憚られました」
セラフィーナの胸が、ぎゅっと締めつけられる。
「ありがとう、ロラン……」
彼女は、震える声でそれだけ言った。
ロランは、ふっと微笑む。
「私は、兵士です。聖女ではないあなたをそれでも敬いたい。癒しの力があるとかないとかではなく……あなたが命を見捨てず、自分自身が傷だらけになりながらも誰よりも先に泥に手を突っ込んでいたその姿を忘れることはできません」
その言葉は、どんな祝辞よりもセラフィーナの心に染み込んだ。
「この先が、たとえどんな場所であっても……あなたなら、大丈夫です」
ロランは深く頭を下げた。
まるで『女神』に捧げる祈りのように。
セラは静かに頷き、もう一度手紙を見つめる。
「確かに受け取った……本当に、ありがとう」
彼女の背を、ロランの言葉がそっと押した。
「神の加護があらんことを……いえ。今はそれよりも」
彼は少しだけ笑って、言い直す。
「──あなたに、どうか、幸せが訪れますように」
それを聞いたセラの瞳に、再び涙が浮かんだ。
静かに涙を流しながら、彼女は、再び歩き出す。
王都ではなく、祈りの名の下に縛られる世界ではなく──これから出会う、まだ見ぬ国と人々のもとへ。
手の中には、小さな手紙。
それは、彼女にとって大切なモノになるだろう。
▽
王城の奥にある応接室――重厚なカーテンに閉ざされたその空間では外の光も騒音も届かない。
その静寂の中で、王太子ジルヴァンと教会長ベネディクトゥスが向かい合っていた。
机の上には、一通の書状と、数枚の肖像画が並べられている。
「──で、教会としては、既に候補を決めているのだな?」
ジルヴァンがそう言って指先で書状を弾く。
「ええ……次期聖女候補として、ルクレツィア・ロスフェリア嬢を推挙いたします」
ベネディクトゥスは、まるで聖典の一節を唱えるように、淡々と応じた。
「名門ロスフェリア伯爵家のご令嬢。銀の髪に碧眼、礼儀作法に優れ、信仰心も深く──そして、何より穢れていない」
「……清く、美しく、疑いなき象徴と言うワケか」
「その通りです。民が求めるのは癒しの奇跡ではなく、希望を信じる形です。セラフィーナのように血と泥にまみれた者は、もう聖女ではいられません」
ジルヴァンはため息をひとつ吐いた。
「……正直に言え。あの女の癒しの力がまだ本物だと、お前は気づいていたのではないか?」
「ええ、もちろんです」
ベネディクトゥスはあっさりと認めた。
「ですが、王都の空気はもう彼女を許さなかった。あのまま彼女を抱えていては、教会も、王家も、内側から腐ります」
その言葉に、ジルヴァンは目を細めた。
「──必要なのは、力ではなく都合の良い奇跡、か」
「その通り。力の真偽より信じたいと民に思わせる象徴が重要です。ルクレツィア嬢はまさにそれに相応しい……見た目、血筋、物語……すべてが整っている」
ジルヴァンは肖像画を一枚取り上げる。
描かれていたのは、銀の髪を優雅に巻き上げた美貌の少女。
やや伏し目がちに微笑むその姿は、確かに『聖女』と呼ぶに相応しい見た目をしていた。
「……だが、祈りは?」
「形式さえ整っていれば構いません。祈ったフリで魔導士が仕込みを行えば、民は勝手に奇跡を信じます」
「……つまり、奇跡を『作る』ということだな」
ジルヴァンは肩を竦める。
「だが、いつかほころびは出るぞ?」
「それまでに国の体制を整えれば良いのです。聖女という存在は民心を制御するための『装置』に過ぎません。中身は要りませんよ」
沈黙が静かに落ちる。
ジルヴァンは立ち上がり、窓辺へと歩いた。
王都の街並みが広がるその景色を、静かに見下ろす。
「……セラフィーナは我々にとっては、都合が悪すぎた」
「まさに、それが真実でございます」
ベネディクトゥスは頭を垂れた。
「ですが、これでもう盤は整いました。見た目の聖女に、清らかな物語……あとは民がそれを信じればいいのです」
ジルヴァンは何も言わず、ただ窓の外を見つめていた。
遠く、王都の門が見える気がした。
あの門を出て行った女が、もしも『本物』だったとするなら──彼はその思考を、すぐに打ち消した。
もう、戻ることはない。
戻らせるつもりもない。
都合のいい真実だけが、王都を守るのだから。
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