天使はどっちだ(番外編)
「天使はどっちだ」の続きです。
番外編として書いているのでシリーズでまとめました。
「来たわ、3時の方向から4名!」
私は今、東側に位置する部屋の窓から遠眼鏡を覗き、ターゲットを待ち伏せている。
事は、内々に進められている王太子妃教育にある。
婚約者に内定したとはいえ、正式な式はまだ先で日取りも決まっておらず、今は、婚約者候補というポジションだ。
侯爵家の子女としてマナーは学んできたが、それでは不充分なので、毎日のように登城して教育を施されている。
教育係のマイヤー夫人は王妃様のお側仕えとして、長く勤め上げてきたベテランで、私のような小娘など、笑顔で何時間も勉強に縛り付けることが可能な敏腕教育係でもある。
その夫人と、歴代教主の名前を一晩で覚えることを条件としてでも勝ち取りたかったのが正午前の休憩時間。
この時間は「午前の議会を終えた王太子様が外廊下を通る」からだ。
外廊下の位置は丁度、この部屋の窓から見える場所にあり、距離はあるが、遠眼鏡を使えば表情だって見えるくらいにクッキリハッキリ見えるのだ。
今日も時間通りに、王太子様と側近3名が外廊下を通る。
その時間、約8秒。
だがしかし、私の体感では3分間ほど。
じっくり舐め回すように、瞬きする間も惜しく観察すると、スローモーションにも見えてくる。
真冬の冷たい空気に鼻頭を少し赤くした、少し可愛らしいお顔が今日の王太子様。
後ろを歩く側近の1人が何かを話しかけて横並びになり、王太子様の姿を覆い隠すようなフォーメーションになった。
「もしかして、私の盗み見がバレてしまった?側近の方々のお仕事増やしてしまったかしら?」
お姿が隠れたのは一瞬で、盗み見発覚は気のせいだったようだ。
「白いファーの付いたマントがお似合いね。男性でファーが似合うのはアヴェル様くらいのものよ」
ふむふむと納得しながら、御一行が建物の中に入っていく姿を見送った。
「ふー、今日のアヴェル様も素晴らしかったわ」
目的が達成出来て、私はニンマリと微笑みを浮かべた。
◇ ◇ ◇
大きな執務机が置かれた部屋で、ウォルナットの落ち着いた色合いの椅子に腰掛けているのは輝く程の美丈夫だ。肘を付き片手を額に当てがい物憂げな表情を浮かべている。
「妹が王城に通っているのに浮かない顔ですね王太子様」
表向きは王太子付きの補佐として仕事をしているのは、侯爵家次男アストリットの兄マーセルだ。
「ここだけの話だが、遠いと思わないか?アストリットとの距離が」
「え?断然前より近いと思いますよ。会おうと思えば毎日の様に会えますし」
「それはそうなのだが、何とも心に距離があるんだ」
「あ、あれですか?午後のお茶の時間にアストリットがずっと扇で顔を隠していた事ですか?」
「確かにそれもある」
「それじゃあれですか?昨日、帰り際に手を握ったら妹が硬直して動かなくなった事ですか?」
「それもそうだが、あの時のアストリットのポカンと開いた口は可愛らしかったから、それはいい」
「それはいいんだ。それじゃ、何が駄目なんですか?今一わからなくて」
「アストリットと目が合わないんだ‥」
思わず「わかる!」と言いかけてマーセルは口をつぐむ。
「近くに居ても私の目を見てくれないんだ。私はこんなにアストリットの瞳に映りたいと思っているのに」
あー始まったよ、とボヤきながらもマーセルは聞き役に徹する。
「男装のアスターの姿だけで会っていたから、王城で令嬢として着飾ったアストリットを見た時は、天使が絵から抜け出てきたのかと思ったんだ。近づいて言葉を交わすまで、私はただ天使に一目惚れの片想いをしたのだと、己の記憶を疑ったくらいだ。改めて挨拶を交わし、オスカーではなくアストリットとして向き合えたのに、この遠さは何なのだろうか?」
早口で一気に己が気持ちを吐き出した後、考え込んでしまった王太子に、こんな腹黒でも普通に恋して悩むとかあるんだなと驚きの気持ちを隠せないマーセルだった。
◇ ◇ ◇
早朝からバーン家の使用人達が忙しなく働いている。
床は磨いたのか?飾る花の数は足りているか?等、来客に備えてのチェックに余念がない。
「今まで何度も来ているから、いまさら取り繕っても仕方がないのにね」
呆れ気味にアストリットが呟く。
王太子様がウィルという仮の姿で来ていた事を知らない家令が、張り切って家を飾り立てているからだ。
「王太子様がいらっしゃるのだから、家令として失礼の無いように勤めたいのだろう。今更とか思ってやるな」
「そうね。お仕事熱心な家令に感謝するわ」
ご挨拶をするべき父は、ここ数年はカントリーハウスで過ごしている。
「もう王都は懲り懲りだ、国王にはもう充分に働かされたからな」
と言う不敬な言葉を仰って、ここ数年は領地から出ない暮らしをしている。
母は若い頃の父の苦労を知ってか、父の側で穏やかに暮らせる事を楽しんでいるし、1番上の兄は王城に泊まり込んで帰ってこない。
なので、このタウンハウスに王太子様がやってきても、ご挨拶出来るのは私とマーセル兄様だけなのだ。
婚約の事はまだ公になっていないので、王太子様はお忍びとして、バーン侯爵家へやって来る。
2階にある見晴らしの良い窓辺から眺めていると、屋敷の前に王家の家紋を隠したお忍び用の馬車が到着した。
馬車の中からは濃紫色のローブを纏った王太子様が降りてきた。頭からすっぽりとフードを被り顔は全く見えない。
慌てて一階の玄関ホールに降りて行くと、丁度王太子様が優雅な所作でローブを脱ぎ去る所だった。
曇り空の隙間から眩い太陽が現れ光が差すように、輝くような麗しいお顔が現れ、眩しさに目が眩むようだった。
「ひ、光が強すぎて最早目に毒」
「それは気の毒に、主に王太子様の方がな」
妹の重すぎるリアクションに、改めてどうにかしなくてはと決意を固めるマーセルなのだった。
◇ ◇ ◇
(マーセルと王太子/マーセル視点)
王太子であるアヴェルと俺は、子供の頃からの付き合いだ。
バーン侯爵である父は、王太子と同い年の俺を遊び相手として時折、王城に連れて行っていたのだ。
王太子様が武術も勉学も器用にこなし容姿も優れているとあれば、凡庸な人間は必要ないだろうと、俺はアヴェル様を敬遠していた。
そんなある日、王妃様主催の読書会に放り込まれた俺は酷く困惑していた‥。
アヴェル様の話し相手として招かれた同年代の高位貴族の子息たちが、経済書や詩集などを片手に集まっていたからだ。
9歳の俺に経済も詩集も早すぎはしなかったが、如何せん全く興味が無かった。
皆、口々に本の良かった所を述べていく中、不敬だとは知りつつも、
「お、お腹が痛くなりまして。退室させていただきます」
そう言って席を立った。
実際、このまま居たら本当に腹が痛くなりそうだったので、俺は脱落することを選んだのだ。
読書会を抜け出した俺は、王城の中庭で父を待つことにした。
中庭は人目が多くて安全だし、噴水や庭もあるので退屈しなかったからだ。
噴水の水飛沫の動きを見ていたり、花壇に迷い込んできたを虫を追っかけたりする方が読書会より何倍も楽しかった。
春の花壇は色とりどりの花が咲き乱れ、大小様々な蝶々が飛び交っている。
蝶を捕らえて、手の内で見ることはできないかと俺は先ほどから掴みかかるように蝶へ手を伸ばしていた。
「‥それでは、いつになっても捕まらないよ」
同年代の子ども声が、ひどく落ち着いた口調で話しかけてくる。
振り返ってみるとアヴェル様で、お供も付けずに1人立っていた。
「沢山お話をして少し疲れたからね。ちょっと休みたいと我儘を言って出てきたんだ」
疲れてもいないのに中庭で休んでいたもっと我儘な奴は俺です‥、と顔に書いてあるような自分には返す言葉もなかった。
「君はバーン侯爵の息子、マーセルだったよね。あまり話をする姿を見た事が無いように思うのだけど、君は会話が好きではないの?」
言われてみれば、アヴェル様以外の貴族子息とも話すことがあまり無かったと思い返す。
「そんなことはありません。ただ、皆はアヴェル様とお話をする為に来ているので、僕がお引き止めしてはいけないと思って」
「蝶を捕まえるのは会話より楽しいの?」
「い、いえ、決してそんなことはございません!」
「無理しなくても良いよ。僕だってそう思うから。そうだ!明日もこの時間にここに来てくれるかな?侯爵には僕の方からマーセルを連れてきて欲しいと伝えておくから。あと、もしあれば虫を取る網とカゴの用意もしてね」
「???」
「ふふっ、楽しみだな!」
俺が、アヴェル様にロックオンされた瞬間だった。
次の日、アヴェル様は昆虫図鑑を片手に俺を待っていた。
「これは勉強だからね。生物の学習さ」
王太子付きの側近に「庭からは出ないから、そこで待っていて」
と言い残し、俺の腕を掴んで庭の奥の方まで進んでいく。
「はぁー、ようやく撒けたよ。君は多分、口が硬い方だよね。僕の自由時間作りに、これからも協力してくれない? あ、虫を捕まえたいのは僕も同じだよ。仲間が欲しいと思ってたんだよね。ふふふっ、ちょうど良いよね。僕たち趣味が合いそうだし」
急に饒舌になったアヴェル様に慄きながらも、俺は心がフワフワとしてくるのを感じていた。
「こういうアヴェル様って悪くないよな。人間味あるっていうか‥。仲間って言われた‥」
呟きながら、アヴェル様の横顔を見る。
今まで見た中で、1番キラキラした笑顔だなと思った。
◇ ◇ ◇
最近のアストリットの態度とアヴェル様の反応を見ていて、このままではいけないと思った俺はとある作戦を思いついた。
名付けて、
『フュージョン作戦!!ウィルとアヴェル様を一体化しちゃうぞ!』
だ。
王太子の姿のままでアヴェル様を我が屋敷にお招きし、ウィルだった時と同様に遊んで過ごせば、アストリットのバグった頭を治せるのではないかと考えたのだ。
いけるかフュージョン!?
やれるかフュージョン!!
そして、その為には手段を選ばないつもりなので秘策も考えてある。
先に謝っておくよアストリット、アヴェル様。
でも、きっと俺に感謝をする日がきっとくるぜ。
多分な。
◇ ◇ ◇
ーー(ひき続き、マーセル視点)
俺は今、やる気に満ちている。
甲斐甲斐しくも、このカードゲームの場において司会進行、世話焼き中だ。
「次はアヴェル様の番ですよ」
「あぁ」
客間のいつもと同じ場所に腰掛けてアヴェル様がカードを引く。
欲しいカードでは無かったのか、そのままカードを場に返す。
「アストリットの番だろ?早く引けよ」
「アストリット??」
アストリットがカードで顔を隠して固まっている。
何だこの空気、めちゃくちゃ面倒だぞ。
「兄が代わりに引いてやろうか?」
「大丈夫です。自分で引けますわ」
そっとカードを目元から下ろしたアストリットは横目で、何度もアヴェル様を見ている。
近くで観察していて分かったのだが、アストリットはアヴェル様と目が合わないだけで、実は無茶苦茶良く見ているのだ。
それこそカードで目元を隠しているだけで、実はカードの隙間からはガン見している。
よく見ているからこそ、目が合いそうなタイミンングで逸らす事が出来るのだ。
もう武芸の域にまで達しそうな盗み見スキルと言える。
「アストリット。頑張る方向が違くないか‥?」
妹の分かりづらすぎる好意の表し方に、げんなりしながらも秘策の成功を願うのだった。
◇ ◇ ◇
(アヴェルの思い‥/アヴェル視点)
あまり手応えが無いままにカードゲームを終えてしまった。
アストリットの口角が、何か笑いを耐える様に上がっていたのは何故だろう?
そんなに面白い展開があったように思えなかったのだがな。
ゲームを仕切っていたマーセルが途中から無口になったのも解せない。
「斯くなる上は、あれをやるしか‥」
と呟いた声を聞いてしまったので、少し気になっている。
さぁ、これからは久しぶりにアストリットと剣の手合わせだ。
アストリットはドレスから動きやすい乗馬服に着替えてくるので、お茶を飲みながら待っている。
外で素振りをしながら待っていても良かったのだが、家令が目を光らせているので大人しく客間で待たせてもらう事にしたのだ。
アストリットの剣は研ぎ澄まされていてブレがない。
当たり前のように有るべき線を辿るように切り込んでくる。
こちらの集中力が切れたら踏み込まれて終わりだ。
軽いように見えて、剣を受け止めると重い。
受け止めたアストリットの力が体を侵食し、痺れるように感じるのは癖になる。
打ち合いを終えた後は、いつもアストリットの剣技の質が残した余韻と、可憐な表情の残像に打ち震える。
こんなに心を震わす存在があって良いのだろうか?
僕は一目惚れなんてものはないと思っていた。
一目見ただけで好きになるなんて相手にも失礼だし、思考の欠如だ。
熟考した上で、敬愛すべき相手だと知り、心を揺れ動かされるのだと信じていた。
だがアストリットに合って、それは変わってしまった。
全てが逆だったんだ。
僕が見たアストリットは男の姿をしていたけれど、一つ一つの表情に引き込まれて、熱に浮かされたようになった事を覚えている。
惚けた頭をスッキリさせたくて剣の手合わせをお願いしたけれど、それが僕には決定打。完全に囚われてしまったと自覚した。
僕の様子を見かねたマーセルが「実はアスターは男装している妹なんだ」
と、こっそり教えてくれなかったら、今頃アスターを囲い込むことに向けて暴走していたかもしてない。
僕はアスター姿の彼女に翻弄された。
何度心を動かされ、何度恋に落ちたか分からない。
本当の姿を明かして嫌われるのが怖かった。
そんな弱い自分がいた事に気づいた時は驚いたし、彼女を手に入れる為に、国の重鎮をも抑え込める強い力を求める自分は想像外だった。
今もアストリットの姿をしているアスターに、何十回目かの恋をしている。
僕の気持ちがこんなに重いなんて、アストリットは知らないよね。
◇ ◇ ◇
(残念な戦い‥ / アストリット視点)
寒風が吹き荒ぶ中、私は王太子様と剣を合わせている。
あれほど直視出来なかった御尊顔も、剣を握っている今なら落ち着いて見られるから不思議だ。
王太子様の透き通るように綺麗な肌が、冬の冷気に晒されているのが見ていて痛々しい。
それでもお互いに剣を持ったなら集中あるのみだ。
スッと空気を切って動き出す。
剣だけではなく、全体、全身の動きを感じ取らないと初動が遅れる。
私が胴へ切り込もうと踏み込めば、剣は横に薙がれてしまう。
背の低い私が狙うのは胴や腕だ。
時には振りかぶって頭を狙うが、それは相手に胴を開けさせる為のフェイント。
王太子様は私の剣を避けたり薙いだりと、なかなか攻撃に打って出ない。
何度切り込んでも返されてしまうので、息が切れてきた。
ただ、見上げた王太子様の顔がいつになく赤く、いや赤過ぎる気がする。
「ちょ、ちょ、ゆ、ゆれ」
何かを仰りたいみたいだが聞き取れない。
「ちょ、ちょっとそれは予想外‥」
王太子様の剣を握る手がブレて、いつになく隙だらけになっている。
「たぁーーっ!」
私は王太子様の脇腹に見事な1本を決めた。
◇ ◇ ◇
(残念な王太子 /マーセル視点)
「アヴェル様、大丈夫ですか?もう落ち着きましたか?」
アストリットに剣で1本入れられた王太子は「休ませてくれ」との言葉の後に、客間へ籠った。
「大丈夫だから」と言い残し、人払いをして半刻が経過している。
俺は扉を軽くノックして様子を伺う。
我が家で王太子様に何かあろうものなら、いくら懇意にしている仲であっても首が飛びかねない。
家令も医者だ薬だのと、忙しなくしている。
剣で1本入れてしまったアストリットも顔色を悪くしていたので、今は私室に戻らせている。
「もう入っていい。心配かけたな」
アヴェル様に部屋に招き入れられ、ドアをガチャっと閉じられる。
「ちょっと2人だけで話をしたくてな」
何かあった事だけは明白だ。
聞きたく無いと咄嗟に思ったが、これはまたあれだろう。
聞かなくてはいけないパターンなんだろうな。
「あのな、揺れていたんだ」
アヴェル様の長い独白を覚悟していた俺は、意外と短かった内容に拍子抜けした。
「あー、風が強かったですよね。木の枝とかバッサバサしてましたし。」
「そうじゃない、あれだ、胸だ。アストリット胸がもの凄く揺れていた」
「…」
やっぱり聞かなきゃ良かった。
◇ ◇ ◇
「要するに、アストリットの胸が揺れて興奮しちゃって、クールダウンする時間が必要だったと、そういう訳ですか?」
「面目ないがそういう事だ。未だかつて、あんなに揺れていた事はない」
男装していた際には布を巻いて体の線を隠していたが、今では、普通に動きやすい乗馬服を着ていただけなので、ボリュームのある柔らかな部分が自在に揺れ動いてしまっていたのだ。
「アストリットにも心配をかけただろう?彼女は大丈夫か?」
「今は自室に居てもらっていますよ。王太子様の顔がもの凄く赤かったから、寒さでお風邪を召して発熱しているかもと、見当違いの事言ってましたがね」
「そうか、それは悪いことをしたな。私はもう大丈夫だから会わせてもらえるだろうか?」
「そりゃもちろん」
呼ばれたアストリットが客間へやってくると、既に乗馬服は着替えられクリーム色のドレスを着ていた。胸元に控えめなフリルとリボンのついた初々しくも可愛らしいデザインだ。
「王太子様、先程は失礼いたしました」
アストリットが不安そうな顔で王太子の顔を覗き込む。
今まで目も合わせられなかったのが嘘のようだ。
「こちらこそ取り乱してしまい済まなかった」
そういう王太子の視線はアストリットの顔から下へと辿り、胸元のフリルの位置で止まった。
「???。ドレスがお気に召しませんでしたか?リボンが少し子供っぽかったでしょうか?」
「いや、そんな事はない。充分に大人っぽく、大人だと、いや駄目だ、思いだすな!」
ぐはぁー、と言いながら頭を抱えて横をむく王太子なのだった。
「やれやれ、今度はこっちかよ」
今度は王太子がアストリットを直視出来ない問題が浮上してしまった。
マーセルの苦悩はまだ続く。
◇ ◇ ◇
(秘策とは!? / アストリット視点に戻ります)
「それじゃ、最終作戦ですからね。上手くやってくださいよアヴェル様」
何かコソコソと、マーセル兄様が王太子様に告げている。
王太子様は表情を固くして、グーの形に握りしめた己が手を見つめているが大丈夫なのだろうか?マーセル兄様は、不敬な発言でもしているのでは?
2人が私の側にやってきて、マーセル兄様が声を張り上げる。
「発表します!これから2人にやってもらいたい事、それは何と『にらめっこ』! 2人に足りないのは正にこれ。お互いの顔を見て気持ちの交流をしてください。もちろん先に笑った方が負けです。負けた方は勝った方の望みを聞いてくださいね。制限時間無しの一本勝負!是非、楽しんで!」
ここまで一気に言い上げると、
「あ、変顔した時にお恥ずかしいでしょうから、この部屋は人払いいたします。もちろん俺も見ませんから、終わったら教えてくださいね。それじゃ!」
そう言って、手を上げてヒラヒラさせながら部屋を出ていってしまった。
扉がバタンと閉まる音がして部屋が静けさに包まれる。
婚姻前の妹を密室に男性と2人きりにするとは、マーセル兄様も随分と思い切ったことをするものだ。
あっけに取られた私が王太子様の方を見ると、顔を少し赤くして、またもや握り拳を作っている。何だろう?まさか私と拳で会話とかしないよ、ね?
王太子様はスッと姿勢を正し、いつものような穏やかな表情になると、
「マーセルにはやられたな。でも、奴にこうまでさせてしまったのも事実だ。アストリット勝負しようじゃないか!?」
まさかの王太子様がノリノリ発言。
私、推しに変顔見せるの!?
王太子様の変顔って見ても大丈夫なの?
◇ ◇ ◇
勝負が始まった。
王太子様は真顔で攻めてくる。
真顔も過ぎると逆に可笑しくなってくる。
変なスイッチ入らないように心を無にしなければ。
恥を捨てきれない私は、頬を膨らませてみる。
まだ少しは可愛く見られたいとか意識している。
自分に減点評価でマイナス1。
あ、王太子様が攻めの姿勢を見せてきた。
真ん中に寄り目とかずるい。
寄せる為の中心点に指を使わないで出来るとか、もしかしてお得意?
私も負けじと両手で顔を挟み、横に引っ張ってみる。
かなり形相は変わったに違いない。
私的には0.5歩前進。
王太子様が微妙な表情になっている。
そんなに私の顔がまずかったのだろうか?
不安が心に過って、次の手が浮かばない。
ちょっと涙目で一回休み。
身動き出来ずにいたら、王太子様の指が私の鼻先に触れた。
驚いて目を見張ると、今度は王太子様の手が私の人差し指を掴み、自分の鼻先に触れさせる。
「せーので行くよ?」
うなづく私。
「いっせーのっ、せっ!!」
2人で豚っ鼻になり勝負終了!
涙が出るほど2人で笑い転げた。
◇ ◇ ◇
「あー、笑ったね」
「そうですね、苦しすぎて息出来なくなりました」
2人掛けのソファーに横並びで座りながら語り合う。
「負けた方は勝った方の望みを聞くんだっけ?2人とも負けたし、お互いに望みを言い合おうか?」
「そうですね。兄様にやり直しと言われちゃったら嫌ですし」
「それじゃ僕から言うね。僕はね、もっとアストリットに近づきたい。アストリットは自由に僕の事を観察してくれて良いんだけど、もっと僕を近くからも見つめて欲しい。僕はアストリットが大好きだから」
そう言って、王太子様は上目遣いで私の手を取り、手の平へとキスをした。
驚きと喜びと恥ずかしさが全身を駆け巡ってくる。
「はい、喜んで」
絵姿を飾って眺めていた頃は、こんな気持ちがあるだなんて知らなかった。
見つめられて心がキュッとなることも、触れた唇が暖かく柔らかいことも、2人見つめ合って笑い合うことがこんなにも幸せだということも、全部分からなかった。
「王太子様がリアルな人物で良かったです」
「それは良かった。絵姿の方が良かったとか言わない?」
「今はもう、絶対に思いません」
良かったと言いながら、片手でご自分の頭をワシャワシャと掻き乱すのは照れ隠しだろうか?
「アストリットの望みは、何だい?」
「私のお願いは‥」
「僕が叶えられる事ならば何なりと」
私はとある絵姿を思い浮かべていた。
叶えていただけるなら、これしかない。
「白い正装用の軍服を着て私に会ってください!」
「・・・」
「えっ?あの、絵姿にそういうのがあって。あ、でも絵姿の方が良いって訳じゃなくて、これはもうファンサービスというのか、あの絵姿のまま目の前で動いているリアルな王太子様を拝みたく」
「そ、そうか。絵姿の私の真似をしてくれとかじゃなくて良かったよ。ただ、あれは正装で、特別な時にしか着ることが出来ない服なんだ」
私が思っていたほど、簡単な事では無かったらしい。
確かに正装の装束は気軽に着て良いものではない。
がっかりして項垂れた私を不憫に思ってか、王太子様が私の手を取り、今度は手の甲側に軽く唇を落とした。
「一つだけ、確実に叶える手段ならあるんだ」
藍色の瞳が潤み、輝きを増した気がした。
「婚約式をしてくれないか、アストリット。そうすれば私は君の前で正装が出来るよ」
こういう時は胸が高鳴るものだと思っていたのに、私の心は限りなく静まり返っている。風が吹かない日の静かな湖面のように、シンと静かにそこにあるだけだ。
「はい、私でよろしければ」
考えるより早く、私は言葉を返していた。
◇ ◇ ◇
婚約式は、春の花の蕾が綻びかけた頃に行われた。
決定から異例の早さだったのは、私の熱い要望と、王太子様のゴリ押しがあったからだ。
婚約式を前に、久しぶり国王様へお目通をしたお父様は、交わす言葉少なく親族席へと戻った。別れ際に国王様が、
「積もる話はまた後でな」
と言っていたのが耳に残る。
お父様は私が王族と婚姻するために、もっと王家とディープな関わり合いを要求されてしまうのだろうか?
お父様が王都へ引き戻される日も近そうだ。
婚約式は、王城の広間で行われた。
招かれたのは親族と主要貴族、教会関係者のみだ。
王太子様と私、2人並んで教主様からのお言葉を受け、婚姻書にサインをする。
式自体はそれほど難しい段取りは無かったので私の気は緩み、視線はキラキラしい白い正装の王太子様ばかりを追っている。
近くでも見てくれと言われたから、これってOKだよね?
耐性が付いてきた為か、私は王太子様が発する光によってエネルギーを得られるようになってきた。
そっと私に近づき、腕を伸ばして私の腰を引き寄せる王太子様。
目元は涼しげなのに、口角は上がっていらっしゃる。
なんて絶妙なバランスの美しさ。
けれど沢山の人に囲まれた中で、特別な天使の微笑みを投げかけられた瞬間、私は気づいてしまったんだ。
恋の向こうにある、ひどく黒い感情に。
世の中には多くの人がいて素晴らしい人たちも数多くいるけれど、アヴェル様にはずっと私一人だけを見ていて欲しいって。
そう祈らずにはいられなかった。
その時、自分の気持ちで一杯一杯だった私は周りがよく見えていなかった。
だから気が付かなかったんだ。
教会関係者の後ろにいた、ピンクブロンドの少女が憤怒の形相で私を見ていたことに‥。
「天使はどっちだ」を書いた後、感想で続きの話をリクエストいただいたので、急遽書き上げたものになります。