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緑谷中学吹奏楽部  作者: taki
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雛形桃子

翌朝、吹奏楽部のメンバーは校門前にパイプ椅子と譜面台、ドラムセットを並べた。タイムリーに出勤してきた琳太郎は、自分の姿に気づかれないよう、校門から少し離れたところで見ていた。ぱらぱらと生徒達が登校してきた。新入生は見てすぐ分かった。上級生と違って制服もカバンも靴もピカピカで、慣れない様子であちこちキョロキョロしながら歩を進める。そこへ吹奏楽部員が渾身の演奏を始める。始めるのだが…。

演奏のレベルは著しく低いと、琳太郎は思った。五人がそれぞれ、ずっと馬鹿でかい騒音を出し、好き勝手に演奏している。音程も合ってないし、リズムも不安定だし、一人一人が鳴らせていない。演奏としてまとまりが一片もない。乱雑な部屋のように、とっ散らかってるのだ。幼稚園児の鼓笛隊と大差ないと感じた。

それに、選曲も悪い。この曲を知ってる生徒はいるのか。聞いてていいなと思う人間がいるのか。琳太郎は無表情のまま、頬を指で描いた。ときどき琳太郎の元へ集まってくる女子生徒にだけは、反射的に太陽のような笑みで挨拶を返した。

周りの反応も薄く、今のところ、足を止めて聴いてくれる新入生はいない。チラチラ見たり、敢えて目を合わせなかったり、どうすればいいのか分からないような顔をして急ぎ足で立ち去ってしまったり。ジャージを着て、見るからにバカにしたような態度で野次を飛ばしているのは運動部の上級生らしい。演奏中なのに露骨に耳を塞ぐ生徒や、紙ヒコーキを投げつけてくる生徒すらいる。琳太郎は何も言わず、その様子を見守ることにした。

放課後になっても、第二音楽室を訪れる新入生は一人もいなかった。代わりに琳太郎が一人の教師を連れてやってきた。身長は百六十センチに満たないくらいの女性教師で、長い黒髪を後ろで一つに束ね、分厚いメガネをかけている。化粧っけはなく、陰気な雰囲気が漂っていた。

「お前ら、ちょっと聞け。今日から副顧問になる雛形(ひながた)先生だ。これから俺の代わりに来ることもあるから。雛形先生、よろしくお願いします」

「よろしくお願いします」

部員達は雛形先生に頭を下げた。

「雛形桃子です。こちらこそよろしくお願いします。楽器は吹けないし、叩けません。ピアノも弾けません。何もできません。今日はでは、これで」

まるで大根役者のような棒読みで言い切ると、雛形は琳太郎とともに部屋を出て行った。

「家庭科の先生なのに何で副顧問になんかなったの?」

直樹は不思議そうに言った。雛形は直樹達が一年生の頃からすでに在籍しており、家庭科を担当している。

「家庭科部がなくなったんだよー」

情報通の銀之丞が、他人事のように言ってみせた。

「なんかあの、できませんって連発されると、顧問やりたくありませんって拒否された感じがする」

梅子が不快そうに言った。

「居ても居なくても分からないタイプだね」

公彦も手厳しく言った。

「よっぽどやりたくなかったんだよ。でも、先生って一つは部活を持たなきゃ駄目とか、確かそういうルールがあるんだよ。渋々やる羽目になったんじゃない? かわいそうだね、できないのに」

健治が困ったように言った。

「できま先生だねー」

銀之丞が早速あだ名をつけて納得していた。

少し経つと、琳太郎だけが音楽室に戻ってきた。直樹がすぐに立ち上がって切り出した。

「先生。昨日のことですけど、俺達、ハンサ…じゃなくて先生のこと信じて、頑張ってみようって思っています」

琳太郎は直樹を見た。直樹も見返した。琳太郎は直樹の瞳の奥を覗きこんだ。直樹も同じように覗き返した。

「そうか」

直樹の覚悟を汲み取って、琳太郎は頷いた。

「はい」

直樹は意を決して言った。

「それは全員の総意なのか?」

琳太郎は確認するために聞いた。

「そうです」

梅子が代わりに答えた。健治、公彦、銀之丞も言った。

「そうです」

「そうです」

「そうでーす」

「それは結構」

琳太郎は軽く笑った。

「頑張るってのは、最後まで突っ走るって意味だ。分かるか?」

「はい」

直樹は泣き出しそうだったが、頑張って答えた。

「最後までってのは、全国までってことだぞ」

琳太郎は、今度は梅子の方を見て言った。梅子の瞳には動揺の色が濃かったが、怖くてたまらない気持ちと戦っているのもまた、琳太郎には感じ取れた。

「前の先生はそんなふうに言ってくれませんでした。鳥飼先生は言ってくれるから、私、信じてみようって思いまひた。…思いました。でも、そんな、簡単に言いたくありません。だから全国絶対行くって言うんじゃなくて、目の前にある地区大会で結果を残すことに、全力を尽くしたいです」

そう言って、梅子はしくしく泣き出した。健治がハンカチを差し出したが、えりジェンヌが印刷されたハンカチだったので、梅子は気持ち悪そうに払い除けた。

「目白の言っていることは分かるけど、それだけだと弱い」

琳太郎が諭すように言った。部員達は琳太郎の次の言葉を待った。

「結果を残す、だと漠然としすぎる。結果とは何か。銅賞だったとしても『結果』になってしまう。俺たちは頑張った、私はよくやったって、自分のこれまでの頑張りを認めて、それで終わらせてしまう。それじゃダメだ。そんなのつまらない。そこで終わったらそこまでのものにしかならない」

「私はそんなつもりで言ったわけじゃ…」

梅子は言い訳がましく言った。

「目白。君に足りないのは覚悟だ。絶対に全国出てやる、だから地区大で金賞くらいとってやるっていう覚悟だ。自分に誓うんだよ。分かるか?」

琳太郎は優しく聞いた。梅子は何も言えない。

「怖いか? 誓うのが怖いか? 絶対やると言って叶わなかったときのことが想像できるから、怖いのか?」

「はい…」

梅子はますます涙をこぼしながら返事をした。

「怖くてもいい。泣いてもいい。でも、これは大切なことなんだ。どうやって全国の舞台に自分たちを近づけていけるか。それを考えて、毎日練習を積み重ねて、一つずつできることを増やす。実力をつける。それしかない。誰でもできることだ。誰でもできるけど、誰もやらないことなんだよ」

琳太郎の言葉に、梅子は頷いた。頷きながら、ますます涙をこぼした。

「先生、俺たち昨日も話し合って、全国出てみたいって、なったんです。なんか、すごすぎて、全然どんなのかよく分からないけど。でも、俺たち五人しかいないのに、どうすればいいか分かりません。練習頑張りたい、って思ってるんですけど」

直樹が助け舟を出すつもりで、梅子の代わりに答えた。

「ああ。そこが引っかかってるのか」

琳太郎が一方の手のひらを他方の拳でポンと打つと、白い歯をとびきりキラキラさせて答えた。

「入学式から本入部までの間、鬼勧誘する」

「おにかんゆう?」

梅子がすかさず食らいついた。

「鬼のように勧誘するんだよ。今朝のアレじゃ正直、無駄だ。お前ら、つまんなそうに演ってただろ」

琳太郎が苦笑いしながら言うと、部員達はバツが悪そうに目を背けた。

「とにかくだ。いい演奏をする。いい演奏を校内でしまくる。聴かせる。ビラを学校中の掲示板に貼って宣伝。一年生にもこまめに配って宣伝。ここにくれば楽しい部活ができるんだ、ほかにないんだって思わせるためのな」

「そんなことできるんですか?」

健治が不安そうに聞いた。

「できる。俺がいるから、できる。人数増えれば、それなりになるだろ。まだ時間があるし、作戦はある。信じろ」

琳太郎が自信たっぷりに言い切った。部員達は困惑しつつ、「はい」と声を揃えた。

勧誘活動に使っている楽曲のスコア譜を受けとると、琳太郎はしばらくそれを眺めていた。スコア譜とは、全ての楽器パートの楽譜が書かれたものだ。数曲分あったが、どのスコア譜も、昔の吹奏楽コンクールで使われた課題曲のようだった。

「こんなんじゃグッとこねえよ。みんなが知ってるポップスとかがいいんだよ」

琳太郎が苦々しげに言った。

「あんまり楽譜がないんです」

直樹は少し不服そうに、かつ言い訳するように言った。

「楽譜も高いし、五人しかいないと部費もちょっとしか集まらないし」

梅子が金銭事情を説明した。

「なるほどな」

琳太郎はさらに楽譜を漁った。モーツアルトやベートーベンなどクラシックのほか、映画音楽の楽譜はそこそこある。ポップスは最近のものはないにしろ、ひと昔前やふた昔前のものならある。古くても誰もが耳にしたことがある音楽なら興味を引くかもしれない。吹奏楽の楽しさが伝わるかもしれない。琳太郎はほこりを被った楽譜の束にも手をつけた。

「おっ、これ、いいな」

琳太郎が手に取ったのは往年の人気ゲーム「スーパーマリオブラザーズ」の楽譜である。

「こういうのもいいな」

次に琳太郎が指したのはドイツの作曲家ヘルマン・ネッケによる「クシコスポスト」だ。軽快なリズムで切り出すイントロが特徴的な、運動会のBGMとして有名な楽曲である。

「これはどうですか?」

梅子が差し出したのはディズニーランドでお馴染みの「エレクトリカルパレード」だ。

「おお、いいね」

琳太郎は微笑むと、梅子は顔から湯気を出して第二音楽室から飛び出した。琳太郎は直樹と引き続き、気になる楽譜を次々と集めていった。

「じゃ、これ、精査するか。みんな、印刷室行くから手伝え」

琳太郎はそう言って、部員達を連れて印刷室へ行った。コピーが終わると、再び第二音楽室に戻った。

「よし、みんなで譜読みするか。楽器はまだ準備しなくていい」

琳太郎がコピーした楽譜を直樹に配らせ、自分は指揮台をタクトで叩きながらリズムを取った。譜読みとは、各自が楽譜の音符を拾いながら小声で歌っていくことだ。拾うのが難しいのか、健治は途中で黙り込んでしまった。

次は楽器を使っての練習だ。全員が楽器を手にして、琳太郎が楽譜を配ってタクトを持つと、各々が吹き始める。演奏の出来は、惨憺たるものだった。いつの間にか途中で止まってしまった。

「難しくてできません」

直樹がフルートを膝の上におろし、真っ先に根を上げた。

「どの部分?」

琳太郎はスコア譜を広げ、フルートの演奏部分をタクトでなぞった。小さい声でメロディーを歌い、なにごとかブツブツと呟きながら立ち上がった。

「よし。お前の楽譜はこうしよう」

琳太郎が直樹の席に来ると直接、譜面に書き込んだ。十六分音符が減って八分音符が増え、高音域の音符が減った。要は、簡略化したのだ。

「これなら吹けるか?」

琳太郎に聞かれて、直樹は頷く前にフルートを構え、音を拾い始めた。和音の密度は減ったものの、これならまあまあに聴かせられそうだ。

「先生、俺のもお願いしちゃっていいですか」

クラリネットの健治が、遠慮がちに手を挙げた。

「おう。クラもこんなんでいいだろ」

琳太郎は今度は健治のもとへ行って、譜面に書き込みをした。フルートと同様に簡略化してもらったので、健治も嬉しそうに吹いてみせた。

「次は、ペットか」

琳太郎がトランペットを手にした公彦に近づくと、公彦は首を横に振った。

「ああ、先生。僕のとこはまあ、大丈夫なんですよね」

「そうか?」

琳太郎は疑わしげに聞いた。

「はい」

公彦はすまして頷いた。

「じゃ、この部分、吹いてみろ」

琳太郎に言われて、公彦は自信満々で吹き始めた。自信満々なのに、まったくできなかった。本人は悔しそうに何度も繰り返すものの、息の音だけが漏れるばかりで、トランペットの音にすらならなかった。

「いい。もういい。お前はまだ高音は無理でも、低音は出せてるんだな。オクターブ下げて吹け。今はそれでいい」

 公彦は涙目になって全身を震わせながら、小さく頷いた。

それから琳太郎はトロンボーンの梅子とドラムスの銀之丞のところにも行った。同じように楽譜をいじって指南すると、再び指揮台の前に戻った。

「よし。じゃあゆっくり。これくらいのテンポな」

琳太郎がスローテンポで、指揮台をタンタンとタクトで叩きながら言った。

「ワン、ツー、スリー、」

演奏は先ほどより、だいぶましになった。中音域と低音域が足りず、中身がスカスカではあるものの、言うほど悪くはない。難しいことを省き、確実に出せる音を出させているので、部員達にも余裕があり、何より生き生きとしていた。小学生が学芸会で演奏するなら、この程度でもいいだろう。

「さてと。このまんまだと薄っぺらいからな」

そう言うと、琳太郎は大きな黒いケースを取り出した。開けると、中にはキーボードが入っていた。一同が見守るなか、琳太郎はスタンドを組み立て、キーボードを設置した。ボタンを操作して音色をシンセサイザーに設定する。

「俺がみんなに合わせて弾くから、指揮は無し。行くぞ。ワン、ツー、スリー」

琳太郎は楽譜も見ずに弾き始めた。部員達は動揺を隠しきれないまま、それぞれのパートを演奏していく。琳太郎はコード進行に合わせて音を広い、十本の指でバッキングした。先ほどの演奏よりも厚みが増し、メリハリもついて、がぜん格好良くなっていた。

「先生、かっこいい」

演奏が終わると直樹が開口一番、賞賛した。

「おう。俺はかっこいいぞ」

琳太郎が白い歯を六本、見せつけておどけた。

「…ハンサム」

公彦が小声で言うと、梅子が横で吹き出した。

部活を終えて、琳太郎は職員室に向かった。雛形だけが残っていて、琳太郎の向かいの席でパソコンに向かっている。琳太郎はシンクでお茶を淹れると、雛形の机の上に置いた。

「ああ、すいません」

雛形は目も合わせずに言った。パソコンの画面を見つめ、高速でタイピングしている。

「副顧問になってもらって、助かります。ありがとうございます」

琳太郎は構わず、雛形を見ながら頭を下げた。

「別に。私が希望したわけではありません」

雛形は儀礼的な口調で言い返した。

「でも俺、嬉しいです。これから全国を目指して、一緒に頑張りましょう」

琳太郎が快活に言ってみせると、雛形はメガネの奥からじろりと見返した。レンズが分厚すぎて、目が不自然に大きく見える。

「全国? 何の話ですか、それ」

「全国大会に行くんですよ。みんなやる気です」

琳太郎はそう言って、首を左右に揺らしながら目を閉じ、口角をあげて歯を見せた。雛形は大きくため息を吐いた。

「たった五人でどうするっていうんですか」

琳太郎は雛形を見た。それから少しだけ笑ってみせた。

「どうするって、勧誘して部員を増やすんですよ。それから練習して、全国に行きます」

琳太郎は至極当たり前であるかのように説明した。

「はっ。無茶ですよ、そんなの」

雛形が一蹴した。

「無茶じゃないです。ちゃんと実行してみせます」

「いや、そうじゃなくって。私、そういう部活だと思って副顧問を引き受けた訳じゃないんですけど」

「どういう訳で引き受けたんです?」

琳太郎は怒るでもなく、きょとんとして聞いた。

「だって、そんなことしたら…大変なことになりますよ。全国目指してる部活なんて…練習量も普通じゃなくなるでしょうし…。保護者が承知しませんよ」

雛形はしどろもどろになって言った。琳太郎はその様子から、雛形の気持ちを察した。忙しくなるのはごめんだと、顔に書いてある。

「大丈夫ですよ。雛形先生は、何にもしなくていいです」

「そうは言ってませんよ」

雛形は目を見開いて言い返した。

「いえ。とにかく俺は生徒と約束したんで、やります。よろしくお願いします」

琳太郎はもう一度頭を下げると、職員室を出て行った。

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