第02話 穢れた聖女
セラフィーナは、王都に戻ってわずか数時間後、王城へと呼び出された。
緊急ではなく、儀礼としての召喚──その扱いが何よりも彼女の立場の変化を物語っている。
嘗ては魔道馬車が用意され、神官たちに囲まれながら鐘の音とともに迎え入れられたはずの城門――しかし今は、一人で静かに石畳を歩く足音だけが響く。
衛兵たちは一様に無言だった。
目を合わせてくる者はいない。
視線を逸らされ、まるで触れてはいけない存在を前にしているかのように。
もう、この国は自分を見てくれない。
セラフィーナはその事実を痛みではなく、冷たさとして感じていた。
謁見の間の扉が開いた。
奥には、玉座に座す若き王太子、ジルヴァン・エルクラウスの姿があった。
その隣には、教会長ベネディクトゥス・オルデリオ。
神々しい銀装束に身を包んだ男の目は相変わらず感情の読めない氷のような光を宿していた。
「……セラフィーナ・ミレティス。戻ったか」
ジルヴァンの声は落ち着いていた。
だが、温かさは一切ない。
「はい。魔族軍は退けました。犠牲は大きかったものの前線は安定し、避難も完了しています」
セラフィーナは静かに、報告の言葉を述べる。
「そうか……ご苦労だったな」
そう言ったジルヴァンは、微笑むどころか、眉一つ動かさなかった。
その沈黙を破ったのは、ベネディクトゥスだった。
「だが問題がある、聖女殿。あなたの『祈り』について、だ」
セラフィーナは顔を上げる。
「……『祈り』が、何か?」
「戦場で幾度となく使われたとの報告は受けている。しかし、あなたは血と死にまみれ、魂の穢れを受けた。聖性が損なわれているのではないかと懸念されているのだ」
「それは……」
否定しようとした言葉を、喉が塞いだ。
確かに彼女は何度も、死に瀕した兵の手を取り、命が尽きかけた者の血に塗れた。
だがそれが、聖なる力を失わせる理由になるのだろうか?
セラが口を開く前に、ジルヴァンが静かに言った。
「お前の祈りが、今なお確かな力を持つというなら……ここで証明してみせよ」
「……!」
「お前の『祈り』が正しければ、彼の痛みを消せるはずだ」
セラの目の前に、一人の男が連れてこられる。
老いた兵士――疲労で足を引きずっており、片腕には包帯が巻かれている。
ここは、聖堂でも戦場でもない。祈りの意味が根付く場所ではない。
それでも──セラフィーナは黙って、兵士の前に跪いた。
静かに祈りの言葉を紡ぎ、魔力を込める。
――しかし、何も起きなかった。
光は灯らず、癒しの気配もなかった。
「っ……」
確かに力は残っているはずだった。
だが、今は出ない。
魔力の枯渇か、それとも何かの影響なのか。
「――やはり、祈りは乱れているようだな」
ベネディクトゥスの声は冷徹だった。
「癒しの力を失った聖女はただの一人の女に過ぎない。穢れを広めぬうちに然るべき措置を取る必要があるだろう」
「……」
セラフィーナは拳を握りしめた。
癒しが起きなかったのは、自分のせいではないと分かっている。
けれど──今の彼らに、それを証明する術はない。
ジルヴァンの口元が、わずかに歪む。
「セラフィーナ・ミレティス。お前の聖女としての務めはここで終わりだ」
宣告は、あまりにも静かだった。
王城の中庭に、厳粛な鐘の音が響いていた。
その中心に設けられた石造りの壇上には白い布が敷かれ、その上に魔道具が置かれている。
この魔道具は記録を残す魔道具だ。
この場の出来事はすべて、映像と音声として記録され、後世の『聖教の記録』として保存される。
教会の聖職者によって正式な除籍儀式が行われるため、これは形式的には聖女の最後の務めとされていた。
だが、壇上に立つセラフィーナの胸には名誉も誇りもない。
壇の下には、王都の民が集まっている。
彼らは一様に静かだ。
中には憐れむような顔を向ける者もいれば、明らかに侮蔑の視線を投げる者もいた。
そして壇の正面には、王太子ジルヴァンと、教会長ベネディクトゥスが並んで立っていた。
「本日をもって、セラフィーナ・ミレティスは聖女職を解かれ王国より除籍とする」
ベネディクトゥスの言葉が、重々しく響く。
「理由は明白。戦場にて多くの血と死に触れ、聖なる魂を穢したため。その祈りは不安定となり、癒しの力を失いつつある。もはや『聖女』として国と民を導くには不適格と判断する」
セラフィーナは、ぎゅっと拳を握りしめた。
「……力は、まだ残っています」
声を震わせずに言えた。
彼女の中に、確かに力はまだある。
「……ただ、あの場では……」
「祈りが発動しなかったという事実が全てだ」
ジルヴァンが言葉を遮った。
冷たい声音で、容赦なく。
「民は、象徴を必要とする。だが穢れた者では国の信仰と秩序を乱すだけだ。お前には感謝している……戦場での働きは称賛に値する──だが、役目は終わった」
セラフィーナの視線が、壇の端に設置された水晶板に向かう。
あの魔道具が、今この瞬間も、すべてを記録している。
──なら、構わない。
今は信じてもらえなくても。
この記録が、いつか誰かの目に触れるなら。
彼女は口を閉じた。
潔白を叫んでも、信じる者などいない。
ならば、誇りだけを胸に抱いて、この場を去る。
それが彼女にできる、最後の尊厳だった。
「セラフィーナ・ミレティス。これより、あなたは王都に留まることを禁じられます。今後は国外にて生き二度と王国の名を騙ることなきよう──」
ベネディクトゥスの宣言と同時に、神官たちが動き、セラの身につけていた聖女の証である白銀のブローチが取り外された。
その瞬間、観衆の中でざわめきが起こる。
「あれが、戦場で穢れてしまった聖女?」
「力を失ったのに、まだ神の名を語ろうとしてるのか?」
「魔物に魅入られたのかもしれん」
耳に入る言葉のすべてが、胸に棘のように刺さる。
けれどセラフィーナは、一言も発さなかった。
その沈黙が、逆に彼女の気高さを際立たせたことに、周囲は気づかない。
王太子が、最後に言った。
「……セラフィーナ。お前はもうこの国に必要とされていない。それだけは、理解しておけ」
――それは、宣告だ。
セラフィーナは一礼もせずに壇上を降りた。
振り返ることはない。
風が吹く――春の気配を含んだ、まだ冷たい風だ。
けれどその風は、どこか自由の香りがした。
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