第11話 玉座の王。
その朝、宿舎の扉が静かに叩かれた。
「セラフィーナ・ミレティス殿──王城より、お呼びがかかっています」
呼びかけたのは、近衛の一人。
見慣れた黒の装束に、礼を重んじた口調。
けれど、その背筋はいつもより硬く見えた。
「……王城、ですか?」
セラフィーナは寝台の脇に置いていたマントを手に取りながら、問い返した。
声は落ち着いていたが、指先はわずかに震えてしまっている。
昨夜は遅くまで滑落事故の治療記録を書き留めていたせいで、寝不足だったはずなのに──その一言で、目が冴えてしまった。
「正式な謁見です。玉座にて、国王陛下自らがご対面を希望されています」
「……わかりました。すぐ支度をします」
扉が閉まり、静寂が戻る。
(こうなる事はわかっていたが、正直やっぱり偉い人に会うのはいやだなぁ……)
セラフィーナは深く息を吸い、ゆっくりと吐き出す。
胸の奥で、何かがざわついている。
それと同時、正直上に立つ者たちに関しては良い思い出がない。
(王と……『直接』……)
ふと、あの日偶然声を交わしたあの男の事が頭をよぎった。
声、雰囲気、まなざし。すべてが不思議で、けれど妙に記憶に残っている。
何故その時、その男の事を思い出したのか、セラフィーナにはわからない。
「落ち着いて……これはただの『謁見』だ。国の礼儀に従うだけ」
自分にそう言い聞かせながら、セラフィーナは肩掛けの外套を羽織り、手を合わせる。
胸元に触れた手は、心臓の鼓動と同じリズムで震えていた。
▽
王城の正門は、厚い扉と高い塔で構成された重厚な造りだった。
セラフィーナが足を踏み入れると、すでに中庭から衛兵たちが整列していた。
「セラフィーナ殿、こちらへ」
近衛に案内されるまま、セラフィーナは回廊を進んでいく。
風が吹き抜ける石造りの廊下。
陽光は差しているのに、どこか冷たさが残るその空気が、緊張感をさらに強めた。
彼女が通された先は──謁見の間。
王が座す、もっとも格式ある空間だった。
(……いよいよ、か)
セラは小さく息を整え、足を進める。
そして──静まり返った石造りの広間に、硬質な足音が響く。
天井の高い謁見の間。
燭台の火が揺れ、重厚な赤絨毯が玉座までまっすぐに伸びている。
その先、段を上った玉座には、威風堂々とした姿があった。
──黒銀の髪。獣のように鋭い金の瞳。
長身の体に、黒い礼服と肩章をまとい、玉座にあってなお、空気を圧倒する存在。
それが、この国の王。
黒狼王《ライグ=ヴァルナーク》。
(……まるで、獣の王……)
セラフィーナは、息を呑んだ。
その威容は、王というよりも野に君臨する獣そのものだ。
人と獣人が共に暮らす国の頂点に立つ男の姿だ──そして、彼の顔ははっきりと見えているのに。
セラフィーナはどこか、引っかかる感覚を覚えていた。
(ん?なぜか、何処かで見た事あるような気がするんだが……)
しかし、すぐに思い至らない。
その時のセラフィーナは、以前会った変質者扱いした男と、目の前の堂々たる王を、結びつけられるはずもなかった。
「――お入りください、セラフィーナ殿」
「あ、は、はい」
王の側近が名を呼ぶ。
セラフィーナは軽く息を整え、絨毯を一歩一歩、進んでいく。
足音が広間にこだまするたびに、背筋が自然と伸びていく。
恐れはあった。だが、それ以上に、今の自分を偽りたくなかった
玉座の前に立ち、膝を折る。
「……セラフィーナ・ミレティス。王の御前に参りました」
その姿を、王はじっと見下ろしていた。
表情は読み取れない。だが、長い沈黙の後──静かに、言葉が下りてきた。
「お前が……あの癒しの力を使った者か」
セラフィーナはゆっくりと顔を上げる。
黄金の双眸が、まっすぐに彼女を見ていた。
「はい。ですが私はただ……助けたかっただけです。そのために、力を使わせていただきました」
「……随分と、下を見ているのだが」
セラフィーナは少しだけ微笑んだ。
「はい……嘗ては『聖女』と言うモノをいただきましたが、今は違います。一回の、ただの女が、助けたいと言う気持ちで使っただけの事であります……それが人間であれ、獣人であれ、関係ありません。私は目の前に傷ついた相手がいれば、必ず助けます」
「……」
ライグの眉が、わずかに動いた。
その目には何かを見据えているかのように。
「……なるほど。噂に違わぬ者のようだ」
その一言に、側近たちがざわめきかけたが──王は手を軽く上げて制した。
静寂が戻り、再びその声が響く。
「セラフィーナ・ミレティス。お前に……この国における特別な『立場』を与えることを検討している。それについて話を聞く気はあるか?」
セラフィーナの目が見開かれる。
「……立場?」
「お前の力で、我が国の民は救われた。それに、民の間でも……既にその名は知られ始めている。この国でお前を守ることは、国としての責任でもある」
そこまで言って、王の声が一段低くなった。
「だが、今のお前は余所者であり役職もない。それは、必要以上の軋轢や不安を生む──お前に『名目上の役割』を与えたい」
その言葉を聞いて思わず言葉を失った。
(……名目上の『役割』?え、何させる気だこの人?)
この時、彼女はまだ気づいていなかった。
王の口から語られるその『提案』が──後に彼女の人生を大きく変える始まりになることを。
そして、何よりも──目の前の王が、あの日出会って失礼な事を言っていた男だと言う事に、気づかないまま。
読んでいただきまして、本当にありがとうございます。
「面白い!」「続き読みたい!」など思った方は、ぜひブックマーク、下の評価を5つ星よろしくお願いします!
していただいたら作者のモチベーションも上がりますので、更新が早くなるかもしれません!
ぜひよろしくお願いします!