第1話:曖昧な空に死神は立つ
空は何色だろう?
空色? それとも雲の白? 夕焼けの赤? 夜の黒金?……人それぞれ違うのかもしれない。
そんなことを考えながら、俺はもう一度布団に潜り込んだ。7月28日、俺の誕生日。祝ってくれる人なんて、もういない。両親は早くに他界して、今はこのボロアパートで一人暮らしだ。
今日は仕事が休みなので寝ていた。二度寝というより、ほとんど眠れずに目が覚めてしまったので、天井を見上げた。見えたのは、もちろん天井。黒いシミが、人の形に見える。
お腹が空いたので、起きて何か食べようと前を見ると――鎌を持った少女がいた。
「……誰なんだ、あんた?」
少女は無表情のまま、静かに答える。
「死神かな」
曖昧な返事に、苛立ちがこみ上げる。
「……結局、死神なの? それとも別の何か? 名前は?」
「名前を聞いてるならそう言ってよ。……まあ、ルカ、かな」
7月28日、午前8時48分。俺は、“死神かもしれない”少女に出会った。
とりあえず、こいつ――ルカは、そういう性格なんだと割り切った。それよりも、もっと重要なことに気づいた。
「死神ってことは……俺、死ぬのか?」
勢いよく布団を跳ね上げ、ルカの肩を掴んだ。ルカは突然の接近に、少し驚いた顔を見せた。そして俺の手をそっと払いながら、こう言った。
「死神って言っても、別に殺しはしないから」「そもそも死神って、人を殺すわけじゃなくて、“死期が近い人”に現れるの」
つまり俺は、“死期が近い”らしい。
「もしかして……今日の朝ごはんが、最後の晩餐ってこと?」
「まあ、そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないかな」
「とりあえずお腹空いてるなら、朝ごはん早めに食べたら? 最後の晩餐かもって思う前に」
確かに、考えたところで意味はない。いつ死ぬかもわからないのなら――思いっきり楽しんだ方がいい。そう思って、冷蔵庫を開けた。
空っぽだった。昨日、全部使い切っていたのを思い出す。
コンビニにするか、スーパーにするか――悩む間もなく。
「とりあえず、外出たら? 何もないなら」
ルカの言葉に背中を押されて、俺はアパートを出た。
外は真夏なだけあって暑かった。天気は曇り。そのせいか、湿気がひどく、まるでサウナのようだ。
とりあえず、コンビニに向かおうとした――その瞬間。横からトラックが飛び出してきた。
俺は悟った。
あっ、これ、完全に死んだな。
そして、目を閉じた。
――ドンッ。
背中を押され、俺の身体は弾かれるように地面へ転がった。
目を開けると、空が広がっていた。灰色の空。まるで人が死んだことを示すかのように。
俺は、あの少女――ルカに助けられた。死神に、助けられた。
出会って数分、名前すら曖昧な俺のために。――その少女は、命を投げ出した。死神なのに。
申し訳なさと、悲しみと、混じりあった何かで、涙があふれた。慌てて手で顔を覆った。
そのとき、声が聞こえた。ルカの声だ。
「……どうやら俺には、幻聴がするらしい」
苦笑まじりに呟いたその時――
「そんなわけないじゃないですか」
今度は、はっきり聞こえた。目を開けると、そこにはルカがいた。
「お前……どうして生きてるんだ? トラックに轢かれたんじゃ……?」
慌てて問いかけると、ルカはため息をついて言った。
「私は死神ですよ。死神が死ぬわけないじゃないですか」
「でも……実体あるなら、死ぬんじゃ……」と言いかけると、
「死にませんよ。そもそも死神は“死期の近い人”にしか見えないんですから」
――そうか。俺は、死神のことを何も知らなかったらしい。
「……泣いてるんですか?」
「泣いてない」
思わず、強く返してしまった。でも、目の奥がじんじんと痛かった。
「そもそも……なんで俺を助けた? ルカ、死神だろ?」
助けられた理由が知りたかった。だって、死神に助けられたんだから。
ルカは、静かに呟いた。
「……私は、本来、“見送るだけ”の存在だった。触れず、踏み込まず、ただそこにいるだけ。でも……君の目が。どうしても、目を離せなかった」
それは、今までの無表情なルカとはまるで別人のような声音だった。
そして彼女は、再び淡々とした調子で質問してきた。
「そういえば、名前なんですか? 私は答えたのに、あなたが答えないのはおかしくないですか?」
ああ、そういえば答えてなかったな。今さら気づいた。
「俺の名前は……榊原朔夜。榊原朔夜だ。よろしく」
7月28日、午前9時11分。俺は、死神に助けられた。
そしてきっと、これは“死”じゃなく、“生”の物語の始まりだった。
空は、今日も曖昧なまま――けれど、悪くないと思えた。