第21話 白狐の帰還、静かなる波紋
重厚な扉がキィ……と静かに開かれた。
謁見の間に張り詰めていた空気が、わずかに騒めく。
高く磨かれた石床に、軽やかな足音がひとつ、またひとつと刻まれていく。
堂々たる赤絨毯の上を滑るように歩を進めるその姿――光を受け、流れるように揺れる銀白の髪。
その髪と同じく雪のように白い、しなやかな毛並みの耳がぴくりと動き、ふわりとした長い尾が静かに揺れていた。
──白狐族の名門令嬢、クラウディア・レイゼン。
清冽な気配を纏い、完璧に整った容姿は一歩ごとに人々の視線を惹きつける。
切れ長の金の瞳は涼やかに細められ唇には薄く、けれど確かな自信に満ちた微笑が浮かんでいた。
姿勢は美しく、動きは優雅であり、一挙手一投足に磨き抜かれた令嬢としての気品がにじみ出る。
だがその微笑の裏には、まるで研ぎ澄まされた刃のような冷たさがあった。
クラウディアはゆっくりと玉座の前に進み出ると、裾を払うようにして優雅にひざを折る。
「――ごきげんよう、陛下」
その声は、澄んだ鈴の音のように響く。
「お会いできて、光栄ですわ」
顔を上げた彼女の瞳は、まっすぐに玉座の主を見つめていた。
周囲の侍女や廷臣たちがざわりと息を呑む。
クラウディアの名は、誰もが知っていた。
かつて、王の正式な婚約者として名が取り沙汰された存在。
その白狐の令嬢が今、王の前にふたたび現れる──外交の名目を装いながら。
だが、謁見の間の主──黒狼の王であるライグ=ヴァルナークの表情は変わらない。
冷えた静寂が、ふたたび辺りを包み込む。
その中で、クラウディアの微笑だけが揺るぎなく咲いていた。
「……遠路ご苦労だった。外交名目と聞いているが──用件は明日聞こう……今日は、もう下がれ」
玉座の上から響いたのは、冷たくも淡々とした声音。
ライグは変わらない言葉と冷たさを持ちながら、目の前の嘗ての婚約者にそのように声をかける。
それでも白狐の令嬢──クラウディア・レイゼンは、崩さない。
唇に薄く微笑みを宿し、優雅に首を傾げて応じる。
「まあ……随分あっさりとしたお言葉ですわね。けれど──それがあなたらしさなのかしら?」
柔らかな声。しなやかな物腰。
だがその金の瞳の奥には、わずかに揺れる光があった。
それでも、ライグは応えない。
代わりに立ち上がり、鋭く側近に命じた。
「……必要以上のもてなしは不要だ。彼女を応接間へ……以後は任せる」
その言葉を最後に、黒狼王はくるりと踵を返し、静かに歩き出す。
重みある外套が揺れ長い黒銀の髪がふわりと靡いた。
彼の背が遠ざかっていくのを、クラウディアは涼しげな笑みを浮かべて見送った。
「──ふふ。あいかわらず、不器用なのね」
その声音には、どこか懐かしさすら含まれているかのように。
けれど、それ以上は言わない。
名残を惜しむ風も、未練をにじませる素振りもなく。
ただ、彼女は静かに、堂の奥へと続く回廊へ歩み出した。
王は、最後まで振り返らなかった。
「……あれ、ちょっとヤバイんじゃないですか?ライグ様」
「……」
側近の言葉に対して、微かに眉が動いていた事は、誰も知らない。
▽
「クラウディア様が城に!?」
「あの白狐の……?」
「以前の王様の『婚約者』だったんでしょ?」
その日の午後――王城のあちこちで小さな波紋が広がり始めていた。
きびきびと働く侍女たちの間に、微かなざわめきが走る。
耳打ち、ひそひそと交わされる声。
その内容は、一人の名を中心に渦を巻いていた。
「──本来、王妃になるはずだったのよね……」
「契約婚のセラフィーナ様とは違って、血筋も完璧だもの」
「戻ってくるための外交使節って話も……案外、本当かもね」
王城の石廊に、抑えた声がさざ波のようにささやかれる。
噂話は風に乗り、誰の耳に届いたかもわからぬまま静かに、確実に広がっていく。
──その頃。
離れの館の控えの間。
夕刻の光が窓辺から柔らかく差し込み、空気をゆるやかに染めていた。
「……セラ様」
そっと扉を開け、侍女のミリアが一歩、静かに足を踏み入れる。
セラフィーナは、机に向かって書類を整えていた手を止め、顔を上げた。
穏やかな表情に、淡い光が落ちる。
「クラウディア様が……王城にお戻りになったそうです」
「クラウディア様……噂している、陛下の元婚約者の肩だった人だな?」
「は、はい!」
その言葉に、セラフィーナは短く瞬きをした。
そして、ほんの数秒の沈黙ののち──ふ、と微笑む。
「……まぁ、そういう婚約者がいるのは当たり前だと、思ってはいたが……そうか、ついに来たか」
セラフィーナの顔は柔らかく、静かな笑みだった。
けれどその裏で、胸の奥には確かに何かが波立ち始めていた。
冷たくはない――そして、決して温かくもない。
静かに広がっていく感情の波紋が、心の輪郭を淡く揺らしていく。
「あ、えっと、お水をお持ちしますねセラ様……!」
気遣わしげに声をかけてミリアは小さく頭を下げ、部屋を出ていった。
扉が閉じられたあと、セラフィーナはしばしのあいだ、静かに窓の方へと視線を移す。
暮れなずむ空、遠く王城の尖塔のひとつに、金色の夕光が落ちていた。
──きっと、彼女は今、あの中にいるのだろう。
セラフィーナは目を細める。
強い光ではなく、ただ、静かに見つめるような光。
彼女の胸にもまた、ひとつの想いが灯っていた。
(私は所詮、契約した妻だから、愛などない……守ってもらう為に、陛下の妻になった……でも――クラウディア様の婚約者をある意味奪ってしまったのも事実だ……)
セラフィーナはそっと目を閉じる。
きっと、間違いなく自分の元へ来るに違いない。
彼女は静かに窓の外に視線を向けながら、これからの事について考えるのだった。
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