クリスマスコンサート
クリスマスコンサート当日は、空に灰色の雲が立ち込めていた。
「今日、雨が降るかもよ」直樹の母が天気予報を見ながら直樹にカッパを持たせた。「こんな寒い日にコンサートなんて、誰も来ないんじゃないの」
「大丈夫だよ。行ってきます」
直樹は鼻をすすって制服の上にピーコートを着、カッパをバッグに乱暴に突っ込んだ。駆け寄ってきたプードルの頭を撫でると、玄関を出た。自転車にまたがって道路に出ると、冷たい風が正面から吹き下ろした。風に鼻をくすぐられ、直樹はくしゃみをした。道中、健治に会った。健治の自転車の荷台には、史門が乗っている。
「おはよう」
「おはよう」
「おはようございます」
三人は挨拶を交わした。
「お前、健治よりデカいんだからいい加減、自転車くらい乗れるようになれよ」
直樹が苦笑した。史門は口を真一文字にして黙る。
「俺が教えても乗らねえからさ。琳太郎先生に教えてもらえばいいのに」
健治が迷惑そうに笑った。
「こないだ、おじさんがうちに来た。足が長すぎて僕の自転車、乗れないって言うんだ」
健治にはタメ語の史門が、悔しそうにこぼした。
「お前の自転車、何インチなんだよ」
直樹が顔面に風を受け、身震いしながら笑った。
「ていうかお前、自転車持ってんのかよ。乗ってこいよ、それ」
健治が後ろを振り返って睨みつけた。
「あるにはあるよ。ただ、あるだけなんだ」
史門はすまして答えた。
「何でもいいけど、すっげー寒いな。死ぬ」
健治は若干、鼻水をぶら下げて言う。
「今日は雨、降るかもしれないんだって」
直樹はそう言って、またくしゃみをした。
「雪よりマシだけど、冬に雨とか無理だよな。早く終わらせて帰りたいよ。えりジェンヌの配信もあるし」
健治が歯をカチカチ言わせながら答えた。
三人は校門をくぐり、北校舎へ向かった。すでに昇降口のそばに小型のトラックが待機しており、早く来た部員達がハンドベルを運び入れていた。
「何でこれ、こんなに重いのかな」
梅子が顔を真っ赤にして、ケースを持ち上げていた。直樹達は駆け寄って手伝った。
「よーし、お前ら、会場に行け」
積み込みが終わって琳太郎が言うと、それぞれ自転車に乗って出発した。空は一層濃い灰色雲に覆われ、どんよりした空気のなか、自転車の一団は風を切って進んだ。
グリーンガーデンパレスの敷地内に入ると、一団は駐輪場に自転車を停めた。トラックもちょうど到着し、チャペルへ向かった。
「すぐリハーサルに入りましょう」
コンサートを仕切る会場スタッフが案内した。
チャペルの入り口には大きなクリスマスツリーと、「緑谷町小中学校クリスマスコンサート」という看板が建てられている。入り口を潜ると、その内装に部員達は歓声を上げた。背の高い白い天井と大理石の床、それに側面は一面ガラス張りになっていて、敷地内の針葉樹が見渡せるようになっている。チャペルの下がり天井には大きなクリスマスリースが、入り口傍にはやや小ぶりなクリスマスツリーが飾られ、参列席は白いバラのブーケで品よく装飾されている。サンタやトナカイの帽子を被った小学生達も出入りしていて、楽しそうな雰囲気を醸し出していた。
「すごく綺麗だねー」
直樹が感動して見渡した。
「私も早く、バージンロード歩きたい」
響が目を輝かせてつぶやくと、直樹は真っ赤になって黙り込んだ。
何人かのスタッフが事務所から会議用の長机を用意し、壇上に並べた。そこへ部員達がウレタンマットを置き、ハンドベルを並べた。伊久馬はチャペルのなかにあるオルガンを移動してもらい、長机の傍に置いた。
「時間がないから、すぐやりましょう」
琳太郎が言うと、雛形はタクトを持ち、皆の前で振り上げた。
「本番まで結構、時間が空くんだね」
チャペルの外で、白い息を吐きながら、直樹が響に話しかけた。戸外は一層、しんしんと冷え込んでいた。
「小学生から先に演奏するからね。うちら、後の方だよ」
響は歯をガチガチ言わせ、プログラムを指差して言った。
「ねえ、響はさ」
直樹は小声で話しかけた。
「うん」
「大人になったら、こういうところで式を挙げたいの?」
直樹が下を向いて聞いた。響は目をぱちくりさせ、しばらく黙り込んだ。
「うん。真っ白なウェディングドレス着たい」
響は目を輝かせて頷いた。
「そっか。きっと似合うよ」
直樹は笑って頷こうとして、立て続けにくしゃみをした。
「ねえ、風邪引いたんじゃない? 大丈夫?」
「大丈夫だよ」
突然、そばのドアが開いた。怜が不機嫌そうにこちらを見ている。
「中、入ってろよ。風邪引くだろ」
怜は直樹の方を見ようとせず、響の方を向いて言った。二人はおとなしく中に入った。
コンサートは段取りよく進んだ。最初に市内にある複数の小学校が、讃美歌やクリスマスソングを合唱をした。一部にはハープや弦楽器を演奏する学校もあり、訪れた観客から拍手喝采を受けていた。ミド中吹部は制服の上に白いトレーナーを着て、それぞれの発表を聞いたり、事務所や戸外で待機した。
「うちらの番だ」
直樹はタイムテーブルに従い、皆に準備するよう促した。前の団体が終わると、速やかに壇上へ長机を並べた。
「雛形先生は?」
梅子が急いでハンドベルを並べながら、直樹に聞いた。
「あれ? どこ行ったんだろう」
直樹はチャペル内を見回した。
「来たよ」
響が奥の扉から出てきた雛形を指さして言った。
「え?」
直樹は訳がわからなかった。確かに女性が一人、壇上に向かって歩いてくる。
「ねえ、あの人、前に見たよね。校長の娘さんとかだっけ?」
健治が梅子に囁いた。直樹は目を凝らして見た。あの身長、あの歩き方、笑いを堪えてるあの口元はどこかで見たことがある。
「雛形先生だ!」
直樹は心底びっくりして雛形を指さした。雛形はメガネを外してメイクをしていた。髪をラフな三つ編みにし、定演のときと同じイブニングドレスを着、黒いパンプスを履いて現れた。
「うっそ、先生ってあの爆美女だったの」
まりあは腰が抜けるほど驚き、手を叩いて笑った。錬三郎は完全に目を奪われていた。他の部員達もお互いの肩や腕をつつき、どよめいた。琳太郎はチャペル後方のスペースで三脚を立て、ビデオカメラを構えながら、面白そうに様子を見守っていた。
「みんなー。雛形先生が来たよ」雛形は少しはにかみながら、皆の前で調子よく言った。「さあ、やりましょう」雛形はタクトを振り上げた。
演奏はうまくいった。
最初に伊久馬がオルガンでイントロを弾き、ハンドベルがタイミングよく乗っかった。高音、中音、低音のベルが重なり、透き通るようなハーモニーをつくり出し、集まった観客達は耳を澄ませた。雛形も頭の中でメトロノームの音を聞きつつ、豊かな情感を壊さないよう、タクトの先端に意識を集中した。
肝心のサビの部分になった。全員が互いの手元に目を配り、的確なタイミングで腕を振り、ベルを鳴らした。雛形は部員達を見た。部員達も雛形を見た。ハンドベルは一音一音を煌めかせながら、チャペル内によく鳴り響いた。オルガンは情感のある深い低音で全体を支えた。
伊久馬は練習通り、繰り返し部分の二回目に辿り着くと、オルガンで裏旋律を弾いた。小さな音でハンドベルが旋律を刻むなか、伊久馬は音羽に教わった通り、伸びやかな和音をチャペルいっぱいに鳴らした。
三回目に入ると、二拍分ずつ、高音域のハンドベルと高音域のオルガンが交互に旋律を奏でた。ハンドベルとオルガンが会話のキャッチボールをしているような、遊び心のあるシーンが生まれた。その後はオルガンが旋律を引き受け、低音域のハンドベルはウレタンマットの上にベルを打ちつけながら、心地よい伴奏でオルガンを支えた。
指揮とハンドベル、オルガン、それに観客も渾然一体となった。曲は豊かに膨らみ、チャペルの天井いっぱいに染み渡り、盛大にフィニッシュを迎えた。
雛形がタクトを下ろし、客席に向かってお辞儀した。客席からは温かく大きな拍手が上がった。
演奏が終わり、荷物置き場にしていた事務所に戻ると、蜂の巣をつついたように皆が口を開いた。
「うまくいったね」
「俺、転けそうだったけど持ちこたえた」
「やったやった」
「雛形先生は?」
響が聞くと、後ろから雛形が抱きしめてきた。
「ここにいるよ」
皆は一斉に雛形を取り囲んだ。それぞれが爽やかな笑みを浮かべ、好き勝手なポーズをして、琳太郎が写真を何枚も撮った。
すべての団体の発表が終わる頃、窓の外では小雨が降り出した。まだ昼過ぎなのに、外は濃灰色の雲ですっかり暗くなっている。
「大変。もう帰った方がいいよ」
雛形が窓の外を指差して言った。
「学校には戻らなくていいから、直帰しろ」
琳太郎が部員達に帰るよう促した。
カッパがない部員は自転車に乗って早急に退散した。直樹は一番最後に事務所を出ると、途端にくしゃみをした。一回だけですまず、立て続けに三回も出た。
「完全に風邪ひいた」
直樹はひとりごちた。庇の下でカッパを着、ぶるっと全身を震わせ、駐輪場に向かった。駐輪場では青いLEDライトが足元を照らし、クリスマスの雰囲気を演出していた。しとしとと雨が降るなか、自転車にまたがろうとしたとき、またくしゃみが出た。そこへ、後ろから声をかけられた。
「直樹」
振り返ると、カッパを着た響が立っていた。手には不織布のバッグを抱えている。響はバッグを開けると、黒い手編みのマフラーを取り出した。
「何、それ」
直樹は呆然としながら、マフラーを見た。
「クリスマスプレゼント」
響は少し怒ったように照れた。それからマフラーを直樹の首の近くに持っていった。
「え。ありがとう」
直樹は驚きと恥ずかしさのあまり、顔が真っ赤になった。カッパのフードを後方に追いやると、響が首に巻いてくれた。直樹は再びフードを被り、響の顔を見た。
「自分で編んだの?」
「うん」
響も頷いて、それ以上は何も言えずにいる。直樹は唾をごくんと飲み込んで、背筋を正した。
「ねえ、あのさ」
直樹が言うと、響は顔をあげた。青いライトがそこらじゅうで瞬き、雨のなかで輪郭のぼやけた光を発した。響は顔に雨粒をつけ、少しだけ口を開いて直樹を見、その瞳には幻想的な青い光が映り込んだ。
「俺。響のこと、好きだよ」
直樹は勢いにまかせ、大声で言った。直後、くしゃみを三連発した。響は直樹の鼻が垂れた顔を見て、一瞬黙り込んだ。それからプッと吹き出し、くすくす笑い出した。
「うん」
響が大きく頷いた。
「うん、って、何なの」
直樹は鼻をすすりあげ、大きい声で響に聞いた。直樹の表情は真剣だった。響は自分より少し背の高い直樹を見上げた。まるで春の花のように、優しく微笑んだ。
「うちも、直樹が好き」
つづく




